タオル
「ああー冷たい、これからは水筒の水がずっと冷たいんですね」
10階層のトレーニング強化階層の湯に浸かりながら、第1部隊が新しい水筒で水を飲んでいる。
新しい水筒には、二重底になった水筒の底の部分に氷を入れるスペースがあり、その中に仕込んだ溶けない氷が常に水を冷やしてくれているのだ。
「5階層までだぞ、この水筒は地上持ち帰り不可だからね」
「ここまで冷えた湧き水を飲める瞬間は贅沢の極み、……その贅沢が日常化するのは変な気分ですね」
「やれやれ、運動で熱気を持った身体を冷ますのには良さそうだからやめろとは言わないけど、こんな贅沢してると精神の方が悪い意味でなまらないか心配だよ」
温泉ダンジョンは間違いなく身体は鍛えられるダンジョンだ、ここで過ごしていると間違いなく実力は付く。
しかし、鉄ダンジョンや糸ダンジョンや武具ダンジョンのような過酷な環境に、長らく潜り続ける精神力のほうがなまりそうな気がしてならない。
よそのダンジョンには、冷たい水も、美味しい食事も、温泉もないのだ。
トウジ隊長はそのあたりがだんだんと心配になってきた。
「トウジ隊長ー、今回の業務もいつも通り、各階層の湯と、石鹸と鏡と、装備品修復と強化の湯につけた居住素材の運搬ですか?」
「今回は最下層に新しい階段ができていないかの全体点検がある」
「あの階層を全体点検ですか……」
17階層の歯の治る湯が湧いている階層、あの階層は9階層同様に広い草原のため、全体点検には時間を要する。
見つけるべきは新しい階層への階段だけなので、早々と終わらせるには、9階層の時のように階段の隣に階段を置いてくれているような優しい状況を期待するしかない。
そして17階層に降りてきた第1部隊は即、発見した。
見覚えのない岩山が1つ増えていたからだ。
「トウジ隊長、あれ新階層への階段ですよね多分」
「……まあ、何の意味もない岩山をぽつんと増やすわけもないとは思うが」
「周囲の壁の探索と岩山探索で部隊を分けますか?」
「いや、いい、全員であの岩山に向かおう」
このダンジョンにはたしかに意思がある。
なるべくダンジョンの奥底に、人を大勢呼び寄せたいという明確な意思が。
トウジ隊長もその事についてはもはや疑う余地もなかった。
それを踏まえると、明らかな変化を見せておきながら、階段は別の場所に作るなどといった意味のない事をするとは思えない。
実際、新しくできていた岩山の麓までたどり着くと、そこには下層へと向かう階段があった。
階段を降りていくと階段を降りたすぐそばに、赤色のヒグマのようなモンスターが待ち構えておりトウジ隊長におそいかかる。
赤いクマの素人丸出しテレフォンパンチをダッキングでかわして前に出る。
素早くバックをとり、バタフライナイフで素早く頸動脈を掻っ切ると、赤いクマは倒れ、魔素となり消滅して消えた。
18階層ともなれば敵はかなり手強くなる。
……手強くなる、はずなのだが。
第1部隊らにとってはまだまだ歯ごたえがない相手な上。
温泉ダンジョンの訓練でいつもよりパワーアップしているせいなのか、なおさら歯ごたえを感じない。
これでは温泉ダンジョンのモンスターが弱いのか、自分が強くなってしまったのかいまいち測りかねる。
「16階層の湯船に漬け込んだこのナイフは便利だねえ、20階まではこれ一本でいいか」
武具ダンジョンから出始めた新しい戦利品のナイフを、トウジ隊長もすでにシルド団長から数本いただいて使っていた。
武具ダンジョンではそれほど深くない階層から出るようになったナイフらしいので、いずれ大量に仕入れられるだろうとのことだった。
作りが便利とはいえ、ダンジョンでモンスターと戦う武器として使うにはさすがに少々心もとないナイフだが。
16階層の装備強化湯に漬け込めば、十分モンスターとも戦える強度と切れ味になる。
普段使っているセパンス王国の名刀も15階層の装備修復湯で直るのだから、あまり後生大事に温存し続ける必要はないのだが。
あの湯は結局、武具の修復ではあるが再生ではないため、欠けた容量分刃は薄くなるという結果だった。
つまり装備品が超絶長持ちするだけであり、無限に直るというわけではないため、とりあえず今も武器は温存していた。
ダンジョンの奥に進んでいくと、なんだかダンジョンらしくない雰囲気の場所がある。
見慣れない壁をした部屋に木の棚が置いてあり、そこになにかがたくさん置いてあった。
タオルである。
「なんですかこれは?」
「……布か? これは」
第1部隊の面々は、備え付けられたタオルを手に取りそれを揉みしだき、言葉を失う。
「……ふかふかですね」
「……強度は、それほどでもなさそうだが、肌触りはいいな」
「顔を拭いてみてください、すごい汗の吸収性ですよ……これは温泉上がりに使えという事なのでしょうか」
「……あの、隊長、私はこういったものに詳しくはないため、よくはわかりませんが、糸ダンジョンで採れる布よりも良くないですか?」
一応、セパンス王国にも汗ばんだ身体を拭いたり、風呂上がりに身体を拭いたりするタオル用途の布は存在する。
しかしそれはあくまでタオル用途に使う布であり、現代日本人が手にとってもタオルと呼べるようなモノではない。
もちろん、その布の吸水性や質感は、お世辞にもあまりよろしくはない。
糸ダンジョン製の糸で作られた布であればかなり質はよくなるのだが、あくまで布や糸の質や強度が異常に高いだけである。
製法から根本的に異なる吸水性に満ち溢れたふかふかのタオルなどは糸ダンジョンにも存在していない。
「これは……使わずに持って帰るべきですかね?」
トウジ隊長は少し悩んだあと。
「いや、これを使う事に意味がある可能性も考えられるからな、今回は1人につき1枚好きに使うことを許す、余ったものは極力触れずに汚さず持ち帰れ」
「やった! ……あ、いえ、畏まりました! そ、そそ、それでは温泉の方に行きましょう!」
一瞬物欲の喜びを表に出したら、トウジ隊長の目が、仕事だってわかってるのかコラ、という殺意の目をしていたのであわてて部下は気持ちを仕事に戻した。
ごまかすように温泉の浴槽に向かうと、そこには意味不明な光景が広がっていた。
タイルが敷き詰められた床に、大理石でできたような四角く区切られたような浴槽だ。
何より異様な事に、その浴槽のいたるところから間欠泉のように水が吹き出し、一部の水面は猛烈に沸騰しているかのごとく異常な量の泡が吹き出していた事である。
「な、なんですかこれは? 熱湯なのですか?」
熱湯にしては蒸気がさほど熱くない、ゆっくり手を触れてみても普通の温度だ。
「……いや、一見沸騰しているような様相だが温度は普通だ、ならば私が入ろう」
突然20歳近く若返ったりしても問題がないように、未知の湯には年齢の高いものが入る事になっているため、トウジ隊長が率先して入る。
泡や水が吹き出している場所を避けるように湯船に浸かり、その効果を確かめる。
……よくわからない。
やはりあの間欠泉のように水が吹き出している場所が問題なのだろうか。
トウジ隊長はその水が強烈に吹き出している箇所にゆっくり手をかざし、安全を確かめながら慎重に進んでいく。
「そ、そこは大丈夫なのですか隊長?」「あぶないですよ!」「危険ではないのですか?」
「……強烈な水流が鋭く吹き付けてきて腰を刺激される、底から湧き出てくる泡も身体を優しく撫でるようで……気持ちがいいなこれは」
「そ、そうですか、それで……温泉の効果は?」
「……わからん」
正直何もわからない、今のところ水流でマッサージされて疲れが取れる新鮮な感覚の気持ちの良い風呂だ。
やはり湯上がりにあの布で体を拭くことで何かが発生するのだろうか?
♨♨♨♨♨
「マスター? なぁに、この変なお風呂」
「俺の住んでいた世界の公共施設の温泉だと、そこそこ一般的な風呂だぞ」
「このお湯が勢いよく吹き出してる変なお風呂が?」
簡単に言えばホテルの大浴場やスパ銭などに置いてある、普通のジェット水流つきのジャグジー風呂だ。
なぜこんなダンジョンにそぐわないスパ銭風の風呂になってしまったのかというと。
現世でタオルが使い放題だった施設を想像して建てないと、タオルの設置コストが無駄に高かったからである。
なんだかいつもの、洞窟に湧く温泉や、青空の下に湧き出す露天風呂みたいな見た目にすると、タオルを置くコストがやたらと高くついたのだ。
この原因はおそらく俺が人生で味わった温泉の中では、タオルが使い放題の露天風呂タイプの温泉を見たことがないせいだと思われる。
タオル使い放題を謳い文句にしてタオルをたくさん置いてある場所は、ホテルの大浴場みたいな施設の浴場でしか見たことがなかったからな……。
一応、現代の公共風呂にはほぼ必ずついている金属製の手すりみたいなものは省略させてもらった。
金属は設置コストが高いし、設置したら絶対窃盗されるからね。
まあ、屈強で健康な騎士ばっかり来るんだから、そんなバリアフリーは考えなくてもいいだろ。
「それにしても、ヒグマみたいなモンスターはほとんど無警戒で相手してるくせに、ジャグジー風呂はあんなに警戒して入ってるの変な姿だな」
「なんかトウジ隊長、全然効能を感じてないみたいだけど、この温泉の効果って何なのマスター?」
「……体力完全回復の湯、なんだけど」
なんで効能を感じてくれないの、この人。
もしかしてダンジョンの18階層まで歩いてきて。
ノーマルなお風呂に入って感じる疲労回復効果と区別がつかない程度にしか疲れていないのか? この人は?
そう思ってみていたら、隊長さんだけじゃなく他の第1部隊の面々も、おお~この水流のマッサージ疲れが吹き飛ぶな~! 気持ちいい~
みたく、普通にジャグジー風呂を堪能しているような感想ばっかりで、誰も超常効果の体力回復に気がついてくれないぞ!?
おい、早く誰か気づいてくれ。
本来の用途は体力トレーニングをやりたい放題の風呂場なんだよこれは。
18階層まで一気に駆け下りてきたわけではなく。
16階層の装備品修復の湯で服や備品を洗って、装備品を干しながらしっかり一晩休憩しているせいだなこれは。
17、18階層程度を降りてきた程度ではたいして疲れていないのだ、この人たちは……。
なんか今度はタオルで体を拭いて、そこで効能が現れるかを確認しだしてしまったぞ。
関係ないから! それ18階層まで何度も足を運んでもらうために配ってるだけのサービス品だから!
そんなタオルのふかふか具合を堪能しながら、丹念にゆっくり脇や胸や太ももを拭いたりしなくても……しなくても。
……うむ、エッチだ。
全裸を見すぎたせいか、現代のふかふかタオルを巻いた姿が随分健康的に感じる。
そのままタオルのふかふか具合をもっと堪能していってください。






