ケールの眠りと魔法陣
村の外隅に置かれていた防衛魔法陣の組み込まれた石板や岩は、ランディの退魔の力により砂となり、皆が眠る夜のうちに村を囲う防衛魔法は消失していた。
村を囲う盾が消えた事で、変魔の森の魔の力のみならず、当然のように敵国の攻撃魔法も村内の至る所に影響を及ぼし始める。
どの国も防衛魔法陣に魔力の殆どを使う為、敵国の攻撃魔法と言っても微々たるもので、自国領土の端に置かれる防衛魔法陣の流れに手を加え、“浄化と再生を促す魔法”の魔法陣を逆打ちに刻み、元よりある魔の力に掛け合わせて流すだけという単純な仕掛け。
その殆どは目に見えない小さな変化で、井戸の水は濁り果樹には害虫、家畜には伝染病と、不幸の連鎖を天候や魔獣の仕業と疑い始める程度。
だが、防衛魔法陣を失った今のタヘルの村には、どんなに薄い攻撃魔法であっても確実に侵攻され行く状態にある。
魔の力の流れに澱む攻撃魔法を雑味と感じているのか、魔獣も妙な何かを警戒して村の方へは近付かず、魔獣が入らぬが故に防衛魔法陣の効果が持続しているかに、村の生活も普段と変わらない。
そもそも防衛魔法陣を管理する筈の魔法師サボンヌは、魔法陣の刻まれた石板や岩の確認も清掃もせず、いつの頃からか昼から酒を煽り遊び怠けるようになっていた。
村の外隅に置かれる石板や岩が砂となり消えたとて、元より伸びた草葉の陰に隠れていたのだから誰が気付ける筈もない。
防衛魔法陣が失われて数日が経った頃、攻撃魔法の効果が少しずつ影響の範囲を拡大して行く中、天災程度に考え未だ気付かず、果樹園では不作に肩を落とす姿があった。
農園を営むエスナ家の主ケアは、果樹園で不出来が多く見つかり、妻のヒールと果実を手にし何が原因かを考えるより不作の損益を売価に転嫁するか否かに険しい顔で話し合っている。
経営から身を引いた祖父のべフォイ・エスナは、息子夫婦から少し離れた所で熟す手前の採り頃果実を収穫しつつ、不出来の果実を手にし見詰めて、要因を考え視線を地面に落としてしゃがみ込む。
土を手に取り親指で器用に選り分け探るも見つからず、けれど土壌は乾きが進み硬化に砕けた砂状の粒が多く含まれていた。
その土壌が適す適さないは果樹の種類にもよる、だがべフォイが収穫している果実には適さない。
経営についての論戦が過熱する息子夫婦の荒げる声を尻目に、収穫を再開しようと不出来の果実を放って捨てると、収穫の手伝いに来ていた孫のケールがそれを手にして口を開いた。
「これ、売れないの?」
「ああ、売れない。けど、ジャムにすれば高く売れるぞ」
息子夫婦の経営に口出しするのをやめたべフォイは、過去にも起きた不作の折の手段を知っている。とはいえ、ジャムにして売るには器や砂糖や労力を別に必要とする。
過去の経緯で息子のケアにもジャム作りに働かせるなど親族総出で経営難を乗り切ったが、その過労からか妻は亡くなった。
ケアは未だにそれを引きずり、べフォイが殺したと考えているのが窺え、ジャムの話は良しとしないだろうと言わずにいる。
孫のケールは不出来の果実を拾い集めてまとめ置き、べフォイは収穫を再開し、もいだ果実を木箱へ入れるを繰り返す中、手にしようとするも不出来の果実に何かが付いているのを見て顔をしかめたべフォイ。
「……何だ?」
採ろうとする果実の裏側で何かが動いた気がして、べフォイは体を反らして周り込んで覗き見ると、それが何かに気付きハッとする。
「まさか!」
果実に付いていたのは禍々しい色をした魔害虫だ。
空を舞う鳥が落とす糞に含まれる虫の卵や、肥料として村外から持ち込まれる堆肥や藁などにも潜んでいたり、馬車の底や車輪は魔の力の流れを超えるも一瞬だからか入り込む事はある。
だが、大抵は“農初め”に行う“浄化と再生を促す魔法”の儀により、土壌改善効果で魔害虫の類も駆逐されてしまう。
けれどべフォイが目にした魔害虫の大きさからして、この果樹園の中で育ち果実を食していたのは明白。
それはつまり……
「……おい、ケール!」
慌て振り向き孫を探すべフォイ。
この果樹園で繁殖しているなら魔害虫が一匹の筈がないと判るが、それは同時に、食べ頃の果実を求め食しているなら、不出来となった果実がそれだ。
そうであるなら……
「よせ、それに触るな! ケール!!」
孫が拾おうとする不出来の果実に禍々しい色の何かが張り付いているのが目に入り、焦り叫んだべフォイの声に、息子夫婦も何があったかと論戦を止め、ケールを探しそれを見る。
だが、子供は普段から怒られ自制するような条件反射がない限り、一度伸ばした手を咄嗟に止める動きは難しい。
「ほら見てー! いっぱいジャム作れるよー」
果実を掴んだ方とは逆の手で、まとめ置いた不出来の果実を指し示すケールだが、掴んだ果実に蠢く何かに息子夫婦も気付いたか、何かは判らずも焦りに叫ぶ。
「ケール! その実を捨てろーっ!」
捨てずともジャムにすれば高値で売れる。それを祖父から聞いたばかりのケールにとっては、ケアの言葉はその意味を変える。
「捨てなくてもジャムにすれば高く売れるんだよー!」
そう言って高々と掲げた果実から、ケールの腕へと渡り歩く禍々しい色のそれは、必死の形相で駆け寄るべフォイを嘲笑うかに牙を剥く。
「な、うわあーーっ!」
魔害虫が腕に掴まり歩む爪の痛みにケールも気付いて騒ぎ出し、腕を振るが離れない。
振れば振るほど爪を食い込ませる魔害虫は、べフォイがあと一歩の所でケールの腕に噛み付いた。
痛みに泣き叫ぶケールの腕は、噛み付き肉を引き裂かれ、血を食む序でに肉を溶かす毒を流して食べ易くする。
暴れるケールの腕を掴んで魔害虫を取り除こうと、魔害虫の腹を掴んで引っ張るが、余計に爪を食い込ませるばかりで、痛がるケールの声に後から追いついた母ヒールはべフォイを責めて止めさせる。
一刻を争う状況で判断を誤れば死に至り、躊躇う時間も無い状況、ケールの泣き叫ぶ声に耳を塞いで力尽くで引っ張がしにかかるべフォイ。
べフォイのそれを許すまじと、母ヒールはべフォイを叩くが動じない。
べフォイが何とか腕から脚を剥がした所で、ケアは剪定バサミのような農具を持って走り寄り、それを魔害虫の首の辺りに挿し込み刃を入れ挟む。
――ZAKKUNN!――
腹と頭部を切離されて尚、魔害虫の頭はケールの腕から口を離そうとはせず、噛む力を強め毒を垂れ流し続けている。
「牙だ! 顎から切り落とせ!」
べフォイの声にケアが動く。
――ZAKKUNN!――
急ぎケールの腕に残る牙を抜き、肉を食い千切られた傷口に口を付けて毒を吸い取り吐き捨てるを繰り返すべフォイ。
へたり込むヒールを目にしたケアは、歩み寄るとその肩を抱き、怯えに震えるヒールと見守るしかなく時を待つ。
「ケア! 教会に連れてけ!」
毒を吐き捨て叫ぶべフォイの言葉に肯き、急ぎケールを抱いて走り出すケア。
手や口元を血に染めるべフォイもまた、毒を吸って口に含んだ折に多少溶かされたのか、ヤケドのような症状が起きている。
腰が抜けているのか座り込んだまま動かないヒール、手を差し伸べるべフォイに対してヒールはその手を払い除けると罵声を浴びせた。
「アンタのせいよ! 私達への腹癒せにケールに下らないジャムの話なんかして! 絶対許さないから!」
捨て台詞を吐くと怒りで力が入ったのか、スッと立ち上がりケアの後を追って走り去るヒール。
べフォイは差し伸べた手を収める事なく膝をついたまま息を吐き出し、己を悔いて手を握りしめ、魔害虫の頭を殴り潰す。
――GUBUTYA!――
それで気が晴れる筈もなく、怒りと悔しさと情けなさに泣きたい気持ちが込み上げるも、泣ける気持ちも許せないのか自戒の念に苦しみ歯を食いしばって上を向く。
涙も出せないべフォイの目に、周囲で蠢く魔害虫の姿が一つ二つと、果樹から落とした不出来の果実を狙って歩み寄る姿を目の当たりにし、自身の反省を後回しに果樹園を後に教会へと足を向けた。
べフォイが教会に着くと、ケアとヒールは治癒魔法の処置方法で揉めていた。
ケアは教会の救護施設にある治癒魔法陣が刻まれている岩のベッドに寝かせて治癒を促す処置を望むが、ヒールは原子のテム教で行う、身体に直接魔法陣を刻む処置の方が治りも早いと豪語する。
ケールが痛みに気を失っている今ならと、早く治してあげたい気持ちがヒールを突き動かしているようだ。
ケアはヒールの言葉に肯き、身体に直接魔法陣を刻む方を選択。
何処で飲んでいたのか、村の仲間に抱えられて教会へと戻って来た魔法師サボンヌは、エスナ夫婦の申し出に戸惑いながらもそれを受け容れた。
酔い冷ましに聖水の杯で顔を洗うと、彫刻刀のような聖具でケールの背中に直接魔法陣を刻み始める。
小一時間程で処置を終えたサボンヌは、手を血に染めてエスナ夫婦の下へと歩み寄る。
「もう大丈夫」
久し振りの処置に、疲れとやり切った感が同時に襲い、祭壇に腰掛けヘタレ込む中、勢いよく開いた扉には子供達の姿があった。
「ケールは?」
「魔獣に喰われたって?」
「ケールは魔人になっちゃうの?」
ランディとマルコとムネッタは、教会に居ない魔法師サボンヌを探す大人の話を聞きつけ、ケールの危機に心配して急いでやって来たと言う。
ヒールがサボンヌに顔を向けると、どうぞと言った感じでケールの居る部屋へと手を向けるサボンヌ、それを見たヒールはケールの居る部屋へと子供達を連れて行く。
ヒールが消えたところでべフォイは、先に見た果樹園に巣食う魔害虫の存在をケアに告げ、処置を終えたばかりのサボンヌを連れて果樹園へと向かい教会を後にした。
処置を終えたケールは母ヒールが部屋に入ると目を覚まし、甘えに抱きつこうとするが、続いて入る友達の姿が目に入り、慌ててかしこまると強がりに笑顔を向けた。
魔害虫にやられた方とは逆のケールの左腕に、ヒールと共に皆で手を当て、お見舞いの言葉を投げかけると、その左手を持ち上げグーにするケール。
「大丈夫! 明日には遊べるさ!」
そう言って強がるケールをヒールが制し、「もう遅いからまた明日ね」と別れを誘い、マルコ・ランディ・ムネッタと、ケールの左手に皆が一人一人握手をして帰って行った。
「じゃ、また明日!」
だが、翌朝エスナ夫婦が教会を訪れると、サボンヌが冷たい表情で待っていた。
「実は……」
サボンヌの話を聞いたヒールは腰が抜け、教会の冷たい床にへたり込み、ケアは頭を抱えそのまま教会の柱に頭を打ちつけ崩れ座り込むと泣き叫ぶ。
夜のうちにケールは砂となり消えていた。




