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激動

 スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルが結成されたのは、一九七八年だった。それまでもいくつかのバンドでレコードを制作し発表していたが、全く売れずにいた。人気は徐々にあがりつつあったが、彼の世界を一変させたのは、デヴィット・ボウイだった。デヴィット・ボウイのバックバンドに参加したり、アルバム制作に参加したりすることで、スティーヴィー・レイ・ヴォーンは一躍時の人となった。

 一九八三年、アルバム『テキサス・フラッド』を発売。七十年代前半でメジャーシーンから姿を消していたブルースを世界に復活させたのだった。


 

 一九八四年には二枚目のアルバムでゴールドディスクを獲得。



 一九八五年には日本公演も行い、三枚目のアルバムを発表。



 世界が彼のブルースを賞賛する一方で、彼の演奏の質はどんどん低下し、グダグダなステージを繰り返していた。ステージで酒をがぶ飲みしながらの演奏は酔っぱらいのどんちゃん騒ぎ程度のものでしかなくなり、溢れ出すブルースプレイは、年寄りの残尿程度の威力にまで落ちぶれていた。彼の体は、長きにわたるドラッグとアルコールの常用ですでにボロボロになっていたのだった。

 彼もまた、世界を圧巻してきたミュージシャンたちの例に漏れずドラッグとアルコールの依存症で、このまま朽ち果てる運命かと思われていた。


 でも彼は違った。


 彼は再帰を賭けてドラッグとアルコールの治療を行うことにした。


 友人であったエリック・クラプトンたちが彼を支え助けたことで、長く辛いリハビリ生活に耐えたスティーヴィー・レイ・ヴォーン。彼は世界を圧巻してきたスーパースターたちとは違った。彼はドラッグの誘惑を根絶し、一九八九年、四枚目のアルバム『インステップ』を引っさげて再び音楽シーンに返り咲いた。

 


 彼はこのアルバムで、数多くのミュージシャンたちが世界に植えつけてきた『ドラッグがないと良い音楽は作れない』という間違った思い込みを正した。真に価値のある優れた音楽はドラッグやアルコールに依存せずとも作り出せる、いや、そんなものに依存しないからこそ、素晴らしい音楽を作ることができるのだということを、身を持って証明したのだった。

 

 復活したこの年、ドラッグを絶ち切って制作されたアルバム『インステップ』は堂々とグラミー賞を獲得したのだ。


 復活した彼の音楽は、成熟し洗練し繊細で豪快で円熟した演奏へと進化していた。激しく、荒々しく、勢いこそ誰にも負けぬものがあったとはいえ、ドラッグとアルコールの力を借りていたまやかしのブルースは、このアルバムで本当の洪水となった。





 高校に行かなくなったあたしは、彼のアパートでバイトとギターの練習と、そして彼がくれる愛情に甘えるだけの毎日を送っていた。バンド活動は金銭的に無理があり辞めていた。なにしろ、毎日製紙工場で八時から五時まで働いて手にしていた日払いの五千五百円は、ギターを買うためにほとんど貯金していたし、CDや楽譜を買うことには惜しみなく使っていたし、それにちょっとは彼と楽しい時間を過ごすために、贅沢なディナーのために使ったり、オンボロアパートじゃなくおしゃれなラブホテルを利用するために使ったりしていたから。


 でもそんな生活は一ヶ月も続かなかった。パパとママが鬼のような形相で、彼のアパートにやってきてしまった。

 あたしはママにたまに電話だけはしていた。毎回必ず『帰って来なさい』と『どこにいるの』しか言わないママとは、話にならず、イライラして電話を切るだけだった。どこにいるかを言えば、ママが迎えに来るのはわかっていたし、家に帰ればバイトは辞めさせられるとわかっていたから、居場所を教えることも帰ることもできなかったけど、心配をかけないようにと、二、三日おきに電話だけはしていた。

 だけどパパとママは彼のアパートを突き止めた。彼はパパに殴られ、あたしは泣きながら無理やり家に連れ戻された。家から持ち出していた安物のギターも、バイトで買ったスティーヴィー・レイ・ヴォーンのCDも、彼を喜ばせるために買った洋服も下着も、みんな彼の部屋に置きっぱなしのままで。

 アパートから引きずられていくときに、彼の顔を見ることすらできなくて、彼はパパに殴られていたし、あたしのせいで散々迷惑をかけたから、もう二度と会えなくなるんじゃないかと、新たな不安と恐怖も加わり、あたしはなにがなんだかわからず、ただただ泣くだけだった。


 もう学校がどうのとか、バイトがどうのとかいう状況じゃなかった。あたしは自分の人生を変えたものすべてを彼の部屋に残したまま、手元にはなにもない状態で毎日部屋に閉じこもっていた。パパともママとも口を聞かないどころか、顔を合わせることすらすなかった。部屋を出るのはママが洗濯物をベランダで干しているときとか、長電話をしているときとか、そんなときを見計らい、急いでトイレに駆け込み急いで部屋に戻っていた。食事は同じ部屋の妹が夕食のあとにだけ運んできてくれていた。お風呂なんか誰も家にいないときにしか入らなかったし、みんなと顔を合わせるのが本当に苦痛だったから、生活を昼夜逆転させて、夜中にキッチンに行き、こっそりパンを持って部屋に戻り、みんなが起き出す頃に寝て、夕方に起き、持ってきていたパンを食べて、みんなが寝るのをお布団のなかでじっと待っている、そんな生活だった。


 すべてがグダグダだった。ママは外出をほとんどしなくなり、寝ているとき以外ずっとあたしを監視していた。お風呂にもまともに入れないあたしは、見た目の酷さのせいで窓から逃げ出すことすらできなかった。もうなにもかもが終わったと思わざるをえないほどに、あたしは疲れていた。


 そんなあたしを救ってくれたのは叔父だった。叔父はあたしが生まれた時からずっとあたしを溺愛してくれていた。自分の子どもよりもあたしを愛してくれているのがはっきりわかるほどで、あたしに音楽を教えてくれたのも叔父だったし、タバコを教えたのも、お酒を教えたのも、不良ファッションだって叔父が教えてくれたし、男女のちょっとエッチなことだってみんな叔父が教えてくれた。

 叔父の家の子どもは男の子だったから、子どものころは一緒によく遊んでいたけど、あたしが中学生になる頃からあまり行き来しなくなっていた。それでも、あたしがパパとママとケンカしたときなどは避難所にしてくれて、中学の時も叔父の家から学校に通ったりしているときもあった。


 叔父はうちにやってきて、パパとママになにを話したのか、あたしを叔父の家に連れて帰ってくれた。叔母とあたしより五つ年下の従姉弟があたしを出迎えてくれて、あたしはまずお風呂に入れられ、叔母の下着と服を着せられて、美味しいビーフシチューを食べさせてもらった。

 それから、子供部屋へ案内してくれて、その部屋で寝泊りするように言ってくれた。従姉弟の部屋なのだが、従姉弟は寝るときは叔母と叔父と同じ部屋だったから、寝るときには使っていなかった。

 叔父はあたしに一つだけルールを与えた。学校に通うか仕事をするか、どっちでもいいからどちらかはしなさいと。あたしは迷わず仕事を選んだ。


 翌日からあたしはまた製紙工場のバイトに行った。日雇いで日払いのバイトで、毎朝集まった人間の数で仕事を割り振るところだったから、何日休んでいてもなにも問題なく、一度履歴書を提出して採用されれば、あとは自分の好きな日に勝手に仕事に行けばそれでいいところだったのだ。

 そして、その日の仕事帰りに彼の家に行き、彼が帰るのを待っているあいだ、ずっとスティーヴィー・レイ・ヴォーンを聴いていた。

 あたしは彼が帰ってくるなり、事情を話して謝った。彼は気にしなくていいよと言ってくれ、叔父のところに早く戻れと言ってくれた。あたしたちはゆっくり時間をかけてキスをした。本当は抱き合って夜を明かしたかったけど、叔父のところに帰らないわけにはいかなかったから我慢した。

 それで、ギターとCDと着替えを持って、叔父の家に戻った。


 あたしは晩酌中の叔父の隣に座り、叔父がラジカセで聴いていた吉田拓郎のカセットテープを止めた。ビートルズもストーンズもベンチャーズも、あたしが好きな音楽はどれもすべて叔父が教えてくれた。唯一あたしが叔父から教わらなかった音楽、スティーヴィー・レイ・ヴォーンをあたしは叔父に聴かせた。

 叔父は感嘆していた。仕事している時以外は常に酔っ払っているような叔父のお酒のペースは加速し、あたしにギターを弾けと言い出し、叔母に何時だと思ってんのと怒鳴られた。


 あたしはまた、自分が手に入れたいもののために生きる場所を手に入れた。

 彼とも今まで通りに会えるようになったけど、叔父が寂しがるから、遊ぶのは週に一度と決め、彼のアパートに泊まるのも月に一度、土曜の夜だけにした。日曜日は叔父と一緒にいろんなところへ遊びに行った。一緒に楽器屋さんにも行き、叔父が行きつけのオーディオのジャンクショップで、中古のステレオアンプを吟味したりもした。あたしの趣味と叔父の趣味が別れたときには買い物をせず、二人の趣味があったときだけオーディオパーツを買い、叔父の大切なコンポに組み込んでいた。

 大好きな叔父と毎晩一緒に音楽を聴いて過ごし、バイトで溜めたお金で、たまには叔父のためにウイスキーを買って帰ったりもした。あたしにお酒を勧める叔父は、いつも叔母に怒られていたけど、それでもこっそりあたしもウイスキーを飲んでいた。


 あたしがこんな生活をしていた頃、スティーヴィー・レイ・ヴォーンはジェフ・ベックに見初められ、共に全米ツアーに出ていた。世論は世界トップのギタリストであるジェフ・ベックではなく、スティーヴィー・レイ・ヴォーンを賞賛していた。

 ドラッグの甘い誘惑を断ち切った男は、グラミー賞の栄光と共に世界の中心に返り咲いていたのだ――



 つづく

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