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序章3

 私の通っている大学は泉州学院大学という。簡単に言うとマンモス校の上位互換だ。


 その広さは東京ドーム換算を試みようとした勇士をことごとく返り討ちにする。

 なんせ徒歩での横断縦断は不可能とされ、専用バスのレールが敷き詰められているレベルなのだ。

 生徒に対して寮が多すぎると説明したが、それはこの広大過ぎる敷地に所以するのだった。


 施設としてコンビニやファミレス、文房具屋の併設した書店などは序の口。なんと映画館やショッピングモールまで完備している至れり尽くせり。


 休日にはカップルや親子連れで栄え、恋愛に手ひどい思い出を持つ私のようなクソザコを完膚なきまで叩きのめしてくる魔界でもあった。


 本日分の講義を終えた私は学生証を提示してバスから降りる。角度が悪かったのか、強い西日がまぶたを焼いた。眩しい。


 とはいえここは寮の前のバス停ではない。

 本棟とショッピングモールエリアから少し離れた少しうらぶれた区画だ。

 人いきれで死にそうになるメインストリートとは異なり、この辺りは人通りも数えるほどしかなかった。


 そんな通りのちょっと奥まったところ。隠れ家風の装いをした一軒の喫茶店がある。


 「おはようございまーす」

 

 気の抜けた挨拶をして入店。店内には常連しかいない。顔見知りの何人かと脱力系の挨拶を交わす。


 コーヒー好きという唯一の個性を活かし、入学と同時にここでアルバイトをしている。

 いい感じの立地と、客足は少ないが途絶えないわけではない塩梅が気に入っていた。


 高校時代に一週間だけ経験した工場のアルバイトに比べたら天国のような環境だ。あれはヤバかった。自分が人間なのか板チョコなのかわからなくなって自己喪失の危機に直面した。


 唯一意味不明な点を挙げればなぜか神棚が設置してあって、その上にガンプラ(白と赤の変形するやつ)が鎮座してあること。

 オタク特有の偶像崇拝と思いきや、店員には登場するロボットを全部ガンダムだと思ってるくらいの人しかいなかったのでマジで意味が分からない。


 「あ……十日市さん。おはよう」


 カウンターでティーカップを拭いていた女性が振り返る。艶やかな銀髪が夕日に映えた。うーん、今日も変わらず美人でいらっしゃる。


 「おはようございます茅ヶ崎さん。何か豆の香りいつもと違くないです?」


「気付いちゃった……? ふふ、あのね、マンデリンの比率を増やした新しいブレンド作ったんだ……。店長に相談したら、商品化しようって言ってくれて……」


 「そうなんですか。休憩時間に私も注文していいです?」


 「え……? 飲んでくれるの……? 嬉しいな……。お代、私が持つね……」


 「いいんですか? じゃあご馳走様です。楽しみが増えました」


 「やった……!」


 こういう場面では素直にご馳走になっておくことにしよう。飲んだうえで感想を伝えた方が喜んでくれると私は知っていた。


 この見るからにいい人はこの店のバリスタだ。名を茅ヶ崎(ちがさき)千穂ちほと言う。


 常にぽわぽわとした幸せオーラを漂わせているため、荒んだ現代社会の薫風として常連からの評判もすこぶる上々。

 バリスタとしての腕も一流で、名にしおうコンクールでの受賞歴もあるほどだ。


 どうして嫌味の煮凝りみたいな人格の私と仲良くなることが出来たのか甚だ疑問だが、しかし仲良くしてくれているので私も好意で返していきたいと素直に思える存在だった。


 「あ……店長がみんなのエプロンクリーニングに出してくれてたから……」


 「マジですか。テンション上がりますね」


 店長は京都大学卒のハイテンションギャルだ。

 何か知らないが常にいい匂いをまき散らしているため、クリーニング上がりの制服はよくわからないハーブとお花の芳香を放っている。


 店内のイメージを損なわない茶色のエプロンを結び、髪をポニーテールにまとめた。長いと蒸れる。いっそ坊主に出来ればいいのになと思う時もあった。


 「黒髪ロングポニテ美少女の私……!」


 前髪をかき上げてクール系美少女を気取る。なんか死にたくなったのですぐ止めた。


 先輩から自己評価がよくわかんないという言葉を賜ったけど、容姿には自信がある。

 フラれるまでウッキウキで磨きまくった財産だ。

 しかし容姿がいい相手は逆に遠巻きにされてモテないという事実を当時の私は知らなかった。そして美人の頭がアレだとモテないどころか同性にすら近付かれなくなるという事実をちょっと前の私は知らなかったが、これ以上考えると頭がきゅーってしちゃうのでもう思考は停止する。

 

 ……まあ、姿見に映る女は、私であるという致命的な欠点を除けばわりかし東京でも通用する見た目をしている。そういっても怒られはしないはず。


 「がんばれーわたしー」


 鏡に向かってサムズアップ。セルフメンタルケアは大切だって胡散臭いYoutuberが言ってた。


 さて、本日の客入りは多くもなく少なくもなく。

 ハイライトと言えば偶然ゼミが同じのAさんがやって来て思い切り目が合ったがシカトされたくらい。平和そのものだった。


 私がやることといえば千ヶ崎さんが淹れた珈琲を盆に乗せて運ぶこと。

 そして提携している洋菓子店から入荷されるケーキやタルトなどのスイーツ類をショーケースに並べ、注文されたらトングでそれらを引っ張り出すこと。


 たまーに会計に駆り出され、後はバッシング(食器下げてテーブル拭く)するのが主なお仕事。つまりホールだ。


 「なんで別れるなんて言うのよぉぉぉぉ!!! 死んでやる!!! アタシ別れるくらいなら自殺するから!!!!!」


 「俺だって別れたくねぇよ!!! 死ぬまで一緒にいてやるよ!!!!!」


 「うわああああああん幸せが怖いよぉぉぉぉぉ!!!!」


 「俺も!!!!!」


 時折ああいうのが発生するが誰も気にしない。スルースキルは情報過多な現代に於いて必須スキルだからだ。


 さて、日が沈む頃合いになるとお客さんもパタリと途絶えた。


 この辺りは無意識に陰キャを殺戮する人種が多いのがネックだが、それは裏を返せば民度が高いということ。ここに務めて一年は超えたが、未だに粗野な輩とエンカウントしたことはなかった。


 「ふいー」


 「お疲れ様……」


 休憩時間。

 カウンターで休んでいると、目の前に白磁のマグカップがコトンと置かれた。香り高い湯気が立ち上っている。約束を覚えていてくれたのだ。


 「あ、ありがとうございます。じゃあいただきますね」


 「うん……どうぞ……」


 勧められるままに一口飲む。


 「どうかな……?」


 いつものブレンドと比べて結構苦めだが、風味も豊かで舌触りもよく飲みやすい。


 「うん、美味しいです。何なら普段のブレンドより好みかもしれません」


 「本当……!? 嬉しいな……結構頑張って飲みやすさを重視してみたんだ……。あ、ケーキも食べる……? いやでも、お夕飯前だから太っちゃうかな……?」


 見るからにテンションが上がる茅ヶ崎さん。

 年齢は24だったか25だったか。一回りは上なのにかわいらしく感じるから不思議なものだ。


 珈琲という数少ない習慣にシンパシーを感じてアルバイトに応募した経緯も手伝ってか、私は前々から茅ヶ崎さんの試作品を口にすることが多くあった。

毎朝淹れてる豆も、何なら彼女から譲ってもらったものだったりする。


 「いやでも、本当に飲みやすいですよこれ。マンデリン、でしたっけ」


 「うん……スマトラ島に分布している豆……」


 調べたタブレットを見せてもらう。

 グラム数に対して値の張るお高い豆だそうだ。その証拠に、メニュー表に急遽書き足された筆跡は五十円高めに設定してあった。


 値段が判明したからかは定かではないが、なんとなくこのまま飲み終わるにはもったいない気持ちが込み上げてきた。ただケーキだと太ってしまうのも厳然たる事実。


 「お客さんもたぶん来ないだろうし、千ヶ崎さんも一緒に飲みませんか?」


 「え……? いや、でも……」


 何もクソバイトが生意気を言っているわけじゃない。

あくまでここはキャンパス内。八時に講義が終わってからは本当に往来が少なくなる。有坂先輩のテリトリーである飲み屋街の方からも遠いのでなおのこと。


 「本当に美味しいですよこれ。お代なら日ごろのお礼ってことで私が払いますから」


 「いや……私が飲んでもらってるのに……悪いよ……」


 妙に頑なな千ヶ崎さん。生真面目な性格なので私に奢ってもらうことに引け目があるのだろう。


 「いや、私が茅ヶ崎さんとコーヒーブレイクしたいんですけど。ひょっとして私のことお嫌いですか」


 「うぅ……十日市さんって結構意地悪だよね……」


 性格が悪い自覚はある。伊達に同級生からシカトされていない。


 「いいんじゃない千穂」厨房の方から声が飛んでくる。さっき戻ってきた店長だ。「ちゃんとその子先輩立ててくれてるんだし、今度は千穂が立てるのがリレーっしょ」


 「でも……」あくまで堅固な姿勢を崩さない茅ヶ崎さん。


 「な、なんですか……! ひょっとして私、珈琲一杯の経済能力すらないと見くびられてるんですか……!」


 「そ、そんなことないよ……! 十日市さん真面目だし、いつもお話聞いてくれてるし……! 疲れてる時それとなく気遣ってくれるし、珈琲だって飲んでくれるし、意見だって遠慮せずに言ってくれるし……!」


 「え、あ、そ、そんな褒められても……あの」


 「何でイチャついてんの」店長はあきれ顔だ。


 「い、イチャついてるわけじゃないよ……! 十日市さんは私の珈琲味見してくれるから……!」


 「そうやって慌てて否定するとこ余計に怪しいんだけど」


 「そんなことないよ……! ね、十日市さん……!」


 「そろそろAIだけでアニメとか作るようになるのかなぁ」


 「ほら……!」


 「なあ本当にそいつ肯定したか?」


 茅ヶ崎さんの中の十日市澄香が予想より素晴らしい人物だった事実を乗り越えつつ、何とか彼女に自分の珈琲を飲んでもらうことに成功した。


 「うん……やっぱり、自信作……!」


 茅ヶ崎さんは自分の配合率に舌鼓を打ち、納得したように頷くのだった。

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