外の世界 1
私は実は、城壁の外を知らない。
私たちは、魔術師たちによって守られ、命を繋いでいることを知識としては知っていても、現実にそれを見ることはないのだ。
「あ……」
魔獣の赤い瞳が、私に向かう。
狼姿のそれは、いくつもいくつも、数え切れないほど集まり、ジリジリと近づいてくる。
「シェンディー様。知っている?」
「……フィンク男爵令嬢」
隣に立つのは、王太子タイラス様が、私と婚約破棄する原因になった男爵令嬢、リーリアム・フィンクだ。
淡いピンク色の髪と、蜂蜜色の瞳。
赤いサクランボのような唇が、緊迫したこの場にはそぐわない優しげな微笑みを浮かべている。
「私たち、魔力供給源がいるから、この王都が魔獣に囲まれるのだって」
「……え?」
「だって、私たちは魔獣にとって……」
その言葉が完全に紡がれる直前、私たちを囲んでいた狼の魔獣が、次々と襲いかかってくる。
「あら、邪魔者まで来てしまったみたい」
フワリと笑ったフィンク男爵令嬢の髪が、漆黒に染まっていく。
「うーん。真実を教えてあげようと思ったけれど、あの男を相手にしながらお話しするのは難しいわね、きっと……」
「……真実って」
「あなたも、一人の魔術師を愛してしまったのなら、その現実を知ることになる」
寄せられた眉に、先ほどまで彼女が浮かべていた微笑みは、深い悲しみを隠すためのものなのだと気づかされる。
その手に触れようとしたけれど、まるで誰かの救いを拒否するように、彼女は消えてしまった。
振り返れば、魔獣の牙は至近距離まで近づき、私の命を奪おうとしていた。
「奥様〜!!」
それは緊迫感のない、のほほんとした声音だ。
けれど、その直後に地面に円を描くように浮かんだ複雑な魔法式は、その声の質とは正反対だ。
あっという間に、狼たちが弾き飛ばされていく。
狼の群れを飛び越すように跳躍したのは、魔術師の服を着た狼のぬいぐるみ、否、フィーニアス様だ。
はためくマントを見つめながら、あまりに非現実的な光景に言葉を失う。
……けれど、これが王都の外の世界の現実なのだ。
「……どうしてここに? 先ほどの人影が、犯人ですか?」
「そうみたいね……」
「うーん。どうしてこんなに、魔獣を呼び寄せているのです?」
「……わからないわ」
フィンク男爵令嬢の言葉が、疑惑となって思考を埋め尽くしていく。
魔力供給源がいるから、この王都は魔獣に囲まれる、と確かに彼女は口にした。
「はあ。時間稼ぎにしても、全力を出さないと無理ですね」
「……時間稼ぎ?」
ラペルト様の魔法が使えない今、時間稼ぎをしたところで、と絶望しそうになる。
「ごめんなさい。フィーニアス様だけでも、逃げて……」
「見捨てるなんて、できるわけない!」
なぜか突然、フィーニアス様に抱きしめられる。
そして、頬に落ちてきた挨拶みたいな、軽い口づけ。
淡い水色の光が降り注ぐように私たちを包み込み、次の瞬間、目の前には金髪碧眼の美しい魔術師が立っていた。
「……緊急事態なので、許してください」
「あ、あの」
「筆頭殿には、内緒ですよ!」
淡い紫の炎が、周囲を照らし、その中を駆けていく魔術師。
その背中を私は、呆然と見守るしかできなかった。
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