目的
その後、女王王妃一行は泡風呂階層に向かい、問題なく到着した。
泡風呂階層において、トウジ隊長は。
「こんな匂いをつけたら探索の不利になるだろう! 第1部隊はこの湯には入るな!」と、文句を言ったが。
「トウジよ、ちゃんと資料館の資料は読んだのか? いや、まだ資料館にはその研究報告の公表はされておらんかったかの……?
まあよい、とにかくここでつく香りはダンジョンの瘴気じゃから、むしろダンジョンの敵は警戒心が薄れこちらに気が付きにくいという話じゃぞ」
泡風呂で泡と戯れながら、ユーザ陛下がそのように言う。
つまりこの浴槽で香りをつけることは、むしろ有利だという話だ。
そう聞くとダンジョンにおいては、この香りはつけておいた方が良い。
では地上での護衛として、対人戦を想定した場合はどうなるのかトウジ隊長は考える。
その結論も同じである。
この匂いが強くするということは、ダンジョン12階層まで来られる武芸者が揃っているとアピールする事になる。
姿を隠して行動する隠密なら、この湯に入るのは御法度かもしれないが、騎士団の場合は目立つことはむしろ利点である。
我々が護衛をしているのだから陛下に対し変な気は起こすな! と存在感を見せつけ抑止力となるほうが騎士としては正しい姿だからだ。
つまりどのような角度から考えても、この泡風呂に入って、いい香りをつけたほうがメリットは大きいということになる。
……つけたくない。
トウジ隊長は、今の自分の美しくなっている姿は、気分的に気に入っていない。
この上さらに、全身からいい香りまで放つ麗しの女騎士になるなど正直勘弁してほしかった、もはや辱めに近い。
しかし、このままの状態の人間臭の方がモンスターには気づかれる事と。
いい香りになってしまった陛下達の鼻には、自分たちの自然な状態は悪臭に感じられる可能性もある。
どう考えても、入浴を断る合理的な見解が得られない以上入るしかなかった。
「それでは、我々も失礼いたします……」
トウジ隊長達も観念して、順番に泡風呂へと入る。
テタ王妃も非常に上機嫌で泡風呂温泉に浸かっている。
周辺に第1部隊達のギチギチに引き締まった裸体まみれの中、ただ一人ふくよかな美しさを持っている王妃をユーザは少し羨ましく思う。
デブなど、肌がいくらどうなったところで所詮デブじゃろ……と内心では思っていたが。
美しいふくよかは、女性としての魅力が痩せているよりもむしろ高いのではないか? とまで思い始めた。
ユーザ陛下は割れた腹筋が浮き出ている自分の腹を見て。
帰還後の晩餐ではめちゃくちゃ食って、少し脂肪を乗せようとまで考え出した。
つい先日まで、身体を引き締めるために11階層のエリアをわざわざ自力で走破した者とは思えない思考である。
テタ王妃は逆に、周囲の引き締まった身体が羨ましく感じ、自分の国に帰ったら少し運動をしようと考え出した。
まさに隣の芝生は青いというやつである。
そのため13階層の鏡張りのムダ毛湯に向かう途中、テタ王妃は駕籠を降り、ある程度歩くことにした。
そして道中襲いかかってくるモンスターを近くで見た途端、あまりの恐ろしさに漏らした。
このあたりの階層のモンスターになると、鍛えていない一般人なら、一目見ただけで確実な死を感じる程度には凶悪なのだ。
私は美容のためにいったいどこに来てしまっていたのだろう?
ここまで駕籠の中で外も見ず、最強の護衛に守られ運ばれ、呑気に談笑していた王妃の頭が、死の恐怖により一気に現実に戻ってきた。
ユーザ陛下も武術の心得があるとはいえ、このあたりの階層のモンスターと戦うと死ぬ可能性は十分にあるので心中あまり穏やかではない。
よっぽどな効果の温泉が湧かない限り、ここから先の温泉に自分が向かうのはやめておいたほうがいいとは思っている。
よっぽどな効果の温泉が湧いたら? 行くが。
「は、はは、早く戻りましょう、地上に」
「この階層の湯が最後ですぞテタ王妃。
なに、トウジの第1部隊とシルド団長の部隊という、女騎士では世界最強の布陣です、万が一の事もありえないであろう」
こんなところで最後の湯を残して帰られてはたまらん。
さっさと先に進むようにユーザ陛下は指示した。
そして一行は鏡張りの部屋に到着した。
鏡の再生は終わっているようで、部屋は全面よく映る鏡に囲まれていた。
「我々が入る前に湯の確保をしておけ、ここの湯は地上でも使えるからの」
ユーザ陛下は侍女に、自分の服を脱がさせながらそう命令する。
そしてお湯の汲み取りが終わるまで、自身の全裸を鏡の部屋で確認する。
11階層の湯に入りたての身体はやはり輝きが違う。
ユーザは満足気に身体を眺めた。
いっぽうテタ王妃は、鏡を見て唖然としている。
一応この鏡で自身の姿を見るのは初めてではない。シルド団長が持ち帰ってきた鏡で確認したことはあるからだ。
それだけに、今の自分自身の姿の別物ぶりがはっきりと窺えてしまう。
その驚きは。なんという所に勢いで来てしまったのでしょう……恐ろしい、もう二度と来ることはないでしょう。といった先程までの後悔と恐怖心を打ち消した。
さらに効果の高い湯が更に深い階層に出来てしまった場合、危ないからもう来ないという判断を下せる自信がなくなってきた。
それほどまでに、今の鏡に映った自分の姿が理想的で美しい。
「それにしても……ここの鏡は非常に素晴らしいですわね、追加で買い取らせていただいてもよろしくて?」
「申し訳ないがここの鏡は、この前にシルド団長どのが持ち帰ったのを最後にしばらく他国に流すことを禁止する予定じゃ」
王妃のみならず周囲にいる護衛の騎士も動揺する。
その件に関してはトウジですら初耳だ。
「特に秘匿すべきことではないから言うが、この鏡を使って灯台の性能を跳ね上げる反射板を作りたいらしいのでな。
わが国すべての灯台の改良が終わるまでは、他所に持ち出しさせるだけの余裕がないのだ」
灯台の性能が跳ね上がる。
それは交易の船の安全性が跳ね上がり、光を頼りに他国から立ち寄る新しい船も増え、新規の販路の確保にもつながる。
非常に大きく国益に関わる案件だ。
トウジ隊長はその話に聞き耳を立てて、心の中で歓喜する。
貴族たちの美貌の確認や、見栄えのために広間に置くための用途の鏡を、何度も何度も採集しに来なければならないというのは、正直気が滅入ると思っていた。
しかし、それほどはっきりと国益につながる利用方法に使われる事が決まっているのならば収集作業にもやる気が出る。
おそらくはヴィヒタがよく話している、あの賢いナウサ家三女の提案だろう。
会ったことも見たこともないが、アウフという娘はトウジ隊長にとって非常に好感が持てる存在だ。
この温泉ダンジョンにおいて、美容欲にも目先の欲にも目がくらむ事なく。
ユーザ陛下をも説き伏せる理屈で、国益を最大限に引き出す提案を打ち立て続けている。
きっと恐ろしく理性的な愛国者であり、知的な賢人に違いない。
トウジ隊長は、勝手にアウフの事をそのようにイメージするが。
考えようによっては、アウフほど自身の欲にかられた勝手な思考と判断と行動をしている者もそうそういない。
ただ、彼女は欲の方向性が常人とは大幅に異なっているだけなのだ。
ある意味では、理性的な戦闘狂という常人とは異なる思考で動いているトウジ隊長もアウフと同類なのである。
二人共、国益にかなっているんだからいいでしょう。という言い訳で、自分の欲を満たすために動いているのだから。
「お待たせいたしました、湯の確保が終わりました、どうぞお入りください」
浴槽に浸かると、必要な毛は残り不必要な毛は産毛一つ残らず溶け、完璧な肌になっていく。
テタ王妃は思う。
ああ、完璧だ。必要としていた美容のすべては手に入った。
あとは……思いつく限りではただ一つ。
「……ユーザ陛下、私はもう満足です、ダンジョンは恐ろしいところです、いくら護衛が優秀で、ほぼ安全が約束されていたとしても、再度ここまで潜ってくる気にはなりません……」
「そのほうがよろしかろう、王族がこんな危険な所まで来る事が馬鹿げているのは事実じゃからの……わかっておるよ、わかってはいるんじゃよ、わらわも」
「しかしながら、ある効能の湯が発見された場合は、また戻って来る可能性も否定できません……」
「それもわかる、4階層の湯の強化版じゃな」
若返る湯。
それも数歳若返るとかいった程度のものではない。
30代40代の肉体が10代後半の全盛期の肉体に舞い戻るような湯だ。
世界の王族、貴族のみならず、人類のほぼすべてが望んでいる効果。
手に入れるのではない、かつて自分が持っていたはずの力を取り戻す効果だ。
「その湯を何階層で出してくれるのかわからぬが……しばらくは勿体つけられるじゃろうなぁ……。
せめて10年……いや5年以内には出来て欲しいところなのじゃが……」
それがいつできるのかはわからない、しかし、このダンジョンはいつかその効果を作り上げるという確信はある。
4階層で軽く若返らせる湯を見せつけ、肌が綺麗になる湯の強化版を何度か出したのが良い証拠だ。
ダンジョンは始めから、ずっと我々にこう言ってきているのだ。
若返りたければ俺を巨大なダンジョンに育てろ、と。





