第6章 伯爵夫人になった乙女
そして宰相ベルクイストからシュリンと婚約の話を聞かされたアイラが、一体どう思ったのかというと、当然ながら天に舞い上がりたくなるほど歓喜した。
もちろん心の中で。
しかし見た目は冷静なまま、彼女は淡々とそれを受け入れるための条件を提示したのだ。
まずは結婚後に生まれてくる子供に関すること。
親権は両親が共に持ち、子供の結婚に関して親は強制せず、本人の意思に任せる。
父親だろうが結婚相手を勝手に選ぶ権限はない。このことを公正証書にして役所に提出する。
それを認めてもらえないなら、白い結婚として子供をなさない。
後は使用人に関することだった。
年上の者達を含め全ての使用人達に主のシュリンに対して一人前の大人として接するよう徹底させること。
妻が領地にいて夫は王都で暮らす、別居結婚になるわけだから、使用人がしっかり、そして厳しくしないと、家は守れないからと。
もちろんこの先生まれて来るであろう子供に対しても。
結局これはアイラ自身が婚約中に、使用人をスパルタで厳しく鍛え直すことになったのだが。
アイラはとにかく自身が厳しく育てられてきた。
その上、学園内では年上の怖い怖い本物の悪役や、偽聖女様、成り上がりの裏組織率いる商会のお嬢様達とやり合ってきたのだ。
そのため、年上の使用人達に対しても彼女が臆することはなかった。
そのため彼女は後に『鉄の心を持つ使用人』製造機という、別の異名で呼ばれるようになったのだ。
しかし彼女は決して祖母のように鞭を使ったり、威嚇したり、恐怖心を煽って指導したわけではなかった。
なにせ相手は元々高い教養を持つ優秀な人々だったので、言葉で説明し、あとは情で訴えれば良かったのだから。
アイラは実体験にもとに、貴族の家がいとも簡単に崩壊する様を語って聞かせ、それをみんなにイメージさせた。
「あの妖精か天使のようなシュリン様が、今後魔王や悪役令嬢達に食いちぎられ、ボロボロになった姿を想像してみてください。
あなた方の大切な主がそんな哀れな姿になってもいいのですか?
皆さんがあの方を守りたい気持ちはよくわかりますが、王城にまで付いて行って守るわけにはいかないでしょう?
今は私ができるだけフォローしていますが、私が領地を治めるようになったらそうはいかないのですよ?」
と。
しかし、最初のうち使用人達は、アイラの言う魔王や悪役令嬢というものが、どんな存在なのかがわからずに戸惑っていた。
そこでアイラは、巷で流行っている人気の「悪役令嬢物」シリーズの本を数冊彼らに贈ったのだ。
イメージしやすいように、なるべく挿し絵の多そうなものを選んで。
するとその効果は抜群だった。
そんな後悔と絶望しかない未来など、大切な旦那様を陥らさせたりはしない。
彼らは真の意味でシュリンを守り抜こうと一致団結した。
彼らは心から若い主を愛していたからだ。
そしてアイラもまた滅茶苦茶シュリンを愛していた。
本当は滅茶苦茶彼を可愛がりたかったし、甘やかしたかった。
彼の笑顔が見られるならばなんだってできたし、彼の涙なんて見たくはなかった。
けれど彼をこのままただ守っていたのでは、きっと自分の両親のような、大人になり切れない人間になり、家を潰し、自分の子供まで不幸にしてしまうだろう。
そして心優しい彼はそれを後悔して、泣きながら残りの人生を過ごすことになるに違いない。
そんな悲しくて辛い人生を彼に送らせたくはない。ただでさえ寂しい子供時代を過ごしてきたのだから。
彼を幸せにするためなら、私は冷たい女、強い女と呼ばれてもかまわない。
そう、アイラは思った。だからこそあんな要望をしたのだ。
シュリンの親代わりを務めていた宰相ベルクイストは、アイラの要望を前例がないと難色を示した。
しかし、エメランダ王妃と総務大臣補佐官をしていた兄のハラン子爵は、アイラの思いを知っていた。
だからこそ宰相との交渉に一切譲歩しなかった。
ラヴェル王太子と外務副大臣のアルバイン公爵令息は、彼らと少しそれとは違う意味合いだったが、不退転の決意で臨み、やはり譲らない姿勢を貫いた。
というのも、たしかに彼らもアイラのことを妹のように思ってきたのは事実だった。
とはいえ、これまでも、そしてこれからも彼女を利用し続けなければならないことに対して、心の奥底では申し訳思っていた。
それゆえに、彼女の最低限の望みくらいは叶えてあげたかったのだ。
アイラはこれまで、二人の要望を全て完璧にこなしてきたのだから。
そう。アイラは学園に在学中、エメランダに言い寄る令息どもを、完璧な理論武装で追い払った。
そして、罠を仕掛けてきたご令嬢方には反対に罠を掛けて、衆人環視の前でその罪を人知れず暴き、今後同じような卑劣な真似をする者が出ないように釘を差した。
こんなふうにしてアイラは、三年間ずっとエメランダのことを守り抜き、彼女を無事に王太子妃にしたのだ。
そしてその後も、アイラはなんと十五歳になる前から王太子妃付きの女官になって、妃殿下の懐刀となって働いた。
その結果、彼女はこの国最強で最高の女官と評されるようになり、多くの人々の記憶にその名を残すほど働いたのだ。
結局宰相は、今後国のトップに立ち、導いていくだろう若者達に言い負かされ、説得されて、渋々アイラの出した条件を受け入れたのだった。
婚約して二年後。
アイラ=ハラン子爵令嬢は十九歳で、二つ年下のシュリン=バーディング伯爵と結婚し、バーディング伯爵夫人となった。
社交界では二人の結婚について大いに盛り上がった。
かつての天才少女と天才少年のカップルを応援する者もいたが、大概がアイラに対する悪意ある噂だった。
なにしろシュリンは稀代の天才で、国王や宰相からも一目置かれている出世頭だったし、名門伯爵家の若き当主。
しかも、人間離れした絶世の美貌の持ち主だったのだから。
「まだ十七歳だというのに。あんな年増女に押し切られて結婚させられてお可哀相に」
「一度没落しかけた子爵家の令嬢のくせに、少しばかり頭がいいからって伯爵夫人なろうとするなんて、なんて図々しいのかしら」
「あんな冷酷なご夫人にどんな扱いされるかわからないわよね。伯爵は大丈夫なのかしら」
「でも別居婚で良かったわね」
「本当にね」
しかし、一年を過ぎると段々その噂も下火になっていった。
なぜなら、それまで仕事一筋でまともに休暇も取らなかったシュリンが、毎週きちんと休暇を申請して、妻のいる領地に帰っていることが世間に知れ渡ったからだ。
二人きりになると、とにかくアイラはシュリンを溺愛した。
日頃の働きぶりを絶賛し、労いの言葉をかけ、思い切り抱き締め、頭を撫で、深いキスを繰り返しながら、愛していると囁き続けたのだ。
そしてシュリンも徹底的にアイラに甘えたのだ。会えない日の分の補給をするために。
ところが結婚して半年後に夫人が妊娠したことが知られると、一体誰の子かしら?などという悪意のある噂が流れたりした。
もっとも、その後生まれてきた赤ん坊は、父親シュリンに激似の人形のように愛らしい娘だったために、すぐさまその噂は消滅したのだが。
その後も母親似の息子、父親似の息子、そして二人をかけ合わせたような娘が生まれた。
そのころには、バーディング伯爵夫妻はおしどり夫婦としてその名を轟かせるようになっていた。
だからこそ、そんな二人がまさか、結婚十六年目に離縁騒動を起こすとは誰も予想していなかったことだろう。
原因はなんだったのか!
それはシュリンが婚姻時の契約を破り、長女ラルラの婚約を本人の同意なしに決めてしまったから、というものだった。
優秀かつしっかり者の嫡女を嫁に出してどうするんだ。しかも誰にも相談せずに!
妻は激怒した。
バーディング伯爵夫妻は、息子二人は揃って領主に向いていなそうだから、好きな道を進ませよう。以前からそう話し合っていたからだった。
今日の21:10にもう一度投稿します。
それで完結となります。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
きっとほっこりしてもらえると思います。




