決別の境川
ランディは森に広がる熱波と煙に燻されながらも川の岸丘まで辿り着き、様子を窺い森の茂みに隠れていると、魔人兵は川を渡るかに悩む素振りを見せ、川の縁に立って崩れた南方の防壁へと向き、流れや何かを確認している。
距離にして二十メートル程か、背後から近付き足に触れて逃げようと考えたランディは、森の外へと足を踏み出し砂堤の岸を下り、河原の石で音を立てぬようにと慎重に慎重に足を運び距離を詰めて行く。
堰き止めを崩壊させた影響か川の流れは速く、濁流の音に石の擦れる音も消されていそうに思うも他の音が無く判断も出来ず、自分の耳には小さな石の音まで聴こえるだけに油断は出来ない。
途中、増水時に上流から運ばれたのだろう大木の切り株を過ぎた所で、突然背後から何者かに両の腕を鷲掴みにされて捕らえられ、大人の腕の長さには踵で後ろを蹴るも届かず。
切り株の陰から現れたのは兵隊のようだが魔人兵ではないらしく、抵抗に離せと騒ぎ暴れるランディに触れて尚も平然としている。
まるで粗大ごみでも運ぶかに、両の腕を持ち手にして掴んだままに持ち上げ、子供はおろか人を扱うような持ち方すらせず、ものぐさな態度に魔人兵の方へと歩み寄って行く。
ランディは足掻くも出来ず、腕から肩にかけての筋肉を強張らせ、背筋と腕に力を込めるも自身の全体重を肩関節の骨で支えるを耐えるのみ。
迂闊に動けば骨が折れると感覚的に理解したのか、これでは抵抗のしようもない。
「ガキを捕らえました」
待っていたとばかりに振り返った魔人兵は、腕吊り状態で捕らえられたランディを見て頬を緩ませ、恨めしい眼を向け殴りかかろうかとして拳を上げたが、はたと気付いて拳を止めた。
「お前が殺れ」
触れるを恐れて下の者を人柱に、殺るも任せる卑怯者が顔を出した所で、エボーナとべフォイが森を抜け出しその状況に目を走らせた。
「ええい、遅かったか……」
足を止めて悔しがるエボーナ、べフォイは下を向き、屈むと何かを手にして立ち上がり、策が有るのか静かに告げる。
「合図で走り肩を斬れ!」
魔人兵は視界の隅で動く何かに気付き顔を向け、二人を確認すると片方の口角を上げてニヤけた笑みで高らかに声を上げた。
「今度こそゼロの最期だ! そこからでは手も足も出まい!」
両の腕を掴み上げている中でどう殺れと言うのか、兵が一端ランディを下ろそうとした瞬間。
「行け!」
エボーナが走り出したのを見て嘲笑う魔人兵、間に合うものかと剣を抜くが、ゼロの血に触れるを嫌がり遠避かる。
エボーナは凡その策に理解を示し、敢えて直線ではなく右へ弧を描いて走ると、べフォイの投げた石は兵の背中に直撃し、痛みで身体を反らす兵に向け、エボーナは剣先を向けて遠心力に乗り突き進む。
――SUPPUUUNN――
エボーナは兵の肩より下に空く防具の隙間に剣を突き刺し、腕から脇腹にかけてを走る勢いに任せて斬り裂くと、そのまま剣を構える魔人兵へと足の流れに任せて斬り込みにかかる。
片腕から離され落ちたランディは体勢を崩しながらも着地はしたが、肩の筋を傷めたか、苦痛に顔を歪ませながらもエボーナの翔けるような姿に飲まれ、痛みを忘れて走り追う。
「魔法設計師がゼロを囲うなど、そんなもの許されてなるものかーっ!」
魔人の力に頭も慣れたか、力押しで剣を合わせようと中段に構える魔人兵を見たエボーナは、魔人とはいえ再生するにも身体が在ってこそなら、切り分けたならどうなるのか、そんな考えが頭を過ぎる。
エボーナは下段の構えで走りつつ、剣を振る直前にスッと肩を上げて上段の構えに変えると斜め上から剣先鋭く振り斬った。
――SUPPUUUNN――
魔人兵は為す術もなく首を落とされ、倒れる身体の勢いに遠く転げて行く頭部は苦し気な顔を浮かべたままに、まだ生きている。
足を止めたエボーナは、髪を掴み魔人兵の頭部を拾い上げたが、振り返ると思いもよらぬ事が起きていた。
「よせっ!」
エボーナを追っていたランディが倒れた魔人の身体に触れようとする直前、身体だけで起き上がった魔人兵は右手を地面に残し、ランディに向けて右の拳を突き上げ殴り飛ばしたのだ!
「トフォ゙ウェ゙ッ!」
――KABUUUN――
殴ると同時に魔人化が解けた事で兵の頭部も息絶えたか、脱力して頬も顎も落として果てた姿へと変わっている。
だが、魔人兵の力で放り込まれた拳の勢いはそのままに、ランディは流れを速める川の中へと放り込まれて尚、みぞおち辺りを殴られ意識を失っているのか溺れかけているのに反応がない。
咄嗟にエボーナは崩れた堰き止めの残骸で救えるものかに賭け、南方へと下り駆けるも川の流れが勝っていると気付き、とてもじゃないが追いつけそうにない。
「ええい、流れが速すぎる」
立ち止まり、何かを倒して新たな堰きを作り、一時的にも川の流れを緩められないものかと周囲を見渡し考えると、べフォイに遅れてムジル中尉が岸丘に追いつきこちらに向かっているのが見えた。
とはいえ、三人で出来る事など高が知れている。
駆け寄るべフォイに助ける方法は何かないかと訊ねようとしたエボーナだが、至近距離にもべフォイは走る勢いをそのまま維持して川へと向かう。
「十年を待て置け!」
エボーナの前を横切る際にべフォイが投げ掛けた言葉に、一瞬何の事か分からず眉を寄せたエボーナではあるが、べフォイがそのまま川へ飛び込むのを見て、直ぐにその言葉の意図を理解し言葉を返す。
「北だ! 北東の村、ザルヴェグを目指せ!」
荒れる川の流れにもべフォイは岸を振り返り、親指を立てて返すも一瞬に、前を向き直すと濁流の中を掻き分けるようにしてランディを追い、あっという間に崩壊した堰き止めより先へと流され、五秒もしないうちに遠く見えない所まで流されて行ってしまった。
息を切らして追いついたムジル中尉は、膝に手を付き息を整えながらに横を向き、エボーナがべフォイに向けて叫んだ村の名前についてを訊ねる。
「ザルヴェグと申しましたか、今やあの村もヴェゼル国領ですぞ」
「だから何だ。十年をかけ中立国にしてしまえばいいだけの事」
驚きと納得を併せ呆けた顔を向けるムジル中尉だが、もう一つの問題を提起しようとして、ですが……と、言いかけた所でエボーナはそれを制するように言葉を続けた。
「あのべフォイという男、このタヘルがメヌエに属す前には君主として居た貴族の出だ」
え? という顔を向けるムジル中尉に続けて語るエボーナの話によれば、逸話に残るタヘルの戦士は、武具を使わずとも拳術でゼロを助けたとあるらしく、先の一本道でべフォイが魔人兵を相手に見せた動きからして、その拳術を伝承されている可能性が高いと言う。
ゼロの力を使う動きとして最も適うものに思えていたエボーナは、べフォイが十年とした事こそがその証しと見て間違いないと確信し、自身もまた十年でザルヴェグを制して見せようとするものだ。
「行くぞ、十年などあっという間だ」
「ん、はっ!」
ムジル中尉はエボーナの言う十年の捉え方が判らず一瞬戸惑いを見せるも、付いて行くと決めた覚悟に揺らぎはない。
ランディをべフォイに任せ、川を背にしたエボーナとムジル中尉は急ぎハール達の待つ北の平原へと歩み出した。




