172 花笠石楠花ー5
「あ……あたし」
震えるロクサーナ様にティオル殿下が冷たい視線を投げかけ続ける。
逃げ出したいのかもしれないけれど、シャルル様がしっかりと抑え込んでいるし、他の側近候補も逃がさないように警戒を怠っていない。
震えるロクサーナ様になにかしらのフォローを言うべきなのだろうが、折角ティオル殿下と一緒に過ごす時間を邪魔されて、わたくしもわずかながらに怒りを感じているため、取り立ててフォローする気もない。
「バスキ伯爵令嬢。貴殿がどうやってここに入ってきたのかは問いただす気はないが、なぜ親しい間柄でもないのに僕達に近づいて来た? ……ああ、直答を許そう」
ロクサーナ様が震えた声を出す。
「あ、だってあたしはベアトリーチェ様の友達だから、普通に話そうとしただけです」
「ベティは違うと言っている。それに友人だとしても、婚約者同士の語らいを邪魔するのは無粋なのではないか?」
「あ……」
そこでロクサーナ様は顔色を悪くする。
自分の旗色が悪いと感じたのかもしれない。
「で、でも……見張りとかいなかったし、ここに来るのは自由ですよね。そこでたまたまベアトリーチェ様を見たからお話ししよとしただけじゃないですか。あたしは何も悪くないです」
「なるほど。確かにこの魔術学院はある程度生徒の自由な行動を認めているし、そこによほどの問題が発生しなければ関与してこない」
「そうですよね!」
ロクサーナ様が明るい声で返事をした。
しかし、それはよほどの問題が発生しなければである。
学院に入学する前からの問題行動も合わせ、学院はロクサーナ様を危険視しているし、何かあればすぐさま処分するようにと動いているようだ。
決定的なのはミンシア様への暴力事件だが、王族であるエメリア殿下対して横暴な態度を取ったことも問題視されている。
他国では学生の間は平等などという校風を掲げているところもあるようだが、この魔術学院は違う。
あくまでも貴族社会の縮図であり、しっかりとした身分制度がある。
確かに本物の社交界よりはいささかフランクな雰囲気とはいえ、守らなければならない部分はあるのだ。
「挨拶もろくにできないようだし。これが伯爵令嬢とは嘆かわしいな」
「そんなこと言わなくたっていいじゃないですか!」
「ほう? 王太子である僕に口答えか?」
普段は王太子であることを強調することが少ないのに、今日は妙に権力を強調すると思っていると、ティオル殿下がニヤリと笑う。
「バスキ伯爵が主家に対してある申請をしている。本来はその申請を通すには厳正な審査を必要とするのだが、貴殿の行いを見ているとそれも不要なように思えるな」
「ある申請ってなんですか?」
「それこそ、親しくしているバスキ伯爵に聞けばいいだろう」
ティオル殿下の言葉に、ロクサーナ様は考え込むように口を閉じてからしばらくしてハッとしたように目を輝かせた。
「もしかして、あたしを他の家の養女にするっていう話ですか?」
「は?」
「お父様が言ってたんです。あたしを正式にバスキ伯爵家の女主人にするって。それには一度籍を抜いてからお兄様に嫁入りしないといけないって。でも、あたしには伯爵夫人とか無理だと思うんですよね。だからティオル王太子殿下からもお兄様を説得してくれませんか?」
結婚するかはともかくとして、バスキ伯爵は爵位を主家に返す計画を立てているのだが、この様子ではやはり知らされてはいないらしい。
ティオル殿下の話では前バスキ伯爵には気づかれないように動いているらしいが、執務を離れたとはいえそこまで気がつかないものなのだろうか?
それとも、他の事に集中させて家督譲渡の件から遠ざけている?
「確かにあたしは女主人の代理として完璧ですけど、だからって正式に伯爵夫人になる必要はないと思うんです」
「なぜだ? 男爵家の庶子だった貴殿が伯爵夫人になれるのだから出世ではないか」
ティオル殿下が挑発するように言うとロクサーナ様が一瞬だけ顔をゆがめたが。すぐに元の顔に戻る。
「ティオル王太子殿下はあたしが男爵家の庶子だからってバカにするんですか!?」
「そのような事は言っていないが? あくまでも事実を述べただけだ」
「でも今あたしの事を男爵家の庶子って言ったじゃないですか!」
「事実だろう。その魔力量の多さから男爵家に正式に引き取られ、そこからバスキ伯爵家の養女になった。なにか間違っているところがあるか?」
「で、でもそれって、いつまでもあたしを男爵家の庶子だと見てるってことですよね! あたしはちゃんと伯爵令嬢なのにひどいです!」
叫ぶロクサーナ様にティオル様もわたくしも思わずため息を吐き出してしまう。
別にロクサーナ様のような状況の人は珍しくない。
確率は低いかもしれないが、平民が強い魔力を持っている事はあるので、その出自を馬鹿にすることは滅多にない。
ただ、ロクサーナ様の場合は行動があまりにもひどすぎるので「これだから平民の出は」「男爵家の庶子といっても所詮は」などと言われるのだ。
「では、ちゃんとした伯爵令嬢というのであれば、王族に対する正式な挨拶を行って見せてくれ」
「え?」
「ちゃんと教育を受けていれば簡単だろう」
挑発するように言うとティオル殿下はロクサーナ様から視線を外してわたくしを見る。
「話の続きだが、ジョセフとアーシェン嬢はうまくいくだろうか?」
「どうでしょう? アーシェン様に公爵夫人として社交界を牽引することができるとはあまり思えませんわ」
「しかしながらその分頼りになる友人がいるだろう」
「そうですわね」
和やかに話の続きを開始したわたくし達に、ロクサーナ様が声をかけてくる。
「あのっ! あたしはバスキ伯爵家の娘、ロクサーナ=ジャルジェ=バスキです」
そういってスカートをつまんで深々と頭を下げたが、しばらくすると勝手に頭を上げた。
その様子をちらっと見てからティオル殿下がシャルル様に視線を向ける。
「バスキ伯爵令嬢」
「はい、なんですか?」
「なぜ紹介されていないのに名乗りを上げたんですか?」
「へ?」
「しかも許しもなく頭を上げるなど、王太子殿下を馬鹿にしているのですか?」
「な、そんなこと……」
シャルル様はロクサーナ様の前に立って見下ろして言葉を続ける。
「貴女は正式な挨拶を求められました」
「だからちゃんと挨拶をしました」
「誰からも紹介されていないのに?」
「へ?」
「身分が上の方に対して挨拶を行う場合、その方の知り合いもしくは親しい人に紹介をされてから名乗ります」
「で、でもあたしはベアトリーチェ様ともティオル王太子殿下とも知合いですよ?」
「正式な挨拶と言われたでしょう? それにベアトリーチェ様とは知り合いでも、王太子殿下とは挨拶も交わしたことがないと記憶していますが?」
「でも……」
ロクサーナ様は言い訳をしようと口を開いたが、シャルル様の冷たい視線を受けて言葉を飲み込んだ。
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