全ては残り香が語る
レニオール・カーペッツェは典型的な貴族の子息だった。下の者には権力を振るい、上の者には媚びへつらう。見本のような子息であるレニオールは長男として甘やかされ、それでいて将来が約束された成功者だった。多少の悪戯は目溢しされ、幼馴染みの分家の子と楽しいことに精を出す。それが崩れたのは入学前のことだった。
「別荘に一人ですか?」
「寮に入る前の年には親元を離れて、自分たちで身の回りをするのが通例だ。寮では、一人で着替えなければならない。さらに部屋の掃除もだ」
「侍従を連れてはだめなのですか?」
一応、貴族の学校では一人で身の回りをしなければならない。学業が優先だが、いずれ家を継ぎ人に指示をするのなら的確にできなければ暴君でしかない。これは王族も同じようにするため貴族たちの中でも不満はあっても大きな声はあげられなかった。
「これは必要なことだ。向こうではセルバスが教えてくれる」
「分かりました」
集団生活をさせるためにも必要なことで、別荘を持っている家は同年代の子息がいる寄り子にも声をかけて身の回りのことを一人でできるようになるまで生活する。学校では月に持ち回りで料理や洗濯、掃除の当番が回ってくる。ここでできないと成績にも影響し、婚姻に分かりやすく反映された。
「きちんと学んでくるように」
「はい」
レニオールは適当にしておけば良いと軽く考えていた。向こうでは幼馴染みであっても分家の二人にさせれば良いとさえ思い、準備を整えていたセルバスの説明も話し半分に聞いていた。朝は起こしてはくれるが、着替えなどは自分でするまで何もされない。嫌々だがしなければ外に出ることもできなかった。
「セルバス、馬車を用意してくれ」
「何か必要なことがあれば歩いてお行きください。護衛にスードルをつけます」
「歩いてたら時間がかかるだろ」
「学校では校舎の移動は全て歩くことになります。体力づくりも必要なことでございます」
最初の頃は珍しいことに興味が湧き、幼馴染みのジョージとアレッツォと競うようにジャガイモの皮剥きをしたが二週間も経つと退屈になる。料理に関してはジャガイモの皮が剥けるようになっただけで全てできるようになった気でいた。
「ジョージ、アレッツォ。遊びに行くぞ」
「遊びに? でも、シーツを洗わないといけないですよ」
「窓拭きも今日はありますよ」
「レニオール様、食器洗いが終わってませんよ」
「セルバス。毎日毎日、家の中では気が滅入る」
「学校に入れば、長期休み以外は外に出られませんよ。とは言え休みも必要ですね。スードルと一緒に教会の療養所に慰問に行ってください」
休みと言いながら領地の教会に慰問では楽しくもなんともないが、外に出られるなら気分転換になる。王都とは違い長閑で領民たちも穏やかな気質が多い。
「ようこそおいでくださいました。療養所所長のアンジーと申します」
「今日はよろしく頼む」
「こちらでは、番を亡くした方がその心を落ち着かせながら片割れがいないことを受け入れて生きていくためのお手伝いをしています」
「番……いないことがそんなにも辛いのか?」
「………明日も当たり前のように側にいると思っていても、突如として失うことがあります。事故であったり病であったり、心の準備が整わないうちに喪い、その喪失感から精神を病み死ぬことも。そういった方を出さないための療養所ですよ」
番というものを知っていても十歳ではまだ実感も少ない。相手のフェロモンが分かるのは早い人で十二歳から遅ければ十八歳を過ぎることもあった。国が主体となり番探し用の夜会を開き、同じ時代に生まれていれば見つかる。半分以上が番が見つからないまま家が決めた相手と結婚するのが常識だ。
「番というのは、年が離れてることもあるのか?」
「あまり無いことですが、過去にはあったそうです」
「ふーん」
レニオールの視線の先には、中年の男性が若い女性と仲睦まじく話している姿があった。楽しそうに会話をしている姿は恋人同士にも見え、親族以外の年の近い初めての女性に少年特有の憧れを抱いた。あの笑顔を向けて欲しいと願いながらも自分から声をかける勇気は持っていなかった。
「あの方は番を早くに亡くし、男手ひとつでお子様を育て、番の方を慈しんだのですが、体調を崩しがちになったことで療養をお勧めしたのです。……彼女と話すことが治療になるのです」
「俺も話してみたい」
「療養が必要なようにはお見受けできません。治療の妨げにならないようにお引き取りください」
望んだことは叶えられてきたレニオールは断られるとは思っていなかった。侯爵家に生まれたことで金銭的に不自由をしたことがなく、周りは窘めることはあっても直接的に否定する者はいない。教育係が何度か叱責をしてもレニオールは深く受け止めなかった。元々、楽観的で物事を深く考えることをしない性格なこともあり、改善することもほとんどない。
「レニオール様、お約束は事前に取り付けるものです」
「スードル、護衛が口を挟むな」
「護衛ではありますが、お目付け役でもあります。レニオール様、ここは療養所です」
「分かった。別の日にすればいいんだろ」
不貞腐れた様子でレニオールは教会を後にした。気晴らしに外へ出たつもりだったが、遊ぶこともできずに屋敷に帰ることになり機嫌は最悪た。夕飯まで休憩しようとレニオールはお茶の用意をセルバスに頼むが、出ていく前に残っていたシーツの洗濯や料理の下拵えをするように言われてしまう。
「それくらいしておいてくれたら良いのに」
「レニオール様、三人でしたら早いですよ」
「早く終わらせて休憩しましょう」
レニオールは今まで時間をかけていた洗濯や掃除を早く終わらせるようになった。それならとセルバスは領地経営の基礎を教えようとするが、逃げ回って捕まらない。そんな日が続いたある日、レニオールは一人で教会に向かってしまう。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「慰問かしら?」
「まあな。それ、何をしてるんだ?」
「これは、番を亡くした方の治療薬を作っているの。決められた量を守らないとダメなのよ」
「ふーん」
気を引きたいレニオールは、女性が仕事の手を止めないことに腹を立てていた。女性が調合した薬を身に纏うと部屋を出ていく。レニオールは窓の外から見ていたから追いかけることができなかった。窓枠をよじ登って中に入ると、悪戯心で女性が使っていた薬の瓶の中身を乳鉢へ数滴垂らした。特に強い匂いもないため治療薬という気は全く無かった。
「……帰るか」
レニオールは、つまらなくなり屋敷に戻る。ただ、勝手に居なくなっていたことがバレて三人はしっかりと叱られた。屋敷内を逃げ回るだけなら可愛いものだが、外に出るのは危険なため怒られる。
「学園に行きましたら身の回りのことは全て自分でしなくてはなりません。適当にすれば、それは成績評価に繋がり報告されます。しっかり学んでください」
自由のない生活に嫌気が差していたレニオールは王都に帰れることを単純に喜んだ。荷造りをしているときに教会から知らせが来た。レニオールは領地から王都に行く前に話ができるのだと勝手に喜んだ。
「それは、どういうことですか?」
「当院で療養をされていた方が治療員を番だと誤認され、正気を取り戻したときに、亡くなった番以外と閨を共にしないと固く決めていたのに、一夜を過ごしたことに絶望され、命を絶たれました。湖に浮かんでいるところを発見し懸命に蘇生を試みましたが……残念なことに間に合いませんでした。治療員も婚約者から純潔を失った者を家に迎えることはできないとなり、婚約解消となり、さらに妊娠していることで当教会でも預かることができません。どうか、領主様に知らせていただけないでしょうか」
「すぐに知らせます。ですが、なぜこんなにも時間がかかったのですか?」
「それは、療養されていた方の親族が当教会の不手際だと話され、領主様に知らせれば隠蔽される可能性があるため、事実が分かるまで教会から出してもらえなかったのです。調査の結果、調合した薬がいつもより濃い濃度だったことによる偽反応ということが分かり、治療員の確認不足という判断が下されたので出ることを許されました」
院長が顔を青くして話していく内容にレニオールは心当たりがあり、一緒に聞いていたが耐えられなくなり逃げ出した。出来心の悪戯がここまで大きくなるとは思っていなかったからだ。早馬で知らされたカーペッツェ家当主は、すぐに亡くなった人の親族に連絡を取った。
「杜撰な管理をしていたようで。何でも、ご子息が調合室に出入りしていたとか」
「息子が、ですか?」
「ええ。おじが死んだ前日に調合室から出てくるところを見た職員が何人も居たのですよ。まあ、子どもの出入りを咎めないような環境なら調合も適当にしていたのでしょう。いつ事故が起きても惜しくなかった」
レニオールが教会に行っていたことは報告を受けていたが、調合室にまで入ったという報告は受けていない。治療薬は扱いが難しいため例え領主であってもおいそれと入ることはできなかった。
「公にするつもりはありませんが、今回、おじの子を身籠った女性を当家で引き取ることはできないのですよ。無用な後継者争いをしたくないのでね。幸い、そちらにはご子息だけのようですし、生まれた子を養子にしてはどうですか? 今からご子息の更正をするより、無の状態からする方が効率的でしょうし」
「それは……」
「学校に通う年齢でもありながら、やって良いこととそうでないことの区別がつかないのは問題でしょう。まあ、当家は関わりを控えさせていただきますがね」
一方的に言われたが、レニオールが無用な揉め事を引き起こしたことには違いない。女性の家も婚約前に純潔を失った子を養うつもりはないと返答があり、カーペッツェ家が引き取らなければ平民になってしまい路頭に迷うことになる。
「では、失礼」
「ご足労いただきありがとうございます」
レニオールの父親は条件を飲む以外に家を守る方法が取れなかった。問題が起きた時に院長ではなくとも連絡をしてくれたら調査の段階で関わることができた。息子のレニオールが引き起こしたことであっても対応の仕方は変えられた。それができなかったのは、亡くなった男性の親族が療養所に勤めていたことで、すぐに箝口令が敷かれてしまったからだ。
「レニオールを呼んでくれ」
「畏まりました」
親族以外誰一人、療養所から出されることなく調査が進められ、全てレニオールが悪いとして終結させてから報告が上がった。調合室に何度も出入りをしていたことにされて終わったのだ。
「父上」
「座りなさい」
「はい」
「調合室で、治療薬を触ったのか?」
「はい。でも、ほんの数滴垂らしただけで、匂いも色も変わらなかったし、ちょっと気になっただけで」
「“番の残り香”は扱いが難しい。決められた手順で使うものだ。好奇心を満たす玩具ではない」
家庭教師からは番を亡くした者へ使われる治療薬だということは教えられていたが、実際に見たことは無かった。ただ、そこにあったから触っただけという安直な考えで、ここまで大事になるとは思っても見なかった。
「レニオールの学校入学は見送ることにする」
「待ってください。そんなことになったら貴族社会で生きていけません」
「お前は、自分がしたことで、一人が亡くなり、一人が生家からも嫁家からも見放され生きる術を失ったということは理解しているのか? それなのに貴族として生きていけると思っているのか? 公にならないだけで、レニオールがしたことは同年代の子を持つ親には伝わっている。誰もがお前との交流を避ける。当然だ。何かの責任を負わされるかもしれない。何か重大なことに巻き込まれるかもしれない。除籍したところで、何か問題があれば我が家に責が及ぶ。一生、王都の家から出るな。いや、出てくれるな」
自由にしてレニオールが問題を起こせば、それこそ家の存続に関わる。周りは監視するように求めるだろうし、公に罰せられなかった分、レニオールを処刑することもできない。生かしておくしか方法がなかった。
レニオールが王都の屋敷で報告が上がってくる領地運営の内容を読んで覚えるだけの日々を過ごしている間、引き取った女性が産んだ子が学校に入る年が近づいた。子を産んでから女性は少しずつ記憶の混濁が見られ、今は婚約者と交流があった頃の記憶しか持たない。
「レニオール」
「はい」
「領地にいる弟が学校に入る。それまでは王都のこの屋敷で過ごす。しばらく別荘に行ってなさい。ただし、外に出るなよ」
「はい」
貴族として社交界に出ることもなくなった始まりの場所にレニオールは十年ぶりに訪れた。セルバスとスードルが変わらず働いていた。レニオールの行動を管理できなかったことで責任を取って辞めるつもりだったが、レニオールの責を使用人が取ってしまうと、他責思考が強いレニオールに許しを与えてしまうとして当主が引き止めた。
「セルバス、スードル、久しぶりだな」
「お久しぶりでございます。お部屋にご案内いたします」
「あのときは、済まなかった」
「詮なきことでございます」
セルバスとスードルは淡々と受け入れた。案内された部屋の窓から庭を見ると、引き取った女性が日傘を差して散歩をしている姿が見えた。安易な考えで多くの人の人生を狂わせたことを実感できるようになった。
「そうだな。きっかけに過ぎないが、都合が良かったのだと思うよ」
「レニオール様」
「療養所に子どもが行くことはないし、番を亡くした者へ家族が面会に行っても何もない。見舞い客もいない。調合室に勝手に入るような者もいない。窓が開いていても問題なんて起きなかった。だから、子どもが出入りしていても領主の息子だから強く制止できなかった。療養所に何の落ち度も無かったことにしたかった大人たちが私に罪を全て被せた。子どもがした悪戯なら仕方ない。それに、カーペッツェ家は、血筋が代わる。それが罰になるのだろうな」
レニオールは静かに当時を振り返り、弟が当主になると同時に平民になり別荘の管理人となった。




