天の贈り物
「あの、それは人が入れるものなんですか?」
硫黄が噴き出し硫酸化していて近付くも危険なデッド・バス状態という、骨が転がる毒々しいイメージが頭から離れず、行くを躊躇い問うエムに、期待する応えは返って来ない。
「さあな! けど、天気は味方してくれそうだ」
「クエッ!」
山の天気は変わりやすい、ましてやここは森林限界手前の魔女の帽子、遠くから眺め観ると時折稲光が走っていたり、黒い雲が巻いていたりもする場所だ。
――GOGOGOOH――
強まる風に雨雲の内部で舞う氷の粒が削り合いに融けて霧状になり、霧となればぶつかり合わさり水滴へと変わる。氷の粒が削り当たる音が風の勢いに強まると、雲は霧で膨らみ竜巻き状態で山を囲う。
――DAKADAKADAKA――
屋根に硬い何かが当たる音、それがヒョウヤアラレといった氷の塊と理解するのに時間はかからない。
直ぐに雨と化したものまで降り注ぎ、氷の粒が打ちつける音に雨音までもが混ざり合い、氷が流れて水に浮きシャーベットを崩すシャリシャリとした音へと変わり始める。
「こんだけ氷が入れば……大丈夫だろ!」
適当な確信を言うランディに不安しかないエムは、外の風呂を指し示す。
「いや別に、温泉でなくても。そこのお風呂で良いんですけど……」
「そいつは、この間っから凍っちまってる!」
訊けば、北からの寒気が迫る折には雨が少なく、岩を削り出した外の浴槽は吹き付ける冷気に触れて凍ってしまい、氷から沸かすのに使う薪が勿体ないから温泉に入るのが一番だと言う。
だが、ヒョウやアラレが降ってなんぼのマグマ直火焼き温泉に入る危険と、平原にない木を求め下山して薪を調達するのと、リスク的にどちらが上かと山暮らしの苦労を今に知ったドラー・エム。
よくよく考えてみれば薪だけに非ず、この小屋や家畜小屋や樽やベッドや椅子やテーブルやと、岩を削り出した物より木材を使っている物が殆どだ。
特に、この小屋に使われている木材の太さからして、相当な重さを有するだろう木材を一体どうしてあの崖から持ち上げて来られたのか、ランディの太い腕とて崖を登るが困難だろう事は明白。
「よし、行くぞ!」
「クエッ!」
疑問に思考を巡らすエムを手招きに誘い小屋を出て行くランディとペンタゴン、走り出した一人と一羽を見て焦り追いかけ雨降る中を走る一行。
雨の勢いも弱まり、雲間に覗く月明かりが夜の平原を走る彼等を照らす、その後ろ姿は既にパーティーそのものだ。
「て、何これ。凄い綺麗なんですけど……」
目の前に広がる火口湖を囲む芝桜の絨毯に圧倒される。
岸辺は枯れた草や鳥や何かの骨が転がる砂地だが、マグマ直火温泉だけに周囲は温暖な気候にもなり高地とは思えぬ南国の彩り豊かな花々までもが咲いていた。
「お、晴れるぞ」
山の天気を読むランディ、その言葉通り雲が風に流され消え去ると、宙に広がる輝く星々、下を見れば湖面に星の輝きが映り込む。
「おっ! 今日は最高のコンディションだ」
樽で掬い取った湯に恐る恐る手を入れたランディは、次の瞬間には服を脱ぎ捨て、湯をかけ流しては身体を擦って汚れを落とす。
「クエ〜」
ペンタゴンも湯の縁で水浴び程度に出たり入ったりを繰り返し、入るか否かに躊躇い浸るを繰り返す。
エムも服を脱ぎ捨て身体を洗い、湯に浸かろうと足を踏み入れ二歩三歩と進んだ所で姿を消した。
「ぬぼぉっ!」
底深くではマグマが蠢き、魔の力を放出し続けるヘルズホルンの火口湖たる恐ろしさを身をもって知る事に、足の着かない湖で溺れて暴れバタつくエム。
「力を抜け!」
叫び駆け寄るランディよりも、溺れる近くで優雅に泳ぐペンタゴンに怒りを覚える所だが、ふと、自身も泳げる事を思い出したエム。
「あ、泳げば良いのか……」
助けに向かったランディは心配が杞憂に終わり、勇者を言うだけあって器用に泳ぐエムの姿に、ただ者ではないと感じさせるだけの熟練した技術と判らせる。
無論、それが学校の体育で習ったクロールや平泳ぎや背泳ぎだとは知る由もない。
「クエックエックエッ!」
けれどエムの泳ぎは下手な部類で、そもそもバタ足を駆使する度に湯をかき混ぜているとすら理解していない。
よって……
「熱っ! 何だこれ?」
「あ、火口湖のお湯を撹拌するバカが居るかよ!」
慌てて岸を目指して泳ぐ二人の足下深く、火口の穴は二千メートル程あるとはいえ、湖底の底を這う赤黒く鈍い灯りはマグマ直火温泉たるを判らせる。
「クェ〜……」
水温上昇を察してか、先に岸へと上がり湯上がりに台地の芝桜の絨毯に寝転び寛ぐペンタゴン。
数秒後、二人が息を切らして岸へと上がり、ペンタゴンの脇まで辿り着くと膝をつき、そのまま突伏し倒れ込む。
「撹拌?……そっか、バタ足したから」
「あの泳ぎ方はバタ足って言うのか?」
「え? ああ、クロールとか平泳ぎとか、色々です……」
会話するのにランディの方へと顔を向けたが、目の端の煌めきが気になり天を仰いだエムは、得も言われぬ絶景を目にして絶句した。
満天の星空に心奪われ目を輝かせるエムの横顔を見れば、その純粋さからも悪い奴ではないのはバカでも分かる。
安堵したのか鼻で笑うと、ランディもまた天を仰いで最後の星空を楽しんだ。
若き男同士は気さえ合えば理解も早く打ち解ける。細かい事はいずれに任せ、今を生きるだけで精一杯の若者二人と一羽の戦いに記する物語が始まる前夜。
花香る草原の台地で裸の付き合いよろしく、星明かり満ちる天からの贈り物を身体いっぱいに浴びていた…☆




