第5章 自覚無しのスーパー乙女
王太子がため息を吐きながらこう言った。
「それにしても、こんな優秀な兄妹を平民に落とすような事態に陥れた連中は許せないな。
まだ捕まらないのか?」
「ええ。詐欺事件だと騎士団もそれほど力を入れてはくれませんからね」
「そうだよね。
普通借金取りは地の果てまで追い掛けると聞いているが、連帯保証人がいるなら、そんな手間のかかることはしないからな」
「せめてその保証人の書類に不備でもあれば、そんな返済は拒否できたのにな」
オーガストの話を受けて王太子が発したこの言葉を聞いた瞬間、アイラの頭の中でピカッと閃くものがあった。
「殿下、不備とは小さな間違いでもその対象になりますか?」
「小さいとはどんな?」
「書類に記されている関係者の名前の文字に誤りがあるとか……」
「それは小さな不備とは言えないな。スペル一つ違えば、本人とは認められないからな。
そもそも学園のテストで正式な名前を書かないと零点になるのは、それを予防するためだからな。
将来公的書類を書くときにサインを誤ると承認されずに無効になってしまうからね」
それを聞いたアイラには微かな希望が見えた。
彼女は紙と筆記具を借りたいと申し出た。
そして用意された紙に、例の夫妻の名前をサラサラと記し、それを高貴な方々に提示してこう言った。
「ヒュンバルト=ブレイントン=ウルフレットシュレーゲルスタイン」
「アレクサンドラ=キャンベル=ウルフレットシュレーゲルスタイン」
「これが詐欺師夫婦の名前です。普段こんなに長い名前をサインするとは思えません。
彼らは学園の卒業生でもありませんし。
ですから、もしかしたら父が保証人になった書類に書かれている、彼らの名前にも誤りがあるかもしれません。
これからでもそれを確認することは可能でしょうか?」
兄と高貴な三人は、アイラが掲げた紙をじっと見つめた後で互いに顔を見て頷き合った。
そしてそのアイラの読みはズバリ当たっていたのだ。
五つの金融業者が所有していたハラン子爵を連帯保証人とする書類。
そのうち四枚の証書に記されていた元男爵夫妻の名前に、なんと誤字や脱字が見つかったのだ。
しかし、金融業者達はそれをなかなか認めようとはせずに、ハラン子爵家に脅しをかけてきた。
ところが、王家直属の騎士達に拘置所に放り込まれて、諦めざるを得なくなった。
そして釈放された後、彼らはその鬱憤を晴らすために皆で団結し、執拗に元男爵一家を追い続け、半年後についに元男爵一家を捕縛するに至ったのだった。
一つの金融業者の連帯保証人だけは逃れられなかったが、なんとかそれは返済することができたので、ハラン子爵家はその爵位を返上せずに済んだ。
とは言え、両親には当主としての才覚なしと国から判断されて引退するように促される結果になった。
彼らはまだ四十にもならないというのに、成人した嫡男に当主の座を譲ることになったのだ。
そして息子と家令の監視下で、領地経営や家政を担うことになった。それと、寝たきりになった母親の世話も。
領主となった息子は王太子の側近として、城勤めをしなくてはならなかったからだ。
そしてアイラはというと、公爵家のお世話になる必要がなくなった。
しかし王家と公爵家に頭を下げられてしまい、その願いを聞かざるを得なくなってしまった。
まあ今後の兄の立場を考えれば致し方ないことだし、当然報酬も付与されるというので、結婚の支度金を自分で準備できるからとアイラも良しとしたのだった。
《兄はその後、その話を聞いて号泣した。愛する妹の結婚支度金くらい、自分が用意する気でいたのに……と。
まあ、実際アイラは、本当に十分過ぎる支度金を兄からもらって嫁ぐことになった。
王家と侯爵家からのお祝い金、そして山のような贈り物とともに》
まあアイラは働きぶりを考えれば、それは当然のことだっただろう。
公爵令嬢エメランダの友人として、絶えず彼女の周囲に気配りしつつ、一学年下の天才少年のことも見守る。そんなハードな学生生活を送っていたのだから。
とはいえ、実際のところそれはあまり苦にならなかった。
エメランダとは実の姉妹のように心許し合える仲になっていたので、義務感などではなく心から守りたいと思っていたので。
そしてそれは天才少年に対しても同じ気持ちだった。
なぜなら、その天才少年シュリン=バーディング伯爵令息は、なんとアイラの初恋の相手だったからだ。
シュリンは孤独な少年だった。
家族や親類が身近にいなかったので、彼は領地でいつも使用人達と暮らしていた。
彼が十歳になるかならないで学園に入学したのも、このまま同世代の子供と触れ合うことなく領地で暮らすよりも、早めに多くの子供と交わる方が良いだろうと、宰相が考えたからだった。
アイラの場合と同じく、シュリンも同世代とでは話が合わないだろうと大人達が配慮したのだろう。
しかしアイラとは違いシュリンの方は、頭と反比例するかのように精神年齢は実年齢以下だったのだ。
同級生に話しかけられてもろくに返事ができずコミュニケーションが取れなかったせいで、彼は次第に孤立していった。
アイラは時々、園庭の隅で一人泣いているシュリンの姿を目にするようになった。
三年前の妖精は男の子だった。
お日様の下で光り輝く、明るい栗色のサラサラした髪、そして涙に潤む水色の瞳。
あまりにも儚いその姿を目にする度に、彼がこのまま消えてしまいそうで、アイラの胸はぎゅっと締め付けられた。
三年前と同じように彼の側にいてあげたいと思った。話ができなくても、ただ寄り添ってあげたいと。
でも、彼が人を怖がっていることを彼女は知っていた。特に女性を。
あの見目のせいで、彼は子供だけでなく大人の女性からも言い寄られたり、攫われそうになったり、罵倒されたり、散々な目に遭ってきたのだ。
それを知っていたアイラは、シュリンの目の前に姿を見せることはなかった。
アイラは可愛らしい人や物に弱かった。抱き締めてぎゅっとしてキスをしたいという衝動に駆られるのだ。
それゆえに、彼を怖がらせたくなかったのだ。
それでも彼を守るために王太子や公爵家、そして宰相の力を借りて、害となる輩をみんな排除していった。
殿下にシュリンに合う男子を数人見繕ってもらい、彼を守ってもらうと同時に鍛えて欲しいと頼んだ。
あのままただ甘やかして守っているだけでは、彼が消えてしまいそうで不安で仕方なかったからだ。
王太子が選んだ人物なら安心だろう。
殿下には人を見る目がある。アイラはそれを知っていたから。
頭がいい人間はなんでも自分一人でやりがちだが、アイラは違っていた。
人には適材適所というものがあることを知っていた。
シュリンの役に立ちたい。
アイラのその気持ちは誰よりも強かったが、自分よりも彼のために役立てる人がいるのなら、その人に頼んだ方が彼のためになる。その方がいいと思った。
そんなアイラの深い情を理解できたのは、エメランダくらいだっただろう。
だからこそ、その後宰相からまだ十五歳だったシュリンの結婚について相談を受けたとき、エメランダ王太子妃は、これはこれまでの恩を返すための最高の好機だと思った。
だから、夫のラヴェル王太子を上手く使って、アイラがいいのではないかと言わせたのだ。
そうとは知らない王太子からすれば、妻の大事な妹分で親友、そして懐刀であるアイラを辺境の地へ追いやることになってしまうので、悲壮感を漂わせ、強い決意を持って彼女を薦めたのだが。
シュリンは、なんと十四歳になる前から上級官吏として働いていたが、十五歳で本当に一人ぼっちになった。
両親が仕事先の異国の地で事故死してしまったからだ。
これまでだって親などいないも同然だったのかもしれない。
それでもまめに手紙のやり取りはしていたようだし、彼が両親の赴任先へ旅行代わりに度々出かけていたと耳にしていた。
家族を亡くした彼の焦燥感や孤独感は計り知れないだろう。
早めに彼に婚約者を持たせよう。
そもそも、いくらこれまでも優秀な家令に領地経営をまかせていたとはいえ、新たに当主になったシュリンが全く領地に関わらなくていいということにはならない。
そうなるとかなり優秀な妻が必要となるだろう。
バーディング伯爵夫人の座を狙っているご令嬢は山ほどいると耳にしていたが、生半可な令嬢ではバーディング伯爵を支えられないし、領地も守れない。
そう王族や宰相を始めとする国の要人達は考えた。
(王妃には申し訳ないが、やはりアイラに人柱になってもらうしかない。
もしここでシュリンが使い物にならなくなったら、この国の経済は回らなくなる。税制度の改革も軌道に乗り始めたばかりだし。
でも、王妃に、エメランダに嫌われたらどうしよう。
オーガスト、ロード、私を助けてくれ~)
と王太子は一人で葛藤していた。
その昔、行政書士とか社会保険労務士の資格を取ろうかな、と考えたことがありましたが、誤字脱字が多いので、向かないと諦めました。
現在小説を書いているときも、いくら見直しても脳が都合よく判断するため、見つけられません。
皆様のご報告で助けられています。
この章の話は自虐ネタです。(T_T)




