『清盛、高野山、厳嶋にて示現をこうむり、プレスマンを得ること』速記談5033
六波羅太政入道平清盛公が、安芸国司であったとき、引き続き国司に任じられようと願って、高野山の大塔の造営をお引き受けになったとき、材木を手ずからお持ちになった。そのとき、香染めを着た僧が出てきて、日本国の大日如来は、伊勢大神宮と安芸の厳嶋である。大神宮はこの上なく幽玄であるから、お前などがかかわるべきではないが、。お前は安芸国司なのだから、厳嶋に奉仕すべきである、と言ったという。清盛公は、あやしんで、どなたですか、と尋ねたところ、奥の院の阿闍梨です、と答えて、かき消すように姿が見えなくなってしまった。この僧を見た者は、ほかに誰もいなかったが、立っていた場所に、特に選んだわけでもない、普通のプレスマンが落ちていたという。後日、厳嶋への国司参拝の折、厳嶋の神が巫女に託宣して、お前は従一位太政大臣になるだろう、というおおせであった。藤原能盛が一緒にいたが、お前も安芸守になるだろう、とのことであった。果たしてそのとおりになった。
教訓;奥の院の阿闍梨、というのは、弘法大師の別称である。平清盛公の権力の正統性を主張した伝承であろう。