173 花笠石楠花ー6
「この場合、ベアトリーチェ様が紹介するのを待つか、王太子殿下に名乗りを許されるのを待つべきです。まぁ、自分も一応挨拶を交わしていますので紹介することは可能ですが、2人が楽しく会話をしているのを邪魔するような無粋な真似は出来ません」
「じゃあどうしたらいいって言うんですか!」
「貴女は待つという言葉を知らないのですか? ちゃんと控えていればベアトリーチェ様がお声がけくださったでしょう」
「そんなの……」
悔しそうに唇をかみしめるロクサーナ様だが、貴族社会とはそう言うものだ。
身分に囚われない自由? 好きにすればいい。
ただしそこには何の保証も後見もない。
才覚と運に恵まれたほんの一握りの人間だけがそれを成功することができるのだ。
だがそれは砂漠に落とした宝石を探すようなもの。
このルーンセイ王国ではしっかりとした階級制度と法律が国民を守っている。
それに背こうとするのなら、国はその者を守ろうとはしない。
「大体、許しも得ていないのに頭を上げるなんて、貴女は何様のつもりなのでしょうか? 王族への正式な挨拶では許しを得るまで頭を上げないのは常識でしょう」
「でもっ学院では皆そんなことしてません!」
「学院だから略式で許されているだけです。王太子殿下は正式な挨拶をするように言っていたではありませんか」
「でも、いままで誰もそんなこと教えてくれなかったですよ!」
「それはありえませんね。特に自分達の年代は王族に関わる可能性がある以上、王族への対応は必ず教え込まされます」
「あたしは男爵家の庶子だったから……」
「関係ありませんね。伯爵家に養女となる前提で教育されてきたのでしょう? なら必ず教えられますし、伯爵家でも改めて高位貴族のマナーを教え込まれるはずです」
「で、でも……」
監視をしていた時真面目に授業を受けていたようだったが、受けてるだけで身にはついていなかったのかもしれない。
必死に言い訳を考えているロクサーナ様にティオル殿下が深くため息を吐き出した。
「バスキ伯爵家の養女になってから10年以上。確かに男爵家ではマナーの教育にも難しいものがあるだろうが、それでも10年間伯爵家で何を学んでいた?」
「あ、あたしはお父様の言う通りにちゃんと勉強しました」
「ほう?」
令嬢の教育は普通母親がするものだ。
もちろん事情があれば違うが、少なくとも精霊喰いの犠牲になるまで前バスキ伯爵夫人は健康だったのだから教育に関わらないと言う事はない。
それなのに真っ先に前バスキ伯爵の名前が出てくると言う事は、本当に前バスキ伯爵が教育について口を出していたのだろう。
「では前バスキ伯爵の教育が良くなかったんですね。色々な噂があるバスキ伯爵家の前当主ですからなにかあってもおかしくはありませんが」
「お父様を馬鹿にしないでください!」
「大声を出すのは控えなさい。今は王太子殿下とそのご婚約者様のベアトリーチェ様の御前で、この場にいるのは皆侯爵家以上の者です。伯爵令嬢如きが無礼ですよ」
そう言われてロクサーナ様は周囲にいるティオル様の側近候補達を見る。
誰もが名家の出であり、優秀な人材を集めた結果こうなったのだが、今のロクサーナ様にこの人たちに何かいう資格はない。
「そ、そうやって……」
ロクサーナ様が小さく声を出した次の瞬間。
「そうやって皆さんはあたし達みたいな身分の低い人間を馬鹿にしてるんですね! そう言うのって良くないです!」
「馬鹿にしている? 正しい高位貴族ほど領民を、国民を、他の人間を尊重するものです」
「嘘です! あたしのことを馬鹿にしてるじゃないですか!」
「自分達が貴女に対して好意的でない態度をとっているとしたら、それは貴女が無礼な態度をとっているからです」
「どういうことですか! あたしは何も悪くないじゃないですか」
叫ぶロクサーナ様に黙ってその様子を見ていたティオル殿下が口を開く。
「何も悪くない、か」
「そうですよ! あたしは悪い事なんてなにもしてません!」
「なら、悪いのはバスキ伯爵家の人間ということか?」
「へ?」
「王族への無礼、暴力事件、身勝手な理由で精霊喰いの魔術を使った。他にもあるが、その全てがバスキ伯爵家の者が悪いと言うわけなんだな?」
ティオル殿下の言葉にロクサーナ様は少し考えた後「そうです」ときっぱりと答えた。
「では、バスキ伯爵の申請を受けるよう、僕からも公爵に伝えておこう」
「へ? 何言ってるんですか? あたしをお兄様のお嫁さんにするっていう話ですよね。あたしはお兄様と結婚する気はないからそういうのって困るんです」
「女主人の仕事を代行しているのにか? 茶会にもバスキ伯爵家の女主人の代理として参加していたそうじゃないか」
「だからなんですか」
「……なるほど、責務を理解していないと見える。バスキ伯爵家は本当に教育を失敗したようだな。それとも、傀儡にするように育てたのか」
「何を言っているんですか?」
ティオル殿下はロクサーナ様の声を無視して紅茶を一口飲むと優美な笑みを浮かべ、怒りの表情を浮かべていたロクサーナ様も見とれたように頬を染めて魅入っている。
「バスキ伯爵家の者が悪いと言うのなら、僕から陛下にそのように伝えよう。ああ、バスキ伯爵が申請していることも受理するように助言しておくよ。安心していい、貴殿を他家にやって嫁にしようという内容ではないからね」
「……そ、そうなんですか?」
「ああ、ここで嘘をつくメリットが僕にあるとでも?」
嘘はついていないけれど、真実も言っていない。
まあ、ロクサーナ様はバスキ伯爵の申請が通り貴族でなくなったらただの平民になる。
家を継げずに平民になった元貴族とは違い、家督を奪われて平民になったのではあまりにも意味が違う。
兄弟が家督を継ぎ家を出るのであれば、就職や将来への希望もあるし、優秀であればちゃんとした推薦だって出してもらえる。
しかし、家督を奪われた者はただの平民と同じ扱いになり、いや、もっと悪いかもしれないが、とにかく同じ平民になるにしても扱いの差が大きいのだ。
「じゃあ、お兄様が王太子殿下に申請している事って何ですか?」
「実際に申請されているのは僕ではなくバスキ伯爵家の主家だから、僕は詳しい事情は知らないな」
確かに詳しい事情は知らないのかもしれない。バスキ伯爵の心情などは本人にしかわからないのだから。
相変わらず嘘は言っていないが真実も言わないティオル殿下に感心してしまう。
「そうですか……。でも、あたしをバスキ伯爵夫人にするっていう話じゃないんですね?」
「ああ、そうみたいだ」
「よかったぁ。あたしには伯爵夫人とか荷が重すぎて無理だって思うんですよね。もちろん、お兄様の支えになりたい気持ちは嘘じゃないですけど、それって結婚しなくたって出来る事なんだから、結婚するだけ無駄ですよね」
ロクサーナ様の言葉にティオル殿下がクスリと笑う。
「確かに貴殿には伯爵夫人は無理だろう」
「やっぱりそうですよね!」
「ベティ」
「なんでしょう、オル様」
名前を呼ばれて微笑んで返事をする。
「バスキ伯爵家からの損害賠償は払われたんだったな?」
「ええ、一括でお支払いいただきましたわ」
「なら問題はないだろう」
ティオル殿下の言葉にわたくしはバスキ伯爵家が終わったことを確信した。
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