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出会い

 一九九〇年の夏が終わろうとしている時だった。

 真夜中のコンビニは家に帰らない不良少年を歓迎していなかったし、終夜営業のファミレスはタバコを吸う未成年を歓迎していなかった。

 あたしたちは市営競馬場のダートトラックのなかにある公園にいた。友達数人とコーラで乾杯して朝が来るのを待っていた。


 誰かが持ってきていたラジカセからは、友達が選曲して録音したカセットテープが再生され、ビートルズのヒア・ゼア・アンド・エブリホエアが流れていた。だだっ広い競馬場が、その曲に自然のエコーを作り出して、観客席の向こうにまで時間差で届いているのがわかった。


 あたしは公園の大きな遊具の一番上に座っていた。

 からっぽになったコーラの缶を灰皿代わりに、探偵物語で松田優作が咥えていたのと同じキャメルの煙を真っ暗な空に向かって吐いていた。

 外灯もない真っ暗な公園で、どこにいるのかもよく見えない友達たちの笑い声は、夏の暑苦しい重い空気を揺らしながら響いていた。


 Tシャツはじっとり汗ばんでいたし、チノパンも脱ぎたくなるほどに汗ばんでいた。素っ裸になって水浴びでもしたくなるほどに、終わろうとしている夏はネチネチとした熱帯夜を作り出していた。


 ラジカセから流れるビートルズの音が歪みはじめた。カセットテープの回転がどんどんゆっくりになっていき、しまいには聞こえなくなった。

 地上の暗闇で鬼ごっこかなにかをしていた友達たちが、電池切れだのなんだのとわめいていた。

 

 あたしはコーラの缶にタバコを突っ込んで、隣にいた彼にキスをしてから、彼の肩に頭をもたれた。

 汗の匂いと、タバコの匂いと――彼の匂い。


 騒いでいた友達たちが、あたしと彼を探しはじめた。あたしと彼は息を殺してじっとしていた。真っ暗だったし、地上からは見えない場所だったから、友達たちは探すのをあきらめて、大きな声でブルーハーツを合唱しながら帰っていった。


 世界は静まり返った――


 この世はあたしたちふたりだけになった――


 あたしはまた、彼にキスをした――


 朝が来るまで抱き合っていた――



 あたしはとても幸せだった――

 まさか海の向こうで悲劇が起こっているなんて思いもしていなかった――



 一九九〇年八月二十七日の未明に、アルパイン・ヴァレイ・リゾートのスキー場のゲレンデに濃霧で視界を失ったヘリコプターが墜落したのを知ったのはもう少しあとになってからだった――


 

 あたしがあいつを知ったのは、あの夏の夜の競馬場よりも半年ほど前だった。

 中学の時の音楽仲間が、進学した高校で知り合った友達に教えてもらったからと、あたしにそいつの演奏が入ったカセットテープを貸してくれたのが、あたしとあいつの出会いだった。


 渡されたときに、でかい音で聴くといいよって言われていたから、神経質で音楽嫌いなパパのいる家には帰らず、彼のアパートに行った。

 玄関の脇の二槽式洗濯機の脱水機のなかに入っている合鍵で鍵を開けて部屋に入った。ペッタンコのコインローファーを脱ぎ捨て、冷蔵庫から牛乳を出してカップに注いでから、貧乏な彼のオンボロアパートで唯一高価なオーディオの前に座った。

 靴下を脱いでスカートを膝が見えるまでまくりあげて、楽な姿勢になってから、学生カバンのなかのカセットテープを取り出し、オーディオに突っ込んでいつもよりちょっと大きなボリュームにしてから、ヘッドフォンをして再生ボタンを押した。


 

 そして、流れ出した曲に打ちのめされた――



 ものすごい電気ショックが背中をマッハ六で駆けおり、あたしは思わずボリュームを目いっぱいにあげた。一曲目が終わるまでそのまま聴いて、二曲目になってさらに打ちのめされた。

 

 それではじめて、カセットケースのラベルを見た。

 背表紙にはこう書かれていた。



 テキサス・フラッド ブルースの洪水

 スティーヴィー・レイ・ヴォーン



 そいつの名前は、スティーヴィー・レイ・ヴォーン。

 

 ブルースの洪水――二曲目を聴きながら、まさにその通りだなと思ったあたしは、三曲目になったときに、その考えを改めることになった。

 

 一曲目と二曲目を聴いて、溢れんばかりのブルース・フィーリングに心を奪われてしまったあたしはバカだった。そんなのまだまだ生ぬるかったのだ。


 三曲目こそ、あたしを太陽系の隅っこまで一瞬で押し流すほどの凄まじいブルースの洪水だったのだ。


 

 その曲のタイトルこそ――テキサス・フラッドだった。



 あたしにはその日、その瞬間に世界が変わったことを実感した。

 それまで聴いて知っていたブルースとはぜんぜん違った――

 フレーズすべてを音で埋め尽くすギタープレイ。

 裏拍を思いっきり引っ張るスイング満点のシャッフル。

 アイデアが止めどなく溢れ出す、まさに洪水のようなアドリブプレイに、ジミ・ヘンドリックスは生きていたのかと思ったほどに驚き、あたしは言葉を失った。

  

 

 いままで聴いてきた音楽が、すべて否定されたような衝撃と、これほどの音楽になぜ今まで出会わなかったのかという悔しさ、ものすごい音楽に出会ったのに、敗北感のような思いばかりが強く溢れでていた。


 

 そして、彼が仕事から帰ってくるまでのあいだ、ずっとそのカセットテープを聴き続けていた――



 遊びじゃなく真面目にギターをやろうって思った瞬間がそこにはあった。

 その夜は、彼に抱かれるよりもとめどもなく溢れ出るブルースを聴き続けていることを選んだ。


 

 翌朝、家に帰って学校をやめることをママに告げた。


 あたしはもう、高校で学べることが自分に必要だと思うことができなくなっていた。ママは怒ってヒステリーに怒鳴り散らし、入学したばかりの高校を辞めるなんてとあたしをたしなめようとした。そもそも昨日はどこにいたのかとか、またあの男と一緒だったのかとか、話はどんどん違う方向に向かっていって、ついにあたしはギターを持って家を飛び出した。

 

 ママは泣いていたけど、そのときのあたしにとってはもっと重要なことがほかにあった。

 

 彼の家に転がり込んで、バイトをはじめた。

 適当に書いた履歴書で、製紙工場の日雇いバイトを手に入れ、毎日五千五百円の日給をもらった。


 最初の一週間で、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのCDを買えるだけ買った。楽器屋さんでコピー譜も探したけど見つからなくって、耳コピに専念した。

 

 パパとママにはすぐに見つかって家に連れ戻されたけど、高校にはいかなかったし、バイトも辞めなかった。

 二ヶ月後にスティーヴィー・レイ・ヴォーンと同じ、フェンダーUSAのストラトキャスターを買った。見た目はスティーヴィー・レイ・ヴォーンのとちょっと違ったけど、それはあたしの新しい人生を進むための武器になった。


 

 だけど――



 そのギターを買って一ヶ月もしないうちに、あたしの人生を変えたその人は死んでしまった。



 それを知ったとき、あたしはあまりのショックに涙も出なかった――



 つづく

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