過大評価
「糸自体はごく普通よねぇ…、織り方の製法を真似るだけでこれと同じような性質になるのかしら?」
アウフはタオルの生地を光にかざし、その独特な布の織り方を確認する。
タオルをほどいて一本の糸だけを抽出し、細かく強度や吸水性を観察しても、ごく普通の綿糸のようだ。
糸だけを見れば、不自然に強靭だったり、不自然な速乾性が備わっていたりする糸ダンジョンの糸のほうが高性能にも思える。
「これもおそらく、温泉ダンジョンの意思が過ごしていた世界では普通の技術なのよね? だったら真似はできるはずよ、違うのは布の織り方だけみたいだし」
このタオルを参考に、セパンス王国にある綿糸で同じように織りたいところだが、残念ながらアウフにそんな技術はない。
引きこもっていたときに編み物くらいやったことはあるが、不格好な毛糸の帽子と手袋を編めるようになったくらいの技術力だ。
なので、タオルを分解して織られ方の推測をなるべく詳しく書き記し、実際に織るのは布職人に任せる他はない。
「あとは、水が強力に噴出し続ける浴槽か。
それもきっと当然のようにある技術なのよね?
そんな強力に水圧をかけて噴出する方法って、どうやっているのかしら……?」
高所にある莫大な水量から生み出される重圧を利用し、高圧で噴出するといった、やたらと大掛かりな仕掛けでも作らないと実現できそうにもない。
そういった自然を利用した方法で、ゴボゴボと湧き出るような噴水ならセパンス王国にも存在する。
しかし、あの方法で身体を鋭くマッサージするほどの水圧を生み出す事ができるとは思えなかった。
馬鹿げたサイズの大瀑布のような水量、あるいはものすごく高所の水源から水を引っ張ればもしかするとできるのかもしれないが。
とてつもなく限定的かつ大掛かりな技術になってしまう。
「お風呂で身体をマッサージできて気持ちがいい、ただそれだけのためにそんな莫大で大掛かりな仕掛けを作るの?
……流石にありえないでしょう、そんなの」
何か方法があるはずなのだ。
お風呂場で身体をマッサージするためだけに使ってもいいほどに、簡単に水を強く噴出させる技術が……。
アウフはひたすら寝る間も惜しんで数々の方法を模索していたが、今のところ気の利いたアイデアは何も思いつかない。
トウジ隊長やヴィヒタらはジェットバスを見ても変な風呂でしかないし、実際に使っても、あー腰や足に当てると気持ちがいいな~という感想しか出ない。
こんなものを、全力で再現するほどの必要性があるとは騎士の誰も考えていない。
しかしアウフにとってジェットバスは、話を少し聞いただけで。
その機構を再現できてしまえば、世界が根本からひっくり返るような事態に繋がるとはっきり確信していた。
「もしそんな力を生み出す技術が発明されたら、水車や風車のような自然を利用した動力機構がすべて消滅してしまうんじゃないかしら……?
船だってその水圧を自在に使えるなら、風に左右されることもなく高速で走る船だって作れてしまうわけだから、国家交易の要である帆船すら不要になってしまうわ……。
これは、とんでもないことよ」
現代世界の社会では、自然を利用した動力で電気を生んで、電気で機械を動かしあらゆる便利な状況を生み出している。
だから温泉ダンジョンの世界の技術を再現できても、アウフが想像するように、自然を利用した動力機構が消えて無くなるわけではないため。
アウフはアウフで少々思考が飛躍しすぎているのだが。
「ああ、早くヴィヒタから詳しい報告を聞きたい、噴出する温泉の細かい概要を聞きたい、絵で見たい、見た~い」
ヴィヒタが、強制的な筋トレ実験をさせられている頃。
アウフはふかふかのタオルで顔を包み、ベッドの上で温泉の報告を楽しみに待ちながら、ごろごろと転がって身悶えていた。
転がっていたら、部屋の扉を誰かがノックする。
「アウフお嬢様、いらっしゃいますか、お客様がお見えになっておられます」
「あ、わかりました」
誰だろうか。
移動式住居の研究者だろうか、ガラスの技術者だろうか、ダンジョン資料館の人だろうか、はたまた……。
来客の心当たりがありすぎて、特定できない。
無職の道楽研究者であったアウフもすっかり忙しくなったものである。
「ご無沙汰しておりますアウフ様、マーポンウェア女騎士団長の、シルド・バーシュです、突然の訪問失礼いたします」
客室まで降りると、そこには普段着のシルド団長がいた。
直接会うのは、昔ダンジョン資料館にて、飯困らずダンジョンで初めて出た日本酒のドロップ品報告を受けた時以来である。
騎士姿ではなく普段着なのは、武装はしていませんという証明か、あるいはマーポンウェア騎士団長としての用件では会いに来ていません、といったところだろうか。
この来訪者はアウフにとっては予想外だった。
「あら、シルド団長さんですか? お久しぶりですね?」
酒好きが高じて、セパンス王国に押しかけてきたというこの人が、私に何を話しに来たのだろう。
酒の話だろうか?
酒の話だった。
「つまり、あれはダンジョンから出た濃い酒をアウフ様が再現しようとして出来た物だというわけですか」
「ええ、アルコールは水よりも早く蒸発するようですので、直火で沸騰はさせずに、湯煎する程度の温度で少しずつ抽出する感じですね」
要するに、蒸留酒というものを自分が発明したため、そのことについて話を伺いに来たらしい。
普段着なのは、今日は騎士として活動していないので、酒も飲めますという意味もあったようである。
アウフはメイドに命じ、ダンジョン産の日本酒とウイスキーと、セパンス王国で作られ始めた蒸留酒をいくつか持ってこさせた。
シルド団長は、自分の味覚が確かならば、日本酒は米を原料に作られた酒であり。
ウイスキーは蒸留酒に、燻製のような香りをつけ熟成させればウイスキーになるのでは?
などといった話もしてくれた。
「つまり、はちみつ瓶のようなものに蒸留酒を入れて、焦がしたスモークウッドなどと共に漬け込んでおくとウイスキーになるかも、と?」
「おそらくは……ただ、相当に長い熟成期間を経ている気がいたしますので、少なくとも数ヶ月は結果は見えてこないでしょう」
実際のウイスキーの作り方は、燻製などにも使う木で作られた樽の内側を火で炙って焦がし、そこに蒸留酒を詰め長期間熟成保存するわけなので。
シルド団長の推測は、概ね間違ってはいない。
「アウフ様の作られたこちらの蒸留酒は……芋を原料にしておられるのでしょうか?
おそらくですが、こちらの飯困らずダンジョンで取れるトウモロコシという作物を原料にして作られたタイプのほうが近しい味になるような気がいたします」
セパンス王国では現在、飯困らずで採れた作物を使って、あらゆる酒を制作実験している。
その中にはトウモロコシで作られた酒も少量ながらあったはずだ。
……この団長さんは、そういった試作品の酒も軒並み全部飲んでいるのだろうか?
圧倒的に美味しい飯困らずダンジョンから取れるウイスキーや日本酒だけを楽しんで、それでおしまいにしていないあたり。
シルド団長は味覚だけではなく、知識の上でも酒を知りたいマニアなのだろう、とアウフは確信した。
「蒸留酒を作る様子も見ていきますか?」
「もちろんです! 見せていただけるなんて感激です!」
「それでは爺や、馬車の用意をして蒸留酒の研究所まで案内を……」
「あ、申し訳ありません、そちらはもう何度か見学してまいりました」
「はい?」
「アウフ様が作られたという、原初の蒸留機を見せていただきたく存じます!」
アウフは少し引く。
「ええ……? でも……あれは、私が自己制作した、本当に粗末なものでして……」
「それが見たいのですよ! 酒という文明の歴史を、確実に一歩前に進めた原初の機器なのです!
まさに酒の歴史に刻まれるべき功績! 偉業! あなたは蒸留酒の母とも言える存在なのですよ?」
「私は……その、飯困らずダンジョンが出したものを模倣しているだけといいますか……再現者に過ぎないといいますか……はは……」
自分を尊敬するべき偉人のような目で見てくるシルド団長の目線に、アウフはとても引く。
趣味に目を血走らせる技術者やオタクは、正直な所自分と同類なのでそこは何も気にならないしむしろ親近感すら覚えるが。
その興味の対象が自分や、自分の作ったものだと少し引いてしまう。
アウフは再現の最初の一歩を踏み出すのが得意なだけで、そこから先の時間のかかる研鑽は、だいたい専門家任せなのだ。
移動式の住居にしても、タオルにしても、こうやって作れば作れるかもというおおまかな指針や企画を立てるだけで、あとは専門の職人任せになるのだ。
酒にしてもそうだ、私はただ酒を濃くできただけ。
ダンジョンから採れる酒を味覚で解析して再現できそうなシルド団長のほうがよほど凄いのではないだろうか?
全く、過大評価もいいところである。
アウフ自身は少なくともそういうふうに考えていた。
見せるのを拒んでも、ますます熱く自己を賛美する言葉を並べ立てられて押しきられそうな気がしたので、アウフはさっさと現物を見せることにした。
蒸留酒の作り方の実証証明をして、その作り方を職人に理解してもらった時点で、アウフにとってアレはもう無用の長物なのだ。
あれはダンジョン研究室の倉庫の奥に、ずっと放置されているはずだ。
既存の鍋や既存のパイプを適当に切り取り溶接して作られた蒸留器。
しばらくぶりに見るソレは、記憶より溶接や加工もひどく不格好で、アウフはなんだか見られるのが微妙に恥ずかしかった。
「ほほ~、この機材から蒸留酒の歴史が動いたというわけですね」
シルド団長はキラキラした目でみているので、むしろその手作り感すら神々しいようだ。
この装置は久しぶりに動かすので、手順が少し曖昧だ。
機械の稼働はお付きのメイドたちを頼るわけにも行かない、メイドはこの装置の構造を一切理解できていないからである。
アウフは自分自身で蒸留器の稼働準備をする。
「……で、ここから加熱していれば、じわじわと蒸留酒ができて来るはずです。
ごく最初に垂れ始める蒸留酒には、変な不純物が多く含まれているのか、飲むと気分が悪くなるという報告も聞きますので。
最初に垂れてくる酒は捨てたほうがいいですね」
そういって、加熱を続けているが、一向に酒が垂れてこない。
「あれ? おかしいなぁ、そろそろ出てくるはずなんですけど、火力を抑えすぎたのかしら?」
動かすのは久々なので、温度が今ひとつよくわからない。
少し火力を高めてしばらく待ってみる。
すると、鍋が不自然にカタカタと揺れ始めた。
「! アウフ様! お下がり下さい!」
シルド団長がアウフをかばうと同時に、鍋の上のパイプの溶接部分が、ポンッという炸裂音と共に引っこ抜けて飛んだ。
もしかすると不純物か何かが中で固まってパイプに詰まっていたのかもしれない。溶接部分もおかしくなっていたのかもしれない。
蒸気の圧力が無理にかかって、パイプ部分は弾けるように抜けてしまったのだ。
「ふう……大丈夫でしたか?」
パイプが引っこ抜けて、少し飛んでいっただけの事なので大した問題があるわけではない。
周囲のお付きのメイドや、護衛の騎士達も、シルド団長と違い対応が遅れた事に少しバツが悪そうな顔をしているだけでそれほど大した問題と思っていない。
しかし、アウフは目をまん丸く見開き、吹き飛んだパイプと鍋からこぼれ出す蒸気を凝視していた。
「あの? アウフ様? どうされましたか?」
自作の機械が壊れてしまったことにショックを受けているのだろうか。
それとも思ったよりも、破裂した音にびっくりしてしまったのだろうか。
「そう……か、密閉した空間に蒸気を満たせば強い圧力を作りだせる……。 もしかすると、これが……未来の動力の正体?」
「え? あの……何をおっしゃられているのですか?」
弾け飛んだパイプを見た瞬間、アウフの脳内で何かが弾けた。
それは金の冠の測量方法を思いついた瞬間、ヘウレーカと叫び、全裸で街を走り回ったアルキメデスのような心境か。
言葉という概念を理解した瞬間、ウォーター、ウォーターと叫び続けたヘレン・ケラーのような感情か。
「鉄ダンジョンから新しく採れ始めた、凄まじく高性能な金属……あれなら、その強烈な圧力にも耐えられる……」
周囲が、あの、その、どうされました? とアウフを心配する声をかけているが、全くアウフの耳には届かない。
今、アウフの頭の中の全脳細胞は、蒸気による圧力で一体何ができるかに注がれていた。
「あの硬い金属を精密に加工する工具を作るための装備強化の湯……? 完璧な密閉のために細かな継ぎ目を消し去るための装備修復の湯?
そして、最後に未来の動力のヒントとして、水流を噴出する風呂を……温泉ダンジョンの意思は、私に?」
わけのわからない所からも、そうだ、これも、あれも、蒸気機関に関する内容のヒントだったのだと、暴走するアウフの頭は勝手に解釈していく。
ヴィヒタなら、またいつものが始まった、くらいにしか思わないが。
アウフの警護に慣れていない周囲は、自分の世界に入り込み、言動がおかしくなっていくアウフにあたふたするしかない。
温泉ダンジョンの意思は、ずっと未来の技術を私達に届けて、地上の文明そのものを底上げする気だったのだ。
一体どこまで考えて動いていたというの? 温泉ダンジョンの意思は?
アウフは終いにはそんな事まで妄想し始める始末だが、もちろんあの温泉マスターがそんなことまで考えているわけはない。
全く、過大評価もいいところである。