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ルサンチマン  作者: 睡魔
3/3

感情弱者

いつからでしょうか。

美味しいらしいものを食べてもおいしいと、

夕日を見てもきれいだと思えなくなったのは、

好きなものを好きと言えなくなったのは、

そもそも「好き」があまりなくなったのは、

いつからでしょうか。

私のやっていることに自信が持てなくなったのは、

それなのに、嫌悪感だとか、劣等感とかいうものだけにはどんどん敏感になっていって、苦しくなってしまいました。

生きていても楽しくない。

楽しくないのに、死ぬことを考えると、死ぬことに対する嫌悪や、自分だけがこんな悩みを大真面目に考えているのだという劣等感を感じてしまうので、そういうことすらできずにいる。

これでは劣等感に生かされているようなものだと思う。

こんな風に原因はなんとなくこれかなというものはあります。小学生の頃、将来の夢というテーマで作文を書けと言われた。その時の自分にはなりたいものがありました。当時はアニメが子供の間で流行っていて、私はアニメーターになりたかったのです。だけど、書いている所を母に見られて、

「あんたが絵描きになるの?」

「そもそも書いたことはあるの?」

と言われました。確かになと思い、自分で一回絵を描いてみることにしました。スポーツ系のアニメが好きで、特にバスケのアニメがとても好きだったので、その中のワンシーン。ラスト三秒、主人公が他の体のデカい選手たちの間を潜り抜けて逆転のダンクシュートを決める場面、そのシーンを見たときが人生の中で一番心が動いた、感動したと思う。そのシーンを一時停止して、テレビとにらめっこしながら描いた。指先に力が入りすぎて痛くもなった。そうして出来た絵は自分でも結構いい感じの出来だと思った。だから誰かに見てもらいたくって、母に見せることにした。

だけど得られた返事は思っていたのとは大分違っていた。

「これどれくらいで書いたの」

「アニメの現場じゃこれを大量に書かないといけないんだよ?」

「好きな物仕事にしたらそれが嫌いになるかもよ」

「趣味程度にしといたら?」

当然反対した。仕事で見るものと趣味として見るものは全然違うはず、嫌いになんてならない、そもそも学校の先生が好きなものを仕事にした方が人生楽しいと言っていた。そもそも自分がやりたいことなんだから、現実的なことは後にして追いかけるくらいいいじゃないかと。

でも全然駄目でした。「うーん」とか「そうかなー?」とか、暖簾に腕押しとは正にこんな感じなんだろうなと思った。母の中でもう言いたいことは言い終わって、そこから先は「聞き分けがいい」かどうかにかかっているとでも思っていたのだろう。だからどれだけ反論をしても、どれだけの気持ちを乗せて伝えても母の中では妄言にしかすぎず、私の言葉が母の中で力を持つことはなかったのです。

それで思ったのです。

何かに熱中するなんて馬鹿らしい、夢を持つことも、説得をしようと頑張っていたことも全部馬鹿らしく思えて、自分の気持ちを周りにアピールすることが恥ずかしいことのように思えてきて、そのうち自分の気持ちを自分でも無視するようになっていきました。

そんなふうに過ごしていたら、何が好きで、どんな気持ちか本当に分からなくなってしまったのです。使ってない筋肉が衰えるように、使っていなかった感受性が衰えて、刺激に反応しなくなってしまいました。

でも嫌悪感や劣等感、平たく言えばマイナスな感情というやつは、私の中から消えることはありませんでした。好きや、幸福といった物より感じる機会が多かったからでしょうか。さらに、幸福感を感じることに割いていた部分も、全部そういうものを感じてしまうようになったので、より敏感になってしまいました。

そうして今の私の原型、感情に無頓着な私の元が出来たのだと思います。感情がないわけではなく、無視してきた結果がこれなのです。

たしか、その時の作文には、確か公務員と書いたと思います。夢ではなかったけども、当時の安定した職業として真っ先に浮かんだのがこれだったのです。その作文には、気持ちは全く入っていなかったけども、母はとても喜んでくれました。「これでいいのよ」「それが安心よ」と。

学校で作文を発表しあうことになって、中には俳優になりたいとかアイドルになりたいとか、夢というか、実現不可能に近いものを書いた人もいました。その時の私、すでに劣等感の塊となりつつあった私は、そんなことを語れるなんていいな、と、内心馬鹿にしたように思っていました。

私の発表は先生にはウケました。そういうのが安心よ、その選択がいいのよって。嘘の自分、本当のアニメーターになりたかった自分を、昨日まであった自分の熱量を間接的に否定されたような気がしてとても悲しかったです。でもそこで

「違います、本当はアニメーターになりたいんです」

なんて言い出すのもすごく恥ずかしいように思えたので何も言えませんでした。

中学生になって、文化祭で劇をやることになりました。題材はロミオとジュリエット。私はロミオにちょっと憧れていたけど、やっぱり人気で、これだけの人のやる気を超えてまでやりたいような気もしなかったので、立候補すらしませんでした。結局誰がロミオをやるかはじゃんけんで決まることになりました。その時のじゃんけんの盛り上がり様と言ったらそれまでのどの学校生活と比べても無いくらいの騒がしさでした。正直一つの学校行事にそこまで真剣になれるのが羨ましくも感じました。その気持ちも風の前の塵のようにすぐ消え去ってしまうようなものだったのですが。

準備の役割も、大道具、小道具、脚本など色々あったのですが、どうにもどれもやる気になれず、人手の足りないと言われた大道具に行くことにしました。

もちろん頑張りはしました。文化祭を楽しみたいという気持ちは少なからずありました。今思えば、あの時はまだ感情を受け取れていたのかもしれません。

でも、やっぱり足りなかったんです。

劇や発表に力を入れられる人っているじゃないですか。その時はすごいみんなで盛り上がって、絶対に成功させるっていう熱量というか、この行事に全てを賭けて生きてるというか。

そこまでの熱量を私は持てていなかったんです。

文化祭一週間前の時の事、まだセリフを覚えられていない人とか、舞台上での動きとか、覚えられていない人がちょっとだけいたんです。その人たちに、みんなは厳しい声ながらもしっかり教えていたんです。そして、教えてもらっている側の人も、必死に食らいつこうとしていて。

ああ、すごいなって。

たかが学校の行事にそこまで頑張るなんて、そこまでの熱量を持って人に物を言えるなんて、そしてそれについていこうと出来るなんて。

やっぱり劣等感は私に付きまとってきました。

そもそも「たかが」なんて思っているからなんて思っているからなのかもしれませんが。

そして教えられていた人も無事に完璧に出来るようになり、劇は大成功を収めました。

文化祭終了後、片付けを後回しにして、誰が持ってきたのか分からないクラッカーを鳴らしていました。その時のみんなの騒ぎ方、一体感は小学校から考えても初めてでした。

でも、そこでもやっぱり、私は、その盛り上がりを出来なかったのです。

十分嬉しかったのです。私の中学の中で、最大の心情の盛り上がりだったと思います。ただ、何年間も感情を表にしなかった、出来なかったせいで、どうこの気持ちを表現してよいのか分からなかったのです。

そもそも、みんなほど文化祭に対する思いが弱かったというのもあったのかもしれませんが。

その時に初めて、自分が強い感情を持てないこと、表現出来ないことに対する劣等感を覚えました。

誰が悪いとか、そういうことではなく、ただ、自分には出来ない、自分の感情を表現できるということがひどく羨ましく、妬ましく映ったのです。

声に出来ない喜びと喉から出てきそうな嫉妬、自分はもうああなれないと諦める悲しみとが混ざった気持ち悪さをかかえました。

それが私にとっての劣等感だったのです。

先生が来るのが五分遅れたくらいで盛り上がるのも、テストの良し悪しで一喜一憂するのも、クラス全体が怒られて静かになるのも、全部、全部私の劣等感を刺激しました。

私はその輪には入れない、入れてとアピールすることすら出来ない。

運よく入れたとして、反応が薄くなってしまう。

どうすることも出来なかった。

どうにかなじみたくて、盛り上がった時は笑うようにしていたけど、きっと苦笑いのようなもので終わっていたと思います。

それはさらに、私の中に劣等感を植え付けてきました。

高校はよく覚えていません。特に大きな事件は無かったのだと思います。

私の目に映っていなかっただけで、もしかしたらなにか大きな事が起きていたのかもしれませんが。

それくらい、周りの出来事に対して気持ちが動かなくなっていたのです。

大学に入って二年が経った時の事でした。

その日は気温三十度を超える夏の雨で、蒸し暑くて不快な日だった。

その時ネットである女性アイドルが人気でした。テレビで見たアイドルに憧れて人知れず訓練していた少女に、奇跡に奇跡が重なって生まれた、輝かしいシンデレラストーリーを持っているとかで世間からすごいと言われ話題になっていました。

その人に対して、私は

「かわいくない」

「よくそれで人前出れるね」

と投稿したのです。

深い意味はありませんでした。本心でかわいくないと思っていたのか、そもそもかわいいとか、かわいくないとか、そういう目で見ていたのかすら覚えていません。

ただみんなの話題に入れなかったということが嫌で、しょうもないもので盛り上がっていると思って自分を納得させたかったのかもしれません。

やった直後は「やってしまった」と思いました。

今人気の人に嫌いだという趣旨のことを言ったって無視される、場合によっては総叩きにあう可能性だってあったのですから。

でも、なぜかその投稿は、肯定されることになったのです。

「自分も前からそう思ってた」

「今までのストーリーが好きなだけで、この人自体は好きじゃない」

「この人よりかわいい人、普通に町捜せばいっぱいいる」

といった具合に、どんどん、どんどん拡散されていきました。

その時の自分が話題の中心にいることが出来ているという感覚が、劣等感をしばらくの間忘れさせてくれました。

私の感性、それが本当に思っていたかも分かりませんが、それが認められたような気がして安心出来たんです。

でも、その状態も長くは続きませんでした。

三日もすれば、世の中の話題は変わります。

当然、私の一件も例外に漏れず、忘れ去られていきました。

その時、また劣等感を感じました。

また一人にされたという孤独感。

自分がいなくても世の中が回ってしまうという孤独感。

流行の輪にやっぱり入れない、そこで盛り上がれないという疎外感。

中学校の文化祭の終わりで感じたあの気持ちと同じものでした。

だから、また同じようなことを書きました。

疎外感、孤独感から逃れたくて、人と感覚を共有したくて、

でも、早くしないと、私から注目が完全に逸れてしまう。

その前に、早く話題をつくらなきゃいけなかった。

今度は話題の若手俳優に対して

「演技棒読みすぎ、素人でもそのくらい出来る」

「お前の演技なんか誰もみたくないんだよ」

と書きました。

正直、話題の人物であれば誰でもよかったのですが、一応彼を選んだのにも理由があります。

彼が俳優業を目指した理由が「小さい頃に見たドラマの俳優に憧れたから」というものだったからです。

小さい頃から何かに情熱を持ってやっているという人が嫌いで、嫌いというより、自分にはそこまでの熱量を持てないという劣等感を抱えてしまうから、そんな人達を否定したくて書いていました。

そういう人は探せばいくらでも出てくるし、その人々の駄目な所もいくらでも見つかりました。

それも、やはり同じように肯定されることになりました。

そして私は、また社会の一員として認められたように感じました。

それと同時に怖くなりました。

またすぐに孤独になるのではないか

すぐに中心になれなくなってしまうのではないか。

だからまた、これからもずっと、私はこういうことをし続けなければいけなくなりました。

でも、自信は持てませんでした。

やっぱり人を傷つけてでも自分を肯定するなんておかしいんじゃないのかって。

でも、こうやって落ち着いて文章を書いている内に、考えがまとまりました。

やはり私は正しいのです。

何かに熱中するというのは、視野が狭くなるので、欠点が生まれやすくなるのです。

そういう意味では、私のような人の方が、賢く生きられるのかもしれません。

何からも一歩引いて、物事を見られた方が大きな失敗もなく過ごせるはずなのです。

それに、いい大人が中高生みたいに何かに熱中して、恥ずかしくないのかと。

少なくとも私は恥ずかしい。人の目を気にせず、自分の夢を語って、熱中して、

やはり視野が狭いのだ。言葉を選ばなければ馬鹿なのだ。

それなのに、大きな失敗をせず、むしろ成功するというのは、なにか間違っている。

それを私は正しているだけなのだ。

何より、私の意見に賛同してくれる人はたくさんいました。二回目の、俳優に向けたものだって、それなりの反響はあった。それが正しさの証拠でもある。私が正しさの中心にいるのだ。

うん、書いていたらやはりそんな気がしてきた。

やっぱり私は正しいのだ。


(いいね325コメント47)

分かる、なんかに一生懸命になってるやつって馬鹿だと思うわ


学生の時の周りって、なんであんな騒がしいんだろうな


流行なんて馬鹿が作ってるだけ、気にしなくていい。



―――近年ネット上で様々な有名人に対する誹謗中傷が問題となっています。今回は、例えばこちらのアカウント、

「よくそれで人前に出れるね」

や、

「お前の演技なんか誰も見たくないんだよ」

と言った投稿。このような誹謗中傷をしているだけのアカウントもあり―――

「なんか嫌な世の中になったな」

「なにがっすか先輩」

「いや、なんか、じめじめしてるなって。別に現実で直接言うのがいいとは言わんが」

「また誹謗中傷のニュースですか。このアカウント、モザイクかけても分かるし、」

「そんなに有名な奴なのか?」

「そうっすよ。ほらこれ」

「本当にこんなことしか投稿してないんだな」

「最近じゃあ信者みたいな層も出来てますよ」

「大変だなそりゃ」

「まあでも、この人も流行りが過ぎれば一瞬で見られなくなりますよ」

「まあそうか。それにしても、こんなことやってて、寂しくないのかな」


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