**最強の鬼と愛を育んでいます【彼のお家に定期巡回】
人の踏み入れぬ晩秋の深山に、湯けむりの立つ極楽があった。
岩盤の亀裂からこんこんと湧き出る湯が、獣やその他諸々の類の傷を癒す。
熊や猿、鹿や猪に混じり、天然の大露店に浸かるうら若き娘が一匹。
一匹と数えたのは、その娘が額から一本角を生やした魑魅魍魎の類だからだ。
名は月。
名の通り、髪は冴え冴えとした銀髪。
肌も抜けるように白くて、村里に降りれば、やれ“白髪鬼”だ何だと恐れられる深山の主だった。
「ふうう……」
月は肩まで湯船に浸かり、頬を朱に染めて深く吐息を漏らす。
額からは珠のような汗が吹き出し、顎先まで流れて、湯に波紋を一筋二筋。
瞑っていた眼を開けると、先祖由来の金色の瞳で掌を見つめて、指先からゆっくりと折り曲げ一握り二握り。
膂力が戻ってきたのが嬉しいのか、桜色の唇をほころばせ白い牙を舌でぺろりと舐めた。
その様子を30㎝ほどの小鬼が、下卑た笑みを浮かべて見つめている。
湯船の中で島に見立てた、小ぶりで平らな竜紋岩。
その上に立つ小鬼は柏手を一つ打ち、身をくねらせ揉み手をする。
「けへへへっ、月さまぁ、何やら精気がみなぎっているご様子っ。
そんなに、待ち遠しかったんですかねえ。きひひひひっ」
「ん~、なんだい? あたしが何だって~?」
「だってそうなんでしょう? あれなんでしょう?
治ったらまた行くんでしょう? 山小屋にい。
ほんっと好きですねえ。
私もあやかりたいもんですよ色男に、くひひひひっ」
「なあんだ、あんたも連れてってやろうかあ」
月はにっこりしながら、湯船を犬かきした。
小鬼のいる数m先の竜紋岩まで泳ぎ着くと、ざぶりと立って、岩に白い尻をぺたりと乗せる。
そうして脇に立つ小鬼の頭を、優しく撫で回す。
「あんたちょっと、背が大き過ぎるねえ。
ヤツデポイの葉に包み切れないよ」
「へ?」
月はそう言うと、撫でる掌を一気に真下の岩へと押しつけてしまった。
掌と岩の間で、小鬼がぱちんと爆ぜて煎餅のようになる。
月は手の隙間から広がる、じくじくとした血糊に話しかけた。
「あたしに舐めた口、聞いてんじゃないよ。
いいよ、お前も連れてってやる。
但し、手土産の干物としてなあ」
月は赤く染まる掌を握り込み、もう一度具合を確かめると、尻をずらして肩まで湯に浸かった。
「ふう……全快まで、あと二日って所か」
二日が経ち、月は手土産の干物をもって、山を駆ける。
精気が回復した月は凛とした表情をし、全身から鬼の気がみなぎっていた。
白銀の髪は星を散りばめたように艶めき、燐光を放っている。
肌もふっくらとして、頬や裾から見える膝小僧が、きれいに桜色だ。
美の化身。
そう呼びたくなるほどの美しさが、そこにあった。
溢れていた。
ただし凄まじい殺気もまた、まったく隠そうとせず、周囲に放射し続けている。
鬼の気に当てられた羽虫や小鳥が、草木より眩暈を起こして落ちていく。
月は胎内に熱をはらみながら、ある男の元へ駆けていく。
「どれだけこの日を待ちわびた事かっ」
息を切らすことも無く、幾つもの山を越えた。
目指すは、人里から離れた場に建つ山小屋。
そこだけがいつも山の匂いが違う。
小屋の周りには、月でさえ知らぬ草花がたくさん生えていた。
夜は底冷えする季節にもかかわらず、小屋の周りだけが春を謳歌するように花々が咲き誇っている。
それらを植えたのは、山小屋の主だ。
小屋の周りに柵などはないが、庭に一歩踏み込めばすぐ分かる。
頬の産毛がちりちりした。
どうやら主が邪気払いの術を施しているらしいが、月には効かない。
その術を通して、とっくに月が来たことも分かるだろうに。
山小屋から、主が出てくるようすはなかった。
月を無視しているのだ。
「むっ」
それが面白くない月は、殺意を込めて、鬼の気を山小屋の戸口へ吹き付ける。
戸口まで続く飛び石。
その両脇で咲く花々が、月の気に当てられ色を失い萎れていく。
すると建付けの悪い木戸を開いて、男がひとり、のそりと出てきた。
萎れた花々を一瞥し、むっとしている。
無視した罰だ。
月はしてやったりと、勝ち誇ったように男を見つめた。
男は鴨居にデコが当たるほど背の高い美丈夫で、髪は漆黒、瞳は赤。
額に小さな角が二本生えている。
そう、男もまた鬼の類だった。
ただし月とは種族が違う。
男がため息をついて、首を振る。
「プランテナは咳止めに効く薬草だ。
これからの乾燥した季節、重宝すると言うのに」
「ありゃ怒ったかい?
じゃあどうする?」
月は期待の眼を向けた。
ほうれ、ほうれ、怒れ怒れ。
「どうもしない、プランテナは生命力があるからな、また生えてくるだろう」
「怒らないのかい?」
「怒って欲しいのか?」
「当たり前だろうっ、この前の借りを、きっちり返さなきゃあ気が済まないよっ」
月はじりじりと殺意の純度を上げていくが、受ける男がむすりとした顔で受け流がす。
受け流された鬼の気が滞留し、他の花が萎れるかと言えばそうでもない。
男がなにか既に術を施し、他に気が広がらぬよう、見えない防御壁ができていた。
月から男までの飛び石の小道に沿って、トンネル状に月の気が、霧のように立ち込めていく。
庭の草は月にとってはけったいな代物だが、男にとっては価値のあるモノらしい。
そう言えばここら辺のは全部、自分の故郷から持ってきて植えたと、男が以前言っていた気がする。
面白くない。
あたしより草木の世話かと、月は思った。
白昼の霧の中で、無言の帰れアピールをする男。
そんなでくの棒に、月は舌打ちをする。
「なにか言ったらどうだい」
「帰ってくれないか」
「そうじゃあなくてさあ」
この男はどっしりと構えているように見えて、意外と往生際が悪いと思った。
無駄にごねて余計な時間を使う。
月はそういうのが、まっぴらだ。
ならばと月は凄みを聞かせる。
あんたがその気にならないってんなら、あたしがその気にさせようじゃないか。
「まあいいさ、あたしはこのまま背を向けて、人里にでも降りようじゃないか。
目に付いた人間どもを、手当たり次第、潰していってやるよ。
あんた鬼のくせして、村のもんと仲良くしてるんだろ?
気に入らないねえ、異界の鬼は性根が腐ってやがんなっ」
「和を持って信となす、俺の国元ではそれが普通だっ」
男の故郷は、異世界にあるらしい。
それがどこまで遠いかしらないが、わざわざそこから来て、自分とこの草花をこっちに植えているそうだ。
男が言うには、こっちに植えると薬効が変化して面白いらしい。
「それのどこが面白いんだ?」と月は思っていた。
治癒力が鬼ほどもある月にとって、そんなもの無用の小判である。
ゆえに男のやる事が分からない。
「女子供を見繕って干物にでもするかねえ、山じゃ腹すかしてる邪魅どもがうじゃうじゃいるんだ」
「むうっ」
男の気が膨れ上がった。
術で狭められた空間の中で充満している月の気に、男の気が入り混じる。
よしきた、乗ってきた。もうひと押し。
月は男気を浴びながら、くるりと背を向ける。
そして麓の人里へ全力疾走だ。
この駄目押しで、完全に男がやる気になった。
月をやりに掛かる。
月は背中に男の息づかいを感じて、またくるりと反転。
足裏で大地をえぐりながら、異界の男へ突っ込んでいく。
男は得体の知れない術を使うので、超接近しての圧倒的な手数がものを言った。
手練手管を、圧倒的物理で吹っ飛ばすのである。
けれど向こうもそれは分かっている。
早速、月の前に見えない障壁が生じた。
だがそれが形作られる前に、鬼の爪で薄紙のごとく切り裂いた。
男の眉間へ、必殺の貫き手を放つ。
しかしまた不可視の障壁。
貫き手は、それを易々と切り裂いて、男の頬をえぐった。
障壁のせいで、少し軌道がそれてしまった。
気にせず月は、次々と貫き手を繰り出す。
それらが障壁を突き破りながら、微妙にそらされて男の肩、脇腹、二の腕を切り裂いていく。
月は舌打ちする。
男は肉を切らせて、月の骨を断つつもりだ。
見えない障壁が一枚二枚と重ねられて、少しずつ分厚くなっていく。
切り裂く感触が、紙から布地へ。
布地から戸板のように、貫きにくくなっていた。
重ねられた不可視の障壁が、分厚くなるほどに、その姿を現し淡く山吹色に輝いていた。
それはまさしく、花弁のような防御魔法陣。
それに月はムカつく。
どこまで行っても男は、花好きのとうへんぼくだ。
花弁の魔法陣がはっきり見える頃には、もう黒鉄のように硬く、貫き手が入らない。
その瞬間、男の反撃が始まった。
魔法陣が牙を剥き、十六枚の花弁が回転して、月の身を切り裂いた。
骨を断たれて、腕や足が皮一枚でぶらぶらと揺れる。
月は男以上に大量の血を流し、その場に崩れ落ちた。
「はあ、はあ、はあっ」
この鬼の娘。
元来の回復力で、外傷がみるみるうちに癒えていく。
手足は巻き戻るように繋がり、すべらかな肌に戻る。
だが流れでた血までは、戻らない様子。
己の流した血の池で大の字になり、青い顔をしていた。
完敗だ。異国の鬼にしてやられた。
しかしなぜか月は、満足気な笑みを浮かべている。
よもや気が触れたか? と言うわけでもない。
月は横たわったまま、己を見つめる男に繋がったばかりの両手を伸ばす。
あの剛椀を誇る月が、腕を持ち上げるのもつらそうだ。
それでも精一杯、男に伸ばして、声にならぬ声を発する。
「ん」
それは「おい貴様、抱っこしろ」と言う仕草だった。
男はその甘えた仕草に抵抗する。
だが無駄なこと。
男は大量の血を流し、月もまたそれに輪をかけて流した。
鬼は血を見ると、己の昂ぶりを抑えられない。
それは異世界の鬼とて、同じことだった。
月の身につけていた着物はずたずたに裂けて、ほぼ半裸だった。
月はむせ返るほどの血の匂いをまとい、男の抱擁を求める。
それは男の理性を狂わせるには、充分な鬼女の色香だった。
男は月の意を汲み、血だまりも気にせず月の側に膝立ちとなる。
壊れ物を扱うように、月をそっと抱き起す。
月は抱き起こされると、男の首に両腕をまわし、首をへし折りにかかった。
「んー」
小さく気合を入れて折りにいく。
だが血を流し過ぎたためか、腕に力がまったく入らない。
何度か試して無駄だと分かると、月は脱力しだらりと腕を降ろす。
男はまだ月を離なさない。
月の口元に男の耳朶があった。
微笑みを絶やさぬ月は、その耳たぶへ息を吹きかけるように囁く。
「あーまけた、まけた。
力を込めても、首ひとつ折れねえや。
けれどこれで、やっとお前さんと睦合える」
その言葉に、男の耳が赤くなる。
首まで赤くなり、男の興奮が手に取るように分かった。
押し付けられる男の胸から、早鐘のような鼓動が伝わってくる。
月の鼓動も男に伝わっているだろう。
こちらは血を失い過ぎて、脈拍が弱くなっているが。
男の腕から、ためらいも伝わってくる。
弱った月の体を、おもんばかっているのだろう。
だがそれは余計な気遣い。
月はもう一度、男の耳朶に息を吹きかける。
「ねえ、早くしておくれよお。あたしの力が戻る前にさア」
ぺろりと耳たぶを舐めてやると、その瞬間、男の二の腕に力がこもる。
強く抱きしめられて肺が押され、月の口から甘い声が漏れた。
「ああ……」
「月」
男が月の名を呼んでくれた。
その声には抑えきれぬ欲情があった。
男は少し身を離して、月の唇を奪う。
激しく唇を奪われながら、月は身をゆだね目を細めた。
そう、これが月の求めていたものだった。
死闘の果てに敗れ、もう力が入らぬところまで追い詰められる。
その結果どんなに愛し合い、我を忘れて男を抱きしめようとも、男の背骨を折る心配がなかった。
――嵐のあとの嵐――
ずたぼろになった包装紙を、丁寧にはぎ取ると、中から白い牛乳石鹸がまろび出る。
男は優しく触れ、揉み込むように洗顔した。
すべらかな良い牛乳石鹸だ。
芳しい香りが立ち、思わず深呼吸不可避だった。
男は至福の時を味わう。
そんな男に、夜空に浮かぶ満月が微笑む。
月の光は柔らかく、潮の満ち引きを操った。
しかし時には操れぬ事もある。
今宵のような、激しい嵐が過ぎ去った後がそうだ。
海は大いにうねり、自らを硬い岩場に幾度も打ちつけるのだ。
派手に白波を立てて打ち砕けるが、それでも海は飽くことなく、岩場に寄せては返した。
そんな荒れた海に、男はびっくり。
石鹸でのんびり洗顔してる場合じゃない。
男は頭から波をかぶり瞠目した。
男も負けじと、水飛沫舞う岩場に立った。
腰をどしりと沈め、古来より伝わるネジりながらの正拳突きを、海原へと繰り出す。
セイヤ! ソイヤ! 感謝を込めての三千突きである。
そんな男に月は応えた。
普段は決して見せぬウラの顔。
月は地球に向けて、常に表側だけしか見せていなかった。
だが今宵ばかりはと、特別にくるりと身を回転させ、あるいはねじり、あるいはのけ反って、全ての面を男に向けた。
太陽に空を明け渡す時刻がきても、なんのその。
昼時も構わず、月は輝き続ける。
そうなるともう、潮の満ち引きなぞ、しっちゃかめっちゃか。
海原は三日三晩荒れ狂い、岩場に立つ男をざぶんざぶんと濡らし続けた。
男も息が止まりそうなほどの波かぶりの中で、感謝の三千回を三日三晩で三セット。
さらにもう三セット行い、糸が切れたように気絶する。
月は少しハメを外し過ぎたかと思い、一人お空で瞬くのであった。
本当はもっと輝いていたいけれど、体内の血が戻ってきたので、強制終了である。
月は、眠り続ける男の乱れた前髪を直し、男の単衣を着て外に出た。
朝日の中、少し伸びをしてみた。
血量は戻ってきたが、まだ本調子ではない。
男の不可思議な術は、伊達ではないのだ。
月は戸口をそっと閉めながら、眠る男に微笑みを残す。
「勝負には負けたけど、床はあたしの勝ち。
またね、おまえさん」
こうして月は、庭になる水色の柿の実をかじりながら、のんびりと深山へ帰っていった。
*
人の分け入らぬ山の奥。
こんこんと湧き出る岩場の湯に、月は肩まで浸かっていた。
「ふう……しみるねえ」
男との逢引きのあとは、のんびりと湯治にかぎる。
霊験あらたかな湯で酷使した体を癒し、また月替わりに男のねぐらへ押しかける。
これが月の、お気に入り巡回であった。
これをいつまで続けるかと言えば、もちろんあの男の子を身籠るまで。
人里を襲っているとき、あの男に煙が出るほどボロ負けしてから、良人はあやつと決めていた。
鬼の女は、やはり強い男に弱い。惚れてしまう。
あやつの強さを知ったら、他の鬼どもが霞んで見える。
「さて、今回はうまくいったかねえ」
月はゆるりと己の下腹を撫でた。
相手が異界の鬼のためか、なかなか授からんのが玉に瑕だ。
月が「はふう」と溜め息を漏らしていると、イタチほどの大きさの小鬼が、にたにた笑って寄ってくる。
「月の姐さん、どうでしたか色男の味は?
あたしももう一回り大きかったら、ご相伴に与りていってね、へへへへっ」
「あたしの男が気になるかい?」
「げへへへへっ」
月は生温かい目で小鬼を見つめ、優しく頭を撫でてやる。
撫でながら、次の手土産(干物)はこいつにしようと決めた。
「そうさねえ、今度一緒に行こうじゃないか」
「へ、いいんですかい?」
「もちろんさ」




