持ち運び
はー、危惧していた、ダンジョンで寝泊まり暮らしの生活が本当に始まってしまいそうです。
しかし、昔ほどの絶望感はありません。
ダンジョン内部でも、ちゃんとした部屋と布団で眠れる計画なのですから。
おまけにダンジョン室内では、酒を飲んで、読書して、刺繍しての自由が許された休暇すら取れるのです。
その休暇の頻度は、ダンジョン手当として地上生活の倍もらえます!
一度休暇を潰されたお詫びに、ダンジョン産のお酒をもらったことがありましたが。
アレを飲んで過ごせる生活と考えれば、ダンジョンで寝泊まりも悪くありません。
美味しすぎるのです、お部屋に隠していたお酒は、あっという間になくなってしまいました。
ダンジョン休暇中に、個人として戦いドロップしたお酒なら、3割は自分のものにできてしまうのです!
3割はダンジョン税として納めます、4割は輸送部隊の使用料です。(輸送部隊を使わない事も可能です)
残った3割が自分のものです。
これは、一般的な冒険者たちも同じです。
100本ほどのお酒を入手して、30本を自分のものにした場合。
そんなには飲みきれませんので、10本ほどは商人に売ってしまえば自分の貯金にもできるのです。
これらの話を聞いた結果、ダンジョン暮らし計画に絶望している者はほとんどいなくなりました。
そんなわけで、まずは建物の組み立てです。
ここしばらく、私達が鍛えあげた輸送部隊候補の方々に、建築物資を運ばせて。
温泉ダンジョンの9階層に、仮住まいレベルのものすごく粗末な小屋を建てました。
アウフお嬢様いわく、ダンジョンの意思との交渉が成立していたら、この建物はダンジョンには吸収されないとのことです!
そして2日後、綺麗さっぱり建物は消えてなくなっていました!
やはり世の中、そんなに甘くはありません。
……しかし、なんだか見慣れない地面が代わりに出来ていました。
黒くて平べったく、石畳とも違った手触りの地面です。
それが、何百メートルにもわたって広がっています。
とりあえずこれは、アウフお嬢様に報告です。
手のひらサイズほどの地面の破片を、なんとか砕くように切り出して持ち帰ります。
館にその石を持ち帰ると、お嬢様はその石をしばらく撫で回しながら、すごい笑顔になっていました。
すごい笑顔というのは、屈託のない爽やかな笑顔ではありません。
なんかこう、ニチャア……とした感じの、笑顔です。
欲の強いおじさんが、金塊を撫で回している時にするような、ぐふふ系の笑顔ですねこれは……。
「あああああ!! ダンジョンさん! ダンジョンさんが応えてくれたっ!!」
「あの~、お嬢様?」
「この石の素材の地面が、広がっていたのよね?」
「え、ええ、はい。王宮の広場くらいのサイズの、そんな地面の場所が。」
「この摩擦の具合や、硬さからすると、車輪での移動にもっとも適した地面を作ってくれたんだわ! ダンジョンの意思が私の手紙に応えてくれたのよ!!!」
アウフお嬢様は、ダンジョンに意思を伝えることが出来たと確信したのか。
えらく興奮して、持ち帰ってきた黒い石の床に、愛おしそうに頬ずりまでしています、あーあ……キスまで。汚いですよお嬢様……。
お嬢様はまるで、お手紙を出したアイドルや英雄から返礼品をもらったファンのようです。
「しかし、最初に建設した建物は普通に消えてしまいましたが?」
「うん、じゃあ、動いていない地上の物質を消さないのは単純に無理なんじゃない?
こんな地面を作ってくれるほど計画に協力的なのに、それをやってくれない理由なんて、できない以外に何もないもの」
「だったら、地面じゃなくて、建物そのものをダンジョンが建ててくれればいいじゃないですか?」
「うーん、それをやってくれたとしても、それって結局、その建物はダンジョンよね?
その中に荷物を置いていたら、普通に時間経過で消えちゃうんじゃないかしら?」
「……あ」
言われてみれば、そんなものが建っていてもなんの意味もありませんね……。
結局本質がダンジョンなので、モンスターだって直接寝室に湧いてきそうですし。
「まあ、最初の計画通りに、あれをダンジョンに設置する方向性で行きましょう」
そう言うと、お嬢様は、公爵邸の広場に建てられた、四角の鉄の箱を指さします。
数十人くらいが寝泊まりできる、鉄道の上に置かれた車輪付きの動かせる室内です。
それをモンスターに壊されないよう、鉄の壁でガッチリと周囲を覆った物です。
外から見ると、ただの大きな四角い鉄の箱でしかありません。
内部にあるハンドルをぐるぐると回せば、外側を覆った鉄の壁はほんの少し浮く構造になっています。
あとは鉄道を組み立てて、数人がかりで押せば、この建物は丸ごと動かす事ができます。
足場の鉄道と、建物が消えないだけの距離を動かすのにかかる時間は、練習すればおおよそ2時間程度でしょうか。
「もしかして、この地面なら鉄道は省略できないかしら?
だってこれ、城下町の馬車が通る石畳の床より、車輪での移動に適してそうじゃない?
次の試作品は、ダメ元で鉄道の省略版も作ってみるべきかしら」
「それなら、一日ちょっとの距離を押すだけですので、数分で終わりますね、実用できれば実に助かります」
「これって、瀝青みたいなものに砂利を混ぜて作った床なのかしら……? ……ちょっと道路舗装の技術者にも見せて……実用性の検証をしないと、ブツブツ」
なんですか? れきせい? って。
まあ、専門的なことはアウフお嬢様がわかっていればそれでいいです……。
どうせ私が聞いたところで、しばらくすれば忘れてしまうでしょうから。
♨♨♨♨♨
しばらく女騎士たちを観察していると、手紙に書かれていた通り、丸太で小屋を建て始めた。
別に消されても構わない前提で作ったような、限界集落にあるバス停のような粗末な小屋だった。
「まあ、実際消滅するからそれでいいんだけど……、建物を作りたい場所はそこなんだな?」
俺は、その建物が建てられた場所を中心に、アスファルトの道路の設営を始める。
はじめは鉄道も作ってやろうかと思ったが、俺にはこの世界の鉄道の車輪のサイズや、線路幅の規格がわからない。
鉄道と言っても、現代人が想像するような電車などではなく、トロッコレベルの技術のはずだ、どんな物が出てくるのかまるでわからない。
そもそも俺は鉄道に関しては門外漢にもほどがある、下手なものを作るとかえって邪魔になってしまう気がしたのでやめた。
ついでに鉄は取り出すコストが異様に高い。
このダンジョンは温泉と無関係な物を取り出す場合、通常の何十倍ものコストが掛かってしまう。
ペタちゃんの飯困らずダンジョンも同様だ。
それでも、線路として大人しく使ってくれるのなら、たいした問題はないのだが。
無限に鉄が取り出せる鉄鉱山として、鉄道の剥ぎ取り場所に使われたらたまったものではない。
温泉と関係ある(と俺の脳が解釈している)石鹸や鏡と違って、鉄は頻繁に持ち帰られた場合ダンジョンの採算が合わなくなるのだ。
色々考えた結果出した結論は、舗装した道路だけ作っておくから、あとは好きにしてくれ、である。
アスファルトも温泉のコンセプトからは外れているので、設置するコストは相当に高いが、剥ぎ取られて持ち帰られる心配はないため、初期投資だけで済む。
さすがにこんなものを持ち帰って使おうとは思わないはずだからな。
そんな風に思って様子を見ていたら、ヴィヒタとかいう女騎士さんが、道路の端を砕いて床を剥ぎ取ろうとしていた。
やだ! やめて!?
手のひらサイズほどの床を砕くと、それだけを道具袋に入れて持ち帰り、それ以上の道路の破壊活動はやめてくれた。
ああ、そうか、その床を例のお嬢様に見せて報告がしたいわけだな? よかった、助かった。
このアスファルトの床は修繕するコストもとても高いのだ、壊されるのはすごく困る。
「……壊された箇所の修繕が半年はかかる設定にしてやろう」
さっさと修繕してしまうと、サンプル採集目的でもっと壊されてしまうかもしれない。
そう簡単に壊さないでくれというアピールのためにも、修復にかかる時間はたっぷりと取ってやる事にする。
それから数日が経ったころ、騎士たちは本格的な建築素材を大量に運びこみ始めた。
地下で訓練していたトウジ隊長達もこの建設には協力し、一部の部品を16階層の、ダンジョン内部限定の装備品強化の湯に漬ける作業をしていた。
そのほとんどは、詳しくはわからないが車輪関連の部品に見える。
摩耗しやすいパーツを温泉の力で強化しているのだろうか。
たしかに温泉ダンジョンの外に持ち出さない部品に、ダンジョン限定強化の処置を施すのは合理的だ。
そんな建設の様子を眺めているうちに、それはとうとう完成した。
外観からは、ただのコンテナみたいなものにしか見えない。
最後に、モンスターがこのコンテナに体当たりをしてこないように、壁に剣山のごとく刃をあしらえば完成らしい。
ハリネズミのような状態の四角い箱の部屋、なんとも不格好な見た目であり、試作品第一号感が漂うシロモノだった。
「……う、うん、ここから何度も似たようなものを作り続けることで、いずれ性能と見た目が洗練されていくんだろうな」
俺はとりあえず、外見に関しては見なかったことにする。
どれ、箱の中の様子を見てみようか。
中は意外と快適な空間なようで、くつろげる空間を一番重視して作られているようだ。
鉄の窓を開いて、光を取り入れることも可能なようである。
鎧を脱ぎ捨てて、肌着になった女騎士が、ころっと転がってくつろいでいた。
「ああ~、ダンジョン内で鎧を脱いで、安心して本を読んでくつろげる~、幸せ~」
「実家のような安心感とまではいきませんが、騎士団の軍事キャンプ場にいる程度の安心感はありますね。」
「今回の任務は、ここでの生活感を実際に確認することですので、過ごし方は自由ですよ」
「温泉の湯が届くのが楽しみです~」
ん? 温泉の湯?
なんだか謎のフレーズが飛び出したが、箱の中の生活空間を全体的に確認した所。
寛げる場所、トイレ、五段ほどある収容所のようなベッド、そして最奥に、木組みの大きな枠が存在していた。
最奥の木組みの枠が一体なんなのか、よくわからなかったが、これはもしかすると浴槽なのだろうか。
つまり、温泉ダンジョンの温泉を、ここの浴槽に運んで入るつもりなのかな?
「虫歯、9階層でも治るのでしょうか?」
「どうでしょう? 浅い階層になるほど効果は下がっていくとアウフお嬢様は言っておりましたが。
歯が治る効果と、9階層の肉体の歪みが治る効果って同等くらいの奇跡に思えるんですよね?
ですから9階層でも、歯の治療効果程度なら、十分に発揮される気はするのですが……」
ちょっとまて!
何を言っているの??
というか、そんなことが出来たの??
それは駄目だ!それは駄目!
17階層まで、ユーザ陛下とその大量の護衛をご招待するのが目的で、歯の修正湯を設置しているんだぞ!?
9階層まで持ち帰った湯で、歯をさくっと綺麗にされて、最下層まで来ることないまま帰られては困る! 困る……。
困る?
……あれ? これって、本当に困るのだろうか?
浅い階層の住処にお湯を持ち込んで効果が得られたとしても。
結局は、お湯の汲み出し作業のために、最下層まで何度も何度も際限なく誰か実力者が潜り続ける必要はあるのだ。
長い目で見れば、特に困らない気もする。
ユーザ陛下という超絶太客を深い階層まで一本釣りするのと。
長期的に最下層のお湯の汲み出し作業に勤しみ続けてもらい、9階層までしかこられないお客にも大勢入浴してもらう事。
どちらが稼げるかと言えば、最終的には後者のほうが稼げるのではないだろうか?
「これ聞いたらテタ王妃怒るだろうな~、だって11階層のお湯も、11階層の入口まで持ってくれば十分ってことじゃない?」
「……テタ王妃背負って11階層の温泉まで行くのと、11階層の温泉からお湯を入口まで持ち帰る難易度って同じようなものじゃないですか?」
「百人で、お酒の紙パックひとつ分ずつのお湯を持ち帰ればどうにか……?」
「それ、一回分の入浴にいくら予算がかかるのよ……? 11階層の温泉の価値は、そこまで下がりそうになくて何よりですね」
「今回の実験が成功したら、飯困らずダンジョンの方にもお湯を運ばなくてはいけませんね……」
「ああ~、やだやだ、考えたくない、考えたくな~い! 一体どれだけのお湯を運び続ける事になるの!」
え?
飯困らずダンジョンにも温泉を運ぶの!?
そう思った瞬間。
「えっ? 私のダンジョンの方にも温泉を運ぶの!?」
マスタールームの奥で、呑気にピザを焼いていたペタちゃんが、突然目ざとく反応して俺と同じ感想を漏らす。
まともに話を聞いていないようで、ちゃんと聞いていたらしい。
「できるの? それって」
「飯困らずダンジョンの食材を、温泉ダンジョンに持ってくる事が出来たんだから、できるでしょ」
それはそうだ。
逆が出来ない理由などどこにもない。
コアが同じペタちゃんなのだから、できるに決まっている。
つまりこれからは、男客も温泉の恩恵を、飯困らずダンジョンで受けられるようになる時代が来るってわけだ。
「……うーん、無理に持ち帰りの効果を止めて、ユーザ陛下に無理に最下層まで来てもらうより、確実に累計では稼げそうだな!」
よし、許す。
その温泉の移植計画は、とりあえず邪魔をしないでおこう。
なあに、飲食チェーン店みたいなもんだ。
本店独占で踏ん張るより、フランチャイズ化ができるのならやった方が稼ぎはでかいだろう。
俺はペタちゃんの焼いたピザと、取り出したコーラを頬張りながら、事の成り行きをゆっくりと観察することにした。






