酒パック
マーポンウエア王国の騎士が、飯困らずと温泉ダンジョンの最下層を探索してきた数日後。
セパンス王国にいる冒険者はこぞって飯困らずダンジョンへと突撃した。
それどころか、セパンスの男騎士すら大量に駆り出されていた。
ダンジョン資料館の資料制作者権限でアウフ達が持って帰ったお酒を、誰よりも先に飲んだのは毒見役の使用人メイド2人。
二人が飲んだあとしばらくしてから飲んだアウフとヴィヒタは驚いた。
美味すぎたのだ。
小さなコップ一杯ほどの酒を飲み干したアウフとヴィヒタは、お互い目を合わせたあと30秒ほど無言で見つめあった。
最初にでてきた言葉は。
「なにこれ」「……さあ、なんなのでしょう」であった。
うわっ、美味しい! とかではなく、一体私達は何を飲んだの? といった感想である。
これが本当のお酒? じゃあ今まで私達が飲んでいたものは何? 酒とは……飲料とはいったい……、と、意味不明な哲学が頭をよぎる。
「……う、うん。これは、今すぐ冒険者ギルドのギルマス……いや、ユーザ陛下や将軍にも試飲させて、対応を頼みましょう……」
「えっ、もう飲まないんですかお嬢様」
「なんだか、危ない気がするからやめておくわ……、気がついたら全部飲み終わっちゃいそう。
ヴィヒタももうダメよ、あと何人かしか飲めない量なんだから!」
それほど酒飲みでもないヴィヒタですら、そんなぁって顔になってしまった。
最初に毒見として飲んだメイドたちも、もう二度とあの味を味わえることはないかもしれない……といった遠い目をしている。
それだけでもわかる、この酒はやばいということが。
こんなものを大量に産出したら酒業界の内情が完全に変質して危険な気もしたが、他国の騎士に存在を知られてしまっているし、11階層まで潜れるフリーの冒険者程度いくらでもいる以上もう遅かれ早かれである。
マーポンウエアの騎士がこの味に気がつかないうちに、さっさと身内でかき集められるだけかき集めてしまったほうがまだマシである。
「あ、飲み終わったあとの空箱は私に頂戴ね、絶対よ、これは絶対によ」
この状況下でも、容器のほうが気になるあたり、アウフはアウフである。
なんなら別の容器に移し替えて持っていってと言いたくなったが、それにより味が変質してしまう可能性を考えると、さすがにそれはできなかった。
そして数日後、酒の味を知った重鎮達が、冒険者と騎士を飯困らずダンジョンに大量に派遣してきたというわけである。
史上初、温泉ダンジョンよりも飯困らずダンジョンが大盛況になった日である。
大騒ぎの最中、マーポンウエアの女騎士達が多くの鏡を持って帰ってきたが、みんなそんなことはどうでもいいといった感じである。
セパンス王国が新しくでてきた酒のために大騒ぎになっているが、他国へ遠征に来ている騎士が任務中に酒を飲むことなどできない。
マーポンウエア王国は軍事国家なだけあって、そのあたりの軍規がセパンスと比べても恐ろしく厳しい。
シルド団長に至っては「こんな事が……こんな事が許されていいのか……、私を一日だけ解雇してくれ……」と呪詛を吐いて耐えていた。
♨♨♨♨♨
一方そのころセパンスの女騎士は、温泉ダンジョンの方の最深部へと進んでいた。
アウフが言うには、熱湯温泉はおそらく調理用だという話である。
ゆえに9階層で作物を大量に収穫し、その熱湯階層でしばらくキャンプをすることが今回の目的だ。
「えーと、シルド団長の調査によればこのあたりのはずです、あ、ほら、ありました」
なるほど、おそろしい湯気を上げてグツグツと沸騰し、人が入れない温度に煮立っている事が一目でわかる温泉がそこにはある。
サイズもあまり大きくはない、人が数人入るのがやっとのようなサイズの小ぶりな温泉がいくつもある。
そして温泉周囲の床や壁には穴ぼこがたくさん空いている、ここに誤って足や手を突っ込んでしまうと大火傷を負ってしまう非常に危険な構造だ、足を取られぬよう注意せねば。
……まあ、一見すると、そういう危険な場所に見えるのだが。
穴の中に食材を入れて蓋をすれば、美味しく蒸せるだろうし。
壁の穴は地熱で高温になっており、まるで天然のパン焼き釜のようである。
温泉もここで直接食材を煮込む事もできれば、鍋に温泉水を汲み、この蒸気が出ている穴ぼこに乗せればスープだって作れそうだ。
ここで料理をしようという目で見ると、たしかに料理をするために都合の良い構造にしか見えない。
「なんで話を聞いただけで、ここが料理をする場所だとわかるのでしょうか? どういう頭をしているんですかね、アウフお嬢様は……?」
「ではみんな、ここで数日キャンプをする。各自このレシピに書かれた好きな料理を作って食え。何かしらの効果を感じた場合は報告しろ」
「はいっ、隊長」
とはいえ、まだ誰もお腹は空いていない、しばらくは待機時間だ。
隊員たちは床に毛布を敷き、寝転び、座り、各々好きな体勢で雑談を始めた。
「あー、私も飯困らずのお酒の方に行きたかったなぁ」
「副隊長はそのお酒飲んだんですよね? 陛下が言うように本当にヤバいんですか、あれって」
「ええ、ヤバいですよ……、あれはたしかにお酒なのですが、お酒の味がする美味しさの暴力というか……。
お酒という概念の持つ美味しさの部分だけ切り出して口に流し込んだような味わいでした……。
お酒ってこんな味にできるんだ……? といった意味不明な感想になってしまいます」
セパンスでいうお酒は、甘みの強いミードか、苦みより酸味の主張が強い古い製法のビール、あるいは発酵果実の味が強いワインである。
どれも元となる素材の味と癖が強く出ている酒しか存在していない。
このように透き通るように透明で、何を使ってどう作ったのかすらわからない清酒は理解の範疇外である。
ゆえに、酒という概念の美味しさだけを抽出して飲んだという感想にしかならないのである。
「ううう、飲みたいです~副隊長」
「私だってもう一度飲みたいんですよ、でもお嬢様が一杯で終わりだって、陛下や将軍にお伝えする分がなくなるって言われて。
ああ、もう、下手に味を知っているだけにつらいんです!」
「ふっ……それを見越してユーザ陛下は私に一口もくれなかったのかな」
「それは隊長が勤務中だったからでしょう?」
「将軍殿には飲ませてたぞ!? 特例の勅命である! とか言って国軍を動かさせるためにな! 私には……私めには一口もっ!」
「この遠征から帰る頃には、いっぱい王宮に持ち帰られているかもしれません、私はそう信じています、そうあってください」
「そうなっててもチョコみたいにさ! 給金を手痛くすっ飛ばさないと買えない値段になってそうですけどねっ!」
「ヴィヒタ副隊長~、ナウサ公爵家の住み込み護衛の募集ってしてませんか~? 私を追加しませんか~?」
「もうさ、みんなで長期休暇の日に自力で取りに行かない?」
「ははは、ダンジョン生活なんてもうこりごりよって、いつも話しているのに、長期休暇にダンジョンに行く計画立てるの……?」
「怖いな、人の欲を刺激して、ダンジョンに誘う意思というものは……」
♨♨♨♨♨
公爵邸の室内でアウフは空っぽの日本酒パックを抱きしめてベッドに寝っ転がっていた。
別にアウフが空っぽになるまで飲んだわけではない。
空っぽの紙パックの構造を調べていくうちに、その凄さに見惚れてしまったのだ。
「どうやって、一体どうやってこんな紙の入れ物で、この濃厚なお酒の匂いが一切漏れ出ないほどの密閉ができるというの?」
水の一滴すら漏れでないはちみつ瓶の蓋にも驚いたが、これだけ芳醇な酒の香りすら開かねば漏れ出ないというのは、あまりに異常である。
紙に水分が浸透することもなく、香りすら通さないこの内側の膜は一体何をどうやって作られているのか。
もはやこんなものは技術ではない、ダンジョンの魔力が作り上げた魔法の産物だろう。
そう考えて済ませたい所だが、それは違う、違うのだ。
違うからこそアウフは酒パックを抱きしめてベッドに寝転がり、恋する乙女のように思いを馳せているのだ。
傍から見たその見た目は、色々と終わっている酒クズのようだが、その思いは純粋だ。
そう、このダンジョンの意思は未来の意思。
自分達の生きている世界とは、桁の違った技術を持った世界の意思。
この紙の容器は、その仮説をさらに裏付ける物だとアウフは確信する。
その根拠は簡単だ。
もしこの技術が、ダンジョンの魔力で作られただけの不思議な魔法の産物というのであれば。
この紙の容器が、紙を折りたたんで 組 み 立 て た 構造をしているはずがないからだ。
この容器が、魔法でポンと取り出した産物だというのなら、最初からツギハギの一切ない真四角の紙の容器を出せばいいだけではないか。
それなのになぜ、どうしてこの容器はわざわざ、展開した紙の状態から箱型に組み立てた工程を経た形跡があるのだろうか?
それは、ダンジョンの意思が住んでいた世界に実際に存在していた技術だからに他ならない。
こういうものが実際にあったからこそ、こういう物を出しているのだ。
「ダンジョンの意思……あなたは一体どんな世界を生きてきたの?」
この紙の容器は、きっとその世界にある技術のほんの些細な一部、このレベルの技術が日常に存在している世界、これがあたりまえの世界。
こんな異次元の技術に取り囲まれた世界とは、一体どんな社会構造をしているのだろうか? それはどんな文明を築いてどんな生活をしているのだろうか?
想像すらできない、アウフの頭でも一切想像することさえ出来ない。
それほどまでに、あまりにも遠くかけ離れた技術の世界。
「ダンジョンの意思……私はあなたとお話がしたい、あなたの世界の話を聞きたい」
アウフは恋い焦がれていた。
温泉ダンジョンのマスターにではない、マスターが住んでいた現代社会の世界と技術に、だ。
そして、アウフはそのまま日本酒のパックを抱きしめたまま、静かに眠りに落ちた。
現代社会に生きる者から見ると、実に酷い見た目である。