エボーナの瞳
村の川側に建てた防壁の手前まで来たジェット一家は、ハールが陣とする事務所のような建物の中へと誘われ、進み入ると窓の戸は閉じ部屋の明かりも最小限に、応接間としての役割りもあるのか、テーブルを挟んだ対面の長椅子へと案内されるが、それを固辞。
領収書の束が置かれる脇の机の向こうに立つ男の姿は、以前ロシナンテと逃亡劇を演じた折に教会で見た時と同じく、頭に白い布を巻き額の上には金の留め具の階級章、澄まし顔の色白青目の細い目が一瞬ジェット一家を見て少しだけ開いたようにも見える。
「……なるほど、それでか。そのアルビノも力のせいなのか?」
固まるジェット一家に歩み寄るエボーナは、グウェルガ・ラン・ランディと舐めるようにして見た後、微笑みを向け歓迎に握手を求め手を差し出す。
緊張と警戒に強張り震えながらに手を向け握手に応じるグウェルガ、ランは見定めるように力強くエボーナを見つめて手を差し出し、眠たいのか不安なのかに怯えるランディに向け、屈んだエボーナが頭を撫でた次の瞬間。
――KABUUUN――
「な、……」
何が起きたか、クラッとして頭に手をやり膝をつくのを何とか堪え、長椅子の背に片手を置き、もう一方の手を頭にやると収縮する何かから流れ来る意識と記憶の回帰に困惑するも、精神力で己を制して荒げた息を整える。
「エボーナ様、如何なされましたか」
心配したハールが呼びかけ、ムジル中尉が脇を支えて顔を覗くが、エボーナは黙り眉間にシワを寄せて歯を食いしばり全身の筋肉を強張らせている。
ようやく峠が過ぎたか支えを断り独りで立ち、息を吐き尽くすと目を開き、少し吸い込み前を向く。
「そう言う事か、全て思い出した。なるほど、これでは誰も逆らえん訳だ」
先までより少し瞳が開いているようにも見えるエボーナだが、何が起きたかまでは解らない。
エボーナが何を思い出したかも解らないが、いつからか失われていた記憶の全てを取り戻したのは間違いない。
「ハール! ムジル! ジェット一家をここへ迎える。歓迎に握手をしておけ」
ジェット一家を迎えたこれを決起集会の如くに捉えたか、ハールとムジル中尉にジェット一家の歓迎を促すエボーナだが、細い目の奥には何かを試み企てを図っているかのようなギラつきがある。
ムジル中尉は握手をしても特には変わらず、ランディの小さな手には騎士の差し向けた手はあまりに大きく、指三本と結びそれを揺らした。
白の階級章が目立つ青い布を頭に巻くハールは、その布の高さを引けばランと然程変わらないようにも思え、小柄な青目のお付きのハールが握手をするが、ランディと握手をした次の瞬間。
――KABUUUN――
ハールはエボーナと同じように頭に手をやり意識を失いかけるが、それを見越していたかにハールを支えたエボーナは何が起きたかを知るようで、やはりな、とでも言うような納得の笑みを向け、答え合わせに思考を巡らす。
落ち着きを取り戻したハールが思い出した何かを口にするのを遮るように、先んじてエボーナは視線をランディへと向け覚悟を告げる。
「これが【魔害のゼロ】を恐れる理由か! ランディ君、我々は君を匿い、その日を待つとしよう! 貴方方夫婦も私の隊が守る。それで構わないか?」
ハールが姿勢を正すと自身に起きた事実を受け容れたのか、ジェット一家の応えを待たず、続けて作戦内容を伝え始めた。
「まったく、これでは犬同然の扱いではありませんか。私は許しませんよ! ジェットさん、明日の朝までに川岸を北へと進み、夕刻までにマリルの村へ入ります。そこで」
エボーナとハールに何が起きたか判らず眉を寄せるムジル中尉をさて置き、ハールが作戦内容を話す中、ランは言葉を遮り強い口調で口を挟んだ。
「行けません!」
エボーナとハールは目を合わせるが、問うよりランの動向を覗う方が早そうだと理解したのか続きを待つ
グウェルガもランの強い口調に驚いたようだが、一瞬たじろぐも直ぐに理解を向けてランの肩に手を置いた。
「ゼロの妻子と目されている方は本物です。彼女達を置いて行く訳にはいきません!」
ハールとムジル中尉と三人共が寝耳に水と言った顔で見合い、エボーナはランに訊ねる。
「どういう事だ」
ランは下を向くと自身の決意に心はざわめき難色を示しているのか、頭と心の対立に話していいものかを考えているのだろう。
けれども、グッと拳を握り不安な心を堪えて前を向く。
「ホール親子は、ゼロの妻子。私はゼロの妹です!」
面食らった顔を見せるエボーナ・ハール・ムジル中尉の三人は、驚きの口を開いたまま言葉を失い、思考が追いつかないのか停止したのか頭を働かせようと頭を抱えたり叩いたり長椅子に座り込んだりと、三人三様に呆けた頭で悩み、エボーナは足らない酸素を求めて深呼吸する。
「……兄妹か、まさかな、……いや、待て、では兄の娘にもその力が」
「有りません。恐らくですが……ただ、問題が」
即答するランの応えに迷いが見え、難色を示していた理由こそが問題なのか、煮え切らない話に焦れて来るエボーナは、回り始めそうな思考に水を差されているようで苦々しい顔をする中、ランは覚悟を決めて口にした。
「兄の嫁、シリッタ・ホールはサキュバスです!」
驚きよりも呆気にとられたようで、ロシナンテが耳にしたというBARでの噂が真の話であったと判り、エボーナは記憶と思考が繋がり回り始めたか、母親がサキュバスとはいえ娘には力も無く、ゼロが現れなければジャーゴンにとっては用無しとなる事からも、悩み考え疑問を投げる。
「兄は何処に居る」
「判りません。恐らくは……」
舌を打つと、逃亡計画を破棄せざるを得ないと理解したのか次のプランを考えるのにハールの思考を呼び覚ます。
「ハール! ジャーゴンからゼロの妻子を奪う。手を考え練り直せ」
「……!、はい」
「ムジル、やれるな」
「はっ! 勿論であります!」
エボーナの言葉にランはようやく顔にほころびを見せ、グウェルガは顔を近付け肯き合い、歓びに抱き締め安堵に天を仰いで涙を浮かべる。
ランディは何が何だか解らないままその場に立ち尽くしてそれを眺め見ていると、ランが手を差し向けグウェルガと共に囲いの中へと誘い入れると、湿度の高い顔を近付け頬ずりとキスが襲い来てはそれを嫌がるも、解らぬままにぐちゃぐちゃにされていた。
エボーナは腕を組んで指を顎にかけていたが、明日の昼に揺動作戦を頭に描くが、一つ気になっていた事を思い出し、抱き合うジェット一家の方へ顔を向けると、空気を読むなど考えもせずに問いを向けた。
「グウェルガ、君とエスナ農園のべフォイはどういう関係だ」
問われハッとし少し考えながら囲いを外して立ち上がり、頬の涙を拭いて散らばる思考を纏めて応えに落として口にする。
「そうだ。べフォイなら味方になってくれる。彼は、ランディの力にいち早く気づいた男です」
ランは、べフォイの名と自分の名を聞き不安を見せるランディを抱き締め、背中を優しく叩くと「大丈夫」となだめ不安を取り除く。
エボーナは、べフォイがランディの力に気付いた理由を考え始め、一つの答えに行き着いた。
「息子の死か!」
途端、グウェルガとランが睨みを利かせ、ランは聞かせまいとしてランディを強く抱き締め苦しがるランディ。
意図に気付いたハールがそれを制するかに注意を促す。
「エボーナ様!」
ハールが視線をランディを抱き締めるランに向け、直ぐに戻すと首を横に振る。それを見てようやく意図に気付いたエボーナは、子供への配慮を失念した事に恥を見た。
「……すまない。配慮に欠けた」
軟らかく首を横に振るランとグウェルガ、大人の話に理解はしているのだろうが、ランディには気付かせたくない想いに向けた事。
そもそもべフォイからそれを聞いている時点で、べフォイがどれ程苦しんでそれを受け容れたかを思えば、ジェット夫婦の苦しみは、けれどまだ八歳のランディにそれを受け容れられる筈もなく、知れば心が壊れ兼ねないからこそに、まだ伝えずにいる。
エボーナは口にこそ出さないが、その力の使い道に闇を斬り裂く力と共に災い。呼ぶ悍ましさとが、無垢な顔をする子供の中に収まっている事の不遇さ故か、神のする残酷な悪戯にムカつきを覚えると、マウワー教会のしているそれを討つ決意を固めるに十分なものに思え、マウワー教会を敵と見定めた。
だが、エボーナは一つの疑問に辿り着いたか、不安要素を口にする。
「待て、逸話でゼロは、教会全てを敵にしていた……」
エボーナの細く鋭い視線を受けたランはゆっくりとして肯きを返す。
「まさかな……そう言う事か」
この世界で蔓延るモノに気付いたエボーナは、倒す相手の大きさを知り深くため息を吐くと、奥歯を噛み締め恐怖を押し殺そうと目にも力を込めると、普段よりも見開いた瞳は遠く果てしない世界へと向けられていた。




