力の根源たる深淵の底
突然現れた女が少年に向ける眼を見たエボーナは警戒に剣を握ると、ハールは肩へ手を置きそれを制する。
「ケア、どうしてここへ」
「それはこっちの台詞だろ!」
べフォイは息子夫婦との再会にも驚きの顔を向け、まさかの事態にヒールの腕を掴むが振り切られる。
「触らないで!」
キッ! と睨みを向けたヒールの顔は、ケールが果樹園で怪我したあの日にべフォイへ向けた顔と同じと判る。ヒールの眼には積もり積もった怒りが溢れていた。
瞬間的にまずいと感じたべフォイは、ランディを守ろうとヒールの前に立ちはだかり、両手を広げて制止する。
「退いて! どうしてアンタがケールを殺した人殺しの味方をするのよ!」
瞬間、理由を知らない兵以外の皆が顔を強張らせたが、それは夫のケアも同じで……
「ヒール!」
――PAAANN!――
振り返り様に頬を打たれたヒールはその場にへたり込む、意気消沈したそれは平手の力が強かった訳ではなく、夫のケアが自身へ向けた心に打たれたからに他ならない。
ケアは、ケールが亡くなりヒールが魔法に対する否定的な考えや国に責任を求めていても黙っていた。けれど今日のこれには手を出す程に感情を露わにして自分を止めに来たケアの考えが分からなかった。
「ヒール、もうよせ。家を諦めてここへ来たのはお前だ。ヒール!」
「何を……!」
何を思い出したか、突然怯え始めたヒールの様子にも、夫のケアには理解が及んでいるのか冷静な顔を向けている。
「さっきまで忘れてたろ、家にはケールの砂がある。俺はヒールが悔やむだろうと家に行く方を選んでいた。けど、お前は生き延びる事を考え俺を説いてここへ向かわせたんだ」
「ああ、ああ、あああ……」
理解すればする程に自分のした行為や考えに怯え、恨みを自身に向けるも過ぎた選択に悔いるしか出来ず、ケールを二度殺したような気持ちにでもなっているのか、ヒールは自分が怖ろしくて悍ましくて自暴自棄に自身を攻撃しようとするが、その手を掴み抱きしめたのはケアだった。
ケアの体温が冷え込むヒールの心に伝わると涙を浮かべ、声を上げると天を仰ぎ、目から流れ落ちるその量は、これまで独り溜めていたのだろう哀しみを物語る。
それはケアも同様だ。
ケールが亡くなったのだろう時間に自身は、果樹園に出た魔害虫が農園に広がるのを恐れ、サボンヌに浄化と再生の魔法陣を頼み、べフォイと共に仕事に徹していた事を悔やみ、ヒールにかける言葉を失っていたのだから。
自分の母親が過労で亡くなって尚も、家族の為にと仕事に徹した父べフォイの気持ちや考えを理解し、ヒールに声をかけられずにいた自分を責めていたが、こうして抱きしめた今ようやく理解していた。
今のヒールは亡き母への恨みをべフォイに向けた自分と同じなのだと。
「悪かった」
べフォイに向けるケアの言葉に、べフォイもケアの想いを理解しているのだろう。抱き合う二人を大きな腕で囲うとべフォイもまたようやく自身の負っていた責の荷を降ろすかに、涙を流し深く深く息をし熱くなる胸を冷ましている。
けれど、その最中にランディは、ヒールの言葉で頭の中にかかっていた靄が吹き飛び晴れ渡ったか、あの英雄伝説で魔害のゼロが持つ力によって敵を砂に変えたという逸話をハッキリと思い出していた。
自身の持つ力の根源たるものが何をもたらすのかを、ケールの死が自身の力によるものであるかを知らしめるように、思い起こしていたのはケールと最後にかわした左手の握手……
魔害のゼロが敵を倒せば、英雄伝説では皆に称賛の言葉を向けられるが、ランディはその力によってケールを砂と変え、ヒールから向けられた言葉は人殺し。
英雄伝説とはかけ離れた“人殺し”の言葉が身体中を駆け巡る。
まるで自身が悪に染まって行くかにも感じられ、悪魔などという概念も持たぬランディには先に見た魔人のそれと自身を重ね、魔の力に飲まれて行くような感覚に襲われていた。
「ランディ! ランディ! またなの?ランディ! ちょっと、大丈夫?」
ムネッタの声に皆が気付くより前にランは駆け寄り、ランディを強く強く抱きしめ言葉をかける。
「怖くない怖くない怖くない……」
力の目覚めに自身を恐れる事を止めさせようと、必死に声をかけるラン。だがケールを殺した事実は、力の根源に秘めたる恐ろしさを八歳のランディに理解を向ける。
力の根源たる退魔の力の深淵を覗かせようとする魔の力は、ランディの思考を飲み込み、人や獣を魔物と成す過程のそれと等しく、魔の力の渦に飲まれたランディの思考は溺れる子供と同じように独り静かに深淵へと溺れて行く。
深淵に近付いたのかランやムネッタの声も遠くなり、目の前には炎を噴き出し明るく燃え盛るマグマがあった。
マグマはその熱量を陰と陽とに様々な模様を作り出し、所々で噴き出す炎はランディの心と身体を焼き尽くさんとする熱を浴びせ、“ソコ”にある脅威は恐怖を持つより感情を揺さぶる何かを持たせる。
考えようとすれば脳に力が押し寄せるかに頭は火を吹き、腕を上げようとすれば腕力を押し上げるかにマグマから伸びる炎が纏い付く。
〈魔の力とは、マグマの生む熱そのもの〉
そんな考えが頭に浮かんだ次の瞬間、マグマの描いた模様は見た事があるようなないような、遠い遠い昔の記憶を呼び覚ます。
「おじいちゃん?」
おじいちゃんの顔を知らないのに、そんな気がしてマグマの模様に向けて声をかけていた。
それは、うなされ苦しむ現実の身体からも発せられ、抱きしめるランやそれを見守り囲むムネッタやグウェルガやエボーナ、ランディの様子に我に返ったエスナ一家もその声を聞いていた。
ランが抱きしめるランディの身体は様々な変化を見せていて、それは正しくランディが思考の中でマグマの炎を纏わせた頭や腕に具現化されていた。
「この少年に何が起きている」
ランディの身体の変容は、エボーナの知る魔人化に起こる現象とはまるで異なる。
「この子、魔の力そのものと戦ってる」
シリッタはサキュバスとしての見解なのか、魔の力の根源たるものを知るかに応え、グウェルガがシリッタの肩を掴み何故を問う。
「そんな、それはゼロの力で勝てるものなのか」
シリッタは皆に見られて少し興奮気味に頬を紅くし、義理の弟との行為を浮かべているのか笑みを浮かべる。
――KOTUNN!――
母親の性癖に気付いたムネッタが脛を蹴り上げ、娘の顔と痛みで母親に戻ったシリッタが応える。
「勝ち負けじゃなく、ランディがどうしたいかよ」
意味は分からないが、ランディの考え次第で魔の力から逃れる事が出来るのなら、意識を取り戻す事も可能と理解し皆もランディに願いを向けた。
「ごめんなさい。私、私が……」
ヒールは自身が向けた人殺しの言葉に責任を感じてランに謝りを向けるが、ランは首を横に振るに留めランディから目を離さず静かに一言を告げる。
「ランディ、あなたもみんなを助けるヒーローになるんでしょ」
ランディが見ていたおじいちゃんの顔をしたマグマの模様が、母親の顔へと変わる。
それまで遠退いていた声がハッキリと届き、眼前の力を何に使うかを理解したと同時に意識が戻り、瞼を開くと母ランの顔があった。
「うん。ゼロになってみんなを守る!」
皆が安堵の顔を浮かべた直後、背後から近付く拍手の違和感に振り返る。
すると、いつから聞いていたのか南方の道の草陰から現れたのは四人の魔人兵を連れたジャーゴンだ。
「しまっ……」
エボーナは剣を抜こうと握るが、逃走の準備に兵を道の北東側にやっていた。周囲に居るのは女子供を含めた民間人とハールのみ。
ムジル中尉の兵二十人を背後にして戦える筈もないが、平然として立つジャーゴンの余裕は魔人化の自信家を表すもので、元より剣術に優れた騎士四人の魔人兵を相手にしては、二十人の兵とて勝ち目はないだろう。
勝機があるとすれば……
エボーナは下を向き、少年に視線を向ける。




