泡風呂
セパンス王国では他国の正規軍の受け入れの準備は未だに整っていなかったが。
それでも多数の冒険者や傭兵を連れ、他国の貴族達が大勢駆けつけてきていた。
すぐ入る! 絶対入る! 準備など到底待てぬわ!
と言わんばかりである。
一部では王族の姫クラスも、我慢できずに数名駆けつけていたほどである。
「軍が無理ならば傭兵なり冒険者を数百人雇えばいいだけであろうがっ!」
世間知らずでわがままで愚かな国の姫様達はそう言うが、姫の護衛を任せられるほどに、腕前と信頼のおける傭兵や冒険者で、しかも女性をどこから数百も集められるというのか。
というより、軍の受け入れが整った所で大半の国は、セパンス王国のように武力に優れた女騎士などそれほどの大人数は用意できない。
故に、目玉が飛び出るような金額を提示してセパンス王国の女騎士部隊の力を借りるしかない。
その女騎士達も、新しく発生した12階層の探索に出かけてしまったという。
故に暫くの間、色んな国から集まってきた王女や貴族の娘らは、セパンス王国に足止めされるしかない状態なのである。
ただ、持ち帰り可能で金を払えば地上でも入れる、1階層の湯でも十二分に肌の美しさを引き上げる効果があったことや。
飯困らずダンジョンで取れ始めたという、作物や食料で作られた食事の数々が大層美味しかったため。
長い足止めを食らっているにも関わらず、クソわがままなお姫様やお嬢様方からも、さほど大きな不満は出なかった。
むしろ、入浴と食事と観光の日々を皆、普通に楽しんでおられるようである。
問題はその、ダンジョン産の食事も浴槽もとても高額なため、滞在費がアホみたいにかさんでいくことだが。
各国の要人の関係者達は胃をキリキリさせていた。
この滞在は姫様達のお肌がお綺麗になられるだけで、全く国には利益をもたらさない。
まだ婚約相手も決まってない状態ならばともかく、これだけの身分の妙齢女性などすでに皆、婚約者も決まっている、今更お綺麗になられても大した意味はない。
お付きの者としては、早く済ませてもらって、早く帰りたいというのが正直なところであった。
唯一の救いは、11階層の湯に入りに行くためには、必要な体力検定みたいなものが存在しており、誰一人として11階層を模した運動遊具を、30周どころか1周もできなかったことくらいだろうか。
ダンジョン資料館によれば、11階層の湯を除けば、体の歪みや大怪我の痕でもない限りは、入るべきは6階層か7階層までで十分らしいので、そこまで入って帰ればそれでいいのだ。
ダンジョンの6~7階層までならば、まだ常識的な範囲の護衛でどうにかなるからだ。
そもそもの問題として、ダンジョンの10階層以下に非戦闘員で、しかも要人の淑女を連れて行くというのは、どれほどの護衛をつけても頭のおかしい行為でしかないのである。
行けない理由があるなら、それに越したことはない。
お姫様とお嬢様方は、今日も1階層の湯に満たされた大浴場に浸かったあと、飯困らずダンジョンの作物で作られた美食を堪能し、はちみつがたっぷりかかったパンケーキに黒い板状のお菓子が添えられたデザートを食べる。
このままでは肌は綺麗になっているかもしれないが、太って帰ることになるのではないだろうか。
他国の従者たちがそんな心配をし始めた頃、12階層の探索から第2部隊が帰還してきた。
「あ、お疲れ様です! 12階層の湯は一体どんな……ふあっ?」
温泉ダンジョンの入口にいる見張りの騎士が、帰還した部隊からいそいそと効果を聞き出そうとした瞬間には、その効果を理解した。
「うわっ……すっごいいい香り……これが、12階層の湯の効果なのですか?」
「んん? いい香りがまだしているんですか? みんな同じ香りのままなので、私達は鼻が慣れすぎててもうよくわかりません」
ヴィヒタ副隊長がそう答えた。
「ええ、すごいですよ、お風呂上がりにあらゆる高級な香料オイルマッサージをした直後のような匂いが皆様から漂っています」
しかもあんな鼻につくような香水の匂いではなく、本当にいい香りとしか言いようのない香りなのだ。
まるで花畑が自分のそばに咲いているような錯覚を覚えるほどである。
聞くところによると12階層の湯は泡風呂だったらしい。
湯船に注がれている温泉の滝が打ち付ける場所からとめどなく泡が溢れ出して、浴槽全体がとてつもなくいい香りを放っていた。
周辺の壁はすべて白い石鹸でできており、これが温泉に溶け出して泡の風呂になっているのだろう。
その石鹸の壁は、文字通り山のような量があるため、剣で切り出していくらでも持って帰れるとのことであった。
「私達からしてる匂いなんだけどさ、これと同じ匂い?」
騎士団員のニコが、背中に背負ったリュックに大量に詰まった白い塊を取り出してこちらに渡してくる。
「これがその石鹸ですか? ああ~いい香りですね~、これの香りが皆さんからしているんですね……、一つください」
「あなたも、陛下が潜る時には動員されるんだからその時取りなさいよ……」
「うう、一回分のカケラ、カケラでいいですからっ……」
そういってリュックの隙間に挟まっているような、小さな石鹸のカケラを指で摘みペコペコと頭を下げてくる。
「いや、一個持っていって構わんぞ、むしろ12階層の湯にまだ入っていない騎士達が皆使えるように配るつもりだ。
私達の身体からしている匂いが湯の効果なのか、その12階層で取れた石鹸の効果なのか今のままではよくわからんからな」
そうバントゥ隊長が気前のいい事を言う。
「やったぁ! ありがとうございます隊長!」
「第一、石鹸だけで十分な効果があるのであれば、ユーザ陛下やご令嬢達に、わざわざご足労願わなくとも済むだろ……?」
あっはい、12階層は入りに行かなくても石鹸だけで大丈夫です、……って、なってほしいんですね。
でもこれ、仮に石鹸だけで十分だったとしても、結局は石鹸の運び出しに死ぬほど通わされる気がしてなりません。
それに今はどちらにせよ、他国から姫や大貴族の方々が詰めかけていますので、温泉案内ツアーをさせられることは確定なんですけどね。
そしていい香りを漂わせた第2部隊が王宮へと戻ろうとする最中も、すれ違う者全員が何事かと振り向いた。
温泉効果で見目麗しくなった女騎士の部隊が、恐ろしくいい香りを撒き散らして歩いているのだ。
すれ違った冒険者や貴族の多くが、ぼーっと魅了されて惚けてしまうほどである。
今となってはセパンスの女騎士第2部隊は世界一の美貌を誇った、嫌味のような美女騎士軍団であった。






