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序章 終

 「あぁぁー……」


 お風呂上り。瀕死のオットセイみたいな声をあげながらクーラーを浴びる。今日は朝から先輩の騒動があって疲れた。


 「普段通りの一日って感じ……」


 ベッドに寝転がりながら瑞穂に言われた内容を反芻する。とてもじゃないがさっそく実践出来たとは言い難いだろう。


 「何すりゃいいんだろうなぁ……」


 ぼやく声はクーラーの稼働音にかき消される。

 たぶん、多くの人たちは私くらいの年齢になるよりも早く乗り越えてきた課題だ。誰に聞いても自分で探せ以上の答えは返ってこないだろう。


 「……ごめんなさい、今いいかしら」


 部屋をノックされた。ドアスコープから覗いてみれば瑞穂お嬢様のお姿。


 「どうぞどうぞー」


 とりあえずコップを二つ並べてから部屋に招き入れる。寝間着の彼女の様子はどこか遠慮がちで、彼女が持ってきた話題が何なのかもそれとなく察することができた。


 「さむっ……。澄香さん、あなたエアコンこんなに点けてると風邪引いちゃうわよ?」


 「いいかい瑞穂。お風呂上りは心臓のビートが速まっている故にヒートショックが……」


 「それはお湯の温度との温度差のことでしょ? 屁理屈言ってないで消しなさい」


「うぇーん」


 まあ瑞穂の言っている内容の方が正しいので黙って従っておく。

 風邪を引いたらこの娘は言わなくても看病しに来るだろうし、結果として迷惑をかけるのは心苦しい。


 「それで、どうだったのよ。一日経って」


 「何が?」


 「わかってるくせに。恋人……は言いすぎだけど、世界を広げようって思いにはなった?」


 瑞穂の発言は直線的だ。いつも通り、何一つ変わらず。


 現代社会において勘解由小路家はもうそれほどの勢力を誇っていない。

 ただ、古い因習と横のつながりに支配された、古い金持ちの寄り合いでしかなかったそうだ。自家中毒のようにエコーチェンバー現象に浸って過去の栄光にすがり続ける老人たちの前に、瑞穂は神経を使っていた。


 だから私にはっきりと言ってくれるのは嬉しい限りだった。

瑞穂に限らず、建前なしの物言いをしてくれるスタイルが私にはとてもありがたい。淳也みたく、発言の裏を探らないで済むからだ。


 ひょっとしたら瑞穂が私に克服しろと言ったのは、恋愛への苦手意識ではなく、そういう過去の桎梏しっこくなのかもしれなかった。


 「瑞穂、コンビニ行かない?」


 「ちょっと、質問に答えてないわ。今日はどうだったのか教えるのが先」


 「まあまあ。ちょっとお外歩きながら話したい気分だったし」


 少しいぶかしむ様子を見せたが、瑞穂は首肯した。



 初夏ということもあってか、吹き抜ける風は少し生ぬるい。風呂上りということも相まって汗ばむほどだ。


 本棟の前に出ると、装いは大学らしくがらりと変わる。

 東京大学をオマージュしたであろう煉瓦仕立ての外壁に、中央に大理石の碑文が置かれた大広間。

その周辺は人工芝の張られた区画が広がり、自動販売機の淡い光が傍らのベンチをぼんやりと照らしている。


 なんとなく、失恋したショッピングモール前の広場と似ているなと思った。


 「揚げ鳥とななチキって何が違うの?」


 「さぁ……」


 自販機脇のベンチに座ってコンビニ遠征の成果物を頬張る。

 瑞穂から虫よけスプレーを受けとった。本家から送られてきた結構いいやつらしく臭いが濃い。


 本棟の一室はまだ明りが灯っていた。

 情報工学部の方だったから有坂先輩が半泣きで頑張っているのかもしれない。

 酒、ギャンブルと溺れていって、その内たばこでも吸い始めたらどうしよう。


 バイト先の方から雄たけびのような声が響いてきた。酔っ払いが喧嘩でもしているのか。

 店はもう閉めたし、店長も茅ヶ崎さんもとっくに帰宅しているはずだ。心配はしないで置いた。


 「……」


 キャンパスが広大なこともあってか、都心に近いにも関わらず夜空は澄み渡っていた。

 気の早い大三角形が茫漠と浮かんでいる。瑞穂は故郷の空を見出そうとしているのか、目を細めて何とか捉えようと頑張っていた。


 「さっきの話だけど」私はホットスナックの袋を握り潰す。「指針みたいなものは見えたんじゃないかって思う」


 「その指針って? 具体的に言いなさいよ」


 私は答えず、スポーツドリンクのキャップを捻った。小気味いい音がいやに大きく鳴る。


 「お爺様には堂々と立ち向かえたのに、私には遠慮するのね貴女」


 「その話はいいじゃん。あれってその場のノリと勢いだけだって」


 「……何よそれ。その場のノリと勢いで、私……」


 後半は聞き取れない。


 そんな私に期待されても困る。

 十日市澄香はいぶし銀でもなければ、メサイア的欲求を持つような暗い過去を持っているわけでもない。本当に失恋を引きずっている意気地のない人間が、友達欲しさと気まぐれなヒロイズムに酔って動いただけに他ならない。


 「でもさ、瑞穂が私の友達になってくれて嬉しいって思ってるよ」


 「はっ……? え、あ、何よ、急に……」


 「寂しかったし」


 高校二年生のアイツは泣きたかったんだろうけど、思春期特有にプライドの壁がそれを阻んだ。だからそのしわ寄せが色々な屁理屈を巻き込んで表出したのが私なんだろう。


 そんな人間だからこそ、わざわざ身内でいてくれる瑞穂へ感謝を伝えておくのが筋ではないかと思う。


 「……ふぅん、そ」


 瑞穂はふっと相好を崩す。

 私もなんとなく笑い返すと、奴は弾かれたようにそっぽ向いてしまった。結構ショックだった。


 「あれ? 二人とも。何してんの? 夜食?」


 ひょっとして私はそこまで美人ではないのかと戦々恐々していると、珍しくシラフの有坂先輩が通りかかった。


 「ちょっと千穂。ムカついたのはわかるけど流石にあれは頭おかしいから……」


 「にゃあああああああ!!! 殺すうううううううううううううう!!! パチ組みにマウント取る馬鹿は業界を先細らせるだけだから殺すうううう!!!!! あ……十日市さん……!」


 何たる偶然か、店長に支えられる茅ヶ崎さんとも出くわす。

 酒でも入っているのか些か言動に乱れが見られたが、私は大人なのでそういうところには触れないようにするのだ。


 「ありゃ。十日市ちゃんメンバー勢ぞろいじゃーん」


 「何ですかそれ。勝手に私中心の謎団体作り上げないでください」


 私が半眼で睨んでも有坂先輩はげらげら笑うばかりだ。


 とは言っても全員がまったくの初対面というわけではない。

 茅ヶ崎さんと店長はバイト先の打ち上げで終電を逃して私の部屋に泊まったこともあって、その折に瑞穂と知り合った経緯があった。


 有坂先輩と茅ヶ崎さんは先輩後輩の間柄だったそうだし、何なら店長と酒カスは犬猿の仲だったりする。


 「あ……絵理沙さん……。研究……どう?」


 「んー、何か行き詰ってるんだよなぁ。なんだろ。AIちゃんが誤作動起こすの」


 「おいパチンカス。アンタいるとまた千穂が頭おかしくなるでしょうが。離れろっての」


 「ざんねーん! 今はスロッカスでーす!」


 元パチンカスがブルドーザーみたいな悲鳴をあげながら折り畳まれていく。瑞穂がこれまでにないほど嫌そうな顔でドン引きしていた。


 「瑞穂ちゃん……久しぶり……」


 「あ、どうも。ご無沙汰しております」


 「あはは……固いね。私、何ならタメ口でも全然構わないよ……?」


 「すみません……目上の方には敬意をと教えられていて。つい癖で……」


 「育ちがいいんだね……」


 二人が接点を持ったのを後から聞かされたものだから実情は知らなかったが、ぎこちないながらも不仲というわけではなさそうだ。


 「……」


 天の配剤というものを信じているわけではないが、この状況、このタイミングは流石に作為的なものを感じざるを得ない。


 まあいいや。だったら神様みたいな存在が私を後押ししているんだろう。


 「あの!」


 ちょっと大きく呼びかけると、意外そうな顔が一斉に振り向いた。そういえば私は殆ど大声をあげないことに今気づく。


 「来週の休み……みんな暇ならどっか行かない?」


 全員顔を見合わせた。


一瞬の沈黙。胃痛がマッハで穴が空くかと思った。

 

 「珍しいわね」沈黙の壁を切り崩してくれたのは瑞穂だった。「澄香さんから遊びの誘いなんて」


 「いいけど。帰り飲み行くの?」くの字になりながら先輩が聞いてくる。更なる圧力によって折り畳まれた敷布団と見まごう程になった。


 「あ……私……もう学生じゃないけど……」


 「いいじゃん千穂。行ってきなって。どうせ塗装かヒトカラくらいしかすることないでしょ」


 「……じゃあ、私も行ってもいい?」


 「どうぞどうぞ」


 快諾する。塗装とヒトカラってどういうラインナップなのかよくわからない。

 

 「……」


 「瑞穂、どうしたの?」


 「なんでもないわよ」


 「なにそれ」


 芝の彼方に後ろ姿が浮かび上がって、振り向くことなく歩いて行って、やがてここからじゃ見えなくなった。


 なんとなく深い息を吐く。筋肉が弛緩して、力が抜けていった。


 「じゃあどこに行くとか決めようか」


 だから私は瑞穂たちに向き直ることにした。


 「なんとなくOPが流れそうね」


 「OPってなに?」


 「え? さぁ……」

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