内密の話
テタ王妃は、少しばかりご立派な体格をしておられる。
ゆえに、頑丈な椅子をベースに、糸ダンジョン産の丈夫なロープで背負えるような形を作り。
そしてベルトで身体を椅子に固定できる背負子を作ってもらう必要がある。
これをトウジ隊長が背負って、テタ王妃を背負い、十二分に動いて大丈夫かどうかをまず実験しなくてはならない。
明日出発すると言われたが、その前に、まずそこからどうにかしなくてはならないのではないか?
マーポンウェアの騎士団にトウジ隊長がそう質問すると。
「セパンス王国への移動中に作ります!」という回答が返ってきた。
とにかく急いで王妃をセパンスの温泉に連れて行くのは何よりの急務らしい。
トウジ隊長は温泉ダンジョンの11階層を、人を担いで走り回った経験はある。
あのときの仲間よりは多少重いだろうが、別に大丈夫だろうと考えていた。
気が乗らない仕事ではあるが、大量の武具と赤の剣を回収できる条件なら仕方がない。
セパンス王国に大急ぎで戻ろうか。
それから数週間後。
テタ王妃とマーポンウェアの女騎士を連れてセパンス王国へ第1部隊は帰還してきた。
これまでの第1部隊では考えられないほどお早い帰りである。
懐かしい我が故郷という気すら湧かない。
それなのに戦利品の量はこれまでとは比べ物にならない量だというのがどうにもアンバランスである。
第1部隊としては、戦って得た戦利品ではないので、あまり胸を張る気にはなれない。
王宮の近くの広場では、あいも変わらず貴族の娘達が11階層を模した遊具で汗を流していた。
前に見たときよりもずっといい動きになっている。
頑張っているようで何よりだ。
「テタ王妃、ここで一度、あなたを背負っての移動の模擬訓練をしておきましょう、背負子はできてるね? 壊れて王妃様が怪我したらあんたらのせいだよ、ちゃんと頑丈に作ったね?」
マーポンウェアの騎士たちは無言で頷き、作り上げた背負子を出す。
見栄えもへったくれもない、ただ頑丈に、ただ安定感を重視した作りになっている。
トウジ隊長はそれを見て笑顔になる。
この期に及んで見栄えなんかを気にした作りにしてない所は、合理主義者の隊長には好感が持てる。
トウジはそれを背中に身につける。
「どうぞ、テタ王妃どの、お乗りください」「うむ……」
テタ王妃は地味に不機嫌である。理由はセパンス王国ですれ違う女子、みんながみんな綺麗だからである。
下手をすればただの平民ですら、王妃様より美しい肌をしている者すらいるのだ。
しかし、これからその肌を手に入れに行くという期待感を考えると、まだ表立ってキレる状況にはない。
仮にここでこのトレーニングエリアを、トウジ隊長がテタ王妃を背負って回れなければ発狂するようにキレるだろうが。
ゆえにマーポンウェアの騎士たちはこれからの様子を固唾をのんで見守っていた。中には天を仰ぎ神に祈っている者すらいる。
「はいはい、すまないね、ちょいとお嬢さんたち遊具を一時、貸し切らせてくれないか」
「は、はい! トウジ隊長!」
周りの貴族の娘たちが遊具から離れる。
この遊具を回っている者たちは結構な身分の娘達なので、だいたい皆テタ王妃の事は知っている。
トウジ隊長がテタ王妃を背負って、遊具で模擬訓練をする時点で、向こうの国で何があったのかは概ね察せる。
「……大丈夫なの?」「いくらトウジ隊長でも、人を背負っては……」「だってテタ王妃ってちょっとデ……」「しっ! 馬鹿!」
しかし、いざ実際に回り始めると、普段から毎日回っている娘達よりはるかに速い速度で、テタ王妃を背負ったままトウジ隊長は遊具を回っていく。
あまりに速いので、部下の騎士も王妃が吹っ飛ばないように両脇に付いてもしもの事故に備えている。
あっという間に5周ほど回ったあたりで、トウジ隊長は動きを止めた。
「ふん……問題はなさそうだね。みんな邪魔したね」
止まった理由は、疲れたわけではなく。
5周ほど回った時点で、11階層の温泉まで問題なく回れると確信できたのだろう。
「王妃様、本日はこの王宮の貴賓室でお休みください、明日出発することにいたしましょう」
「うむ! よろしく頼むぞ!」
テタ王妃の顔が、満面の笑顔になっている。
それはそうだろう、今の動きを見れば誰がどう見ても、確実に11階層の湯までの到達が約束されたようなものである。
もう何ヶ月ものあいだ、このアスレチック運動場を駆け巡って、手足の皮や爪を何度も剥いでいる貴族の娘達は、ずるいという気持ちを持たずにはいられなかった。
しかし、第一部隊が持ち帰っているあの大量の武具、おそらく武具ダンジョン産の大量の装備品。
あれがトウジ隊長に運んでもらうために払った報酬なのだろう。
あんなもの、実家の全財産を全部注ぎ込んでも1割も買うことは出来ない量だと断言できる。
私達どころか、前に来ていたケンマの成金金持ちな王女様でも、あれに匹敵するほどの報酬を払えるとは思えない。
世界の覇を争う国の一角である、マーポンウェアの王妃だからできる事だ。
おそらくこれは、トウジ隊長も先例作りのためにこの依頼を受けている。
王族クラスが無理すれば払える報酬で運搬を引き受けていれば、次から次へとひっきりなしにトウジ隊長へ運搬依頼が来ることだろう。
だが、アレと同じ額を払うとなれば、よほどの大国の王が多少無理をしないと払えない。
つまり、追従してトウジ隊長に運搬依頼をできる者はほとんどいない。
「ああ……テタ王妃様、11階層の湯に入った肌をもった貴族……いや、王族を増やしたくないのかもね」
あまりに過剰な報酬を出している理由を、セパンスの貴族娘達は、そういう風に理解する。
ほかの王族も当たり前のように綺麗になられては、自慢にならないからだ。
セパンスの貴族の娘達は、王宮へと向かう第1部隊とマーポンウエアの一団を見ながらそう思った。
♨♨♨♨♨
王宮ではユーザ陛下が隊長と王妃の受け入れの準備をして待っていた。
「おお、トウジ隊長、すでに伝令からあらかた報告は受けておるぞ、ずいぶんお早い帰還になったのう」
ユーザ陛下もご満悦の様子だ。
それはそうだろう、この短い期間でとてつもない量の武具ダンジョンの装備品が手に入ったのだ。
国益で考えれば、あきらかに得しかしていない。
ただ、下層で腕試しが出来なくて残念だという事だけなのだ。
「テタ王妃どのも遠くからよくおいでくださった。当国家が有する、飯困らずダンジョンで産出された美食の数々を今日は味わって頂こう、今日はゆっくりとなされると良い。
ああ、それとトウジ隊長、今回の温泉の旅はせっかくなのでわらわもついていかせてもらうぞ? 12階層の芳香の湯と13階層の脱毛湯は、まだわらわも入っておらんからな」
「あら、13階層の湯は持ち帰りの湯でも効果があると聞きましたが?」
色々と伝令を飛ばして聞き耳を立てているテタ王妃は、そんな細かいことももう知っているらしい。
「ははは、たしかに持ち帰りの湯でも無駄毛はあっさり抜けるのだが、それでは普通にメイドに抜かせるのと変わらん速度で元に戻ってしまう。
しかし、直接13階層の湯に入った者のムダ毛は、今のところ戻らんという話らしいのでな」
「左様でございますか……」
トウジ隊長にとっては心底どうでもいい効果なので、13階層まで行くのはあまり気が乗らないのだが、陛下の護衛である以上仕方がない。
「14階層はいかがでしたか? シルド団長の話では熱湯の温泉があったと聞きますが」
それを言うと、ユーザ陛下はバツが悪そうな顔になる。
「うむ、熱湯をつかって何かをすれば何かしらの効果があるだろうと、第2部隊の奴らが色々と検証中じゃ」
ユーザ陛下は、胸元の宝石をカリカリ掻くような動作をしながらそう言った。
これは「その件に関しては内密の話がある」という意味の動作だ。
「さあ、本日は急ごしらえで、内輪のみでの小さな食事会しか準備できなくてすまないが、楽しんでいただきたい。
貴族達を呼んでの大規模な宴は、温泉ダンジョンから帰還してからにいたしましょうぞ、テタ王妃どの」
そう言って、ユーザ陛下は笑う。
ようするに、これは遠回しに、今日は内々での食事会しかしませんが。
温泉ダンジョンから帰って綺麗になった後での、肌の自慢会場の準備はバッチリだと言っているのだ。
温泉に入る前の状態で、貴族を呼んでの大規模な歓待をされる事など王妃も望んではいないだろう。
これにはテタ王妃も、さっすが~、ユーザ陛下は、話がわかるッ!
と言った感じでご満悦だ。
そう言って、ユーザ陛下はテタ王妃と、マーポンウェア騎士団員を貴賓室へと促す。
全員が退席したのを見計らって、トウジ隊長が尋ねる。
「……それで、ユーザ陛下、14階層の温泉では何があったのです?」
「うむ、温泉の熱気で調理をすると、ダンジョン内限定で一時的な強化が得られる食事が作れるという階層であった。
一時的に力が増えたり、体力があがったり目が良くなったりと、効果は様々なのじゃが。
まあ、はっきり言えば広場でぐるぐる特訓しておる体力不足な娘らでも、それを適切に食わせれば、簡単に11階層は回れるようになるじゃろ……」
「なぜ内密にする必要が?」
「……おぬしらが無茶苦茶な量の報酬をもらってきたからじゃろうが!
テタ王妃は、とんでもない量の報酬を渡すことで、他の王族がおぬしらに気軽に護衛依頼を出せないように牽制しておるのだぞ?
それが、14階層で作った強化料理食べたら、意外と簡単に11階層を回れます~なんて事を知られたら、おそらくあやつはブチ切れる。
……しばらく効果は内密にする必要が出てきてしまったわ、最低でもあやつが国に帰るまでの間はな!」
一時的なパワーアップというのがどの程度かはわからないが、5分ほどの間、マーポンウエアの女騎士の誰もがテタ王妃を運べるほどの膂力になれるのならば。
交代交代に順番に食事で強化して運んでを、20人くらいで繰り返せばいいだけなのだ。
あんな小国の国家予算にも匹敵するような、馬鹿げた報酬を出す必要は全く無い。
たしかにしばらくは黙っていないと、面倒なことになりそうだ。
「そういうわけじゃから、あやつの気分を良くして国に帰すまでは、14階層は効果不明の熱湯が湧いてる温泉という事で終わっておけ、よいな?」
「は……畏まりました。しかし、その一時的なパワーアップというものは、他のダンジョンでも利用可能なのでしょうか?」
トウジ隊長は、テタ王妃の件についてはさておいて、そのバフ効果の食事について考える。
もしその食事が武具ダンジョンでも効果があるのであれば、27階層まで潜り、国家機密となっている伝説の剣を手に入れられるかもしれないからだ。
「さあな、あのナウサの三女は、飯困らずでは通じるかもしれんが他のダンジョンでは望みは薄いとか言っておったがな。
といっても、どこのダンジョンで使う気なのだトウジよ? 武具ダンジョンにはしばらく行く必要がないぞ?」
え!? どうしてでございますか? と、一瞬口に出そうになったが、よく考えれば聞くまでもない。
我々第1部隊が5年ほどかけて集めるほどの武器防具を報酬にいただいているのだ。
どうしてまた、今すぐ武具ダンジョンの武具を取りに行かねばならないのかという話である。
「他国の騎士たちの受け入れが始まり、大勢の軍がこの国に入るようになってきておる、しばらくは国内で混乱も発生するじゃろう。
トウジよ、お主らもしばらくはセパンス王国に滞在するがいい。
なに、さほど退屈はせんじゃろう、おそらく温泉も飯困らずも、今の様子なら早いうちに巨大化していくじゃろうからな……」
たしかに多量の冒険者が入り込んできた迷宮の成長速度は加速するという事例はある。
しかし、25階層以下のダンジョンに早くチャレンジしたいトウジ隊長にとってそれは不満であった。
「部隊の強化につながる湯が次々と出来てくれればよろしいのですけどね……」
トウジ隊長は、せめて、そういう未来に期待する以外になかった。






