165 紅花翁草ー26(アナシア視点)
体調が思わしくなく、月のものも止まっているため、お義母様が医師を呼んでくれた結果、懐妊していることが判明して心底安堵した。
お義母様が喜んでくれる中、お父様がロクサーナさんにはしばらく言わないでおいてほしいと言ってくる。
どうしてかと尋ねると、まだ子供のロクサーナ様が私の妊娠にはしゃいで妊婦によくない行動をしてしまうかもしれないからだと言われたけど、言わないで何かをされる方が危険なのではないかと思ってしまう。
でも、旦那様もお父様に賛成したので私は何も言えなくなってしまった。
けれどもすぐ後にロクサーナさんも体調を崩し始めたから、結局話せないでいたのだけれど、ある日突然ロクサーナさんが部屋に来て私の懐妊をお祝いしてくれた。
旦那様かお父様が話したのかと思ったけれど、それよりもこれでロクサーナさんに子供についていろいろ言われなくて済むと思ってほっとできた。
妊娠したことについて何か言われるかとも心配していたけど、ロクサーナさんは体調がすぐれない日が続いているようで、部屋で過ごすことが多く、私との接点もほとんどなくて平穏な日々を過ごしていたけれど、妊娠してから部屋で過ごすことが多かった旦那様の戻りがまた遅くなるようになった。
石鹸の香りこそしないけれど、もしかしたら愛人のところに通っているのかもしれない。
でも、貴族夫人として夫の浮気を問いただすなんて無粋な事は出来ない。
旦那様はバスキ伯爵家の跡取りなのだから、このお腹の子供だけでは心もとないと判断しているのなら、それはそれで間違っているとは言えないから……。
それからもロクサーナさんの体調不良は続いた。
いいえ、体調不良ではない。ロクサーナさんは明らかに妊娠している。
父親についてだれも何も言わない。
真っ先に追求しそうなお義母様は原因不明の体調不良でベッドから起き上がれず、お見舞いに行くロクサーナ様に対して責める事を言ったり相手が誰なのか追及したりしていると聞くけれど、はっきりしたことは言っていないらしい。
けれど、お義母様が聞けない状況なら、旦那様の妻である私が代わりにロクサーナさんの子供の父親を知る必要がある。
もし使用人に乱暴されてしまっているのだとしたら、そして何か脅されているのなら対応しなければいけないし、お義父様や旦那様にもちゃんと伝えなければいけない。
いえ、もしかしたら2人は知っているけれども社交界デビュー前であるロクサーナさんの醜聞を隠したくて黙っているだけかもしれない。
そうだとしたらロクサーナさんは泣き寝入りになる。
同じ女性としてそんな事は許せない。
「……ロクサーナさんは、その……お相手は、どなたなのかしら?」
暗に子供の父親について尋ねる。
もしかしたら誤魔化されてしまうかもしれないけれど、それでも根気よく聞けばいつか打ち明けてくれると思って尋ねた。
「お兄様です」
どこか自慢気に、そして得意気に言うロクサーナさんの言葉の意味が分からなかった。
「……え?」
「あたしのお腹の子供の父親はお兄様ですよ。あたしはバスキ伯爵家の子供を妊娠してます。お義姉様と一緒ですね。まあ、お義姉様の出産日の方が早いですから、この子は弟か妹になるんでしょうけど、仲良くしてくれますよね。だって、兄弟なんですから」
「な……じょ、冗談、にしては笑えませんよ」
もしかして使用人に乱暴されたことを忘れたくてこのような事を言っているのかもしれない。
それにしても質が悪い冗談だと顔が引きつってしまう。
「どうして冗談を言う必要があるんですか?」
「貴女……自分が何を言っているかわかっているの?」
「なにかおかしい事がありますか?」
ロクサーナさんは真顔で、まるで常識を語るように淡々と話す。
思わず出した大声に使用人が集まってくるのが分かるけれど、高ぶった感情が収まらない。
もし、もしこのことがロクサーナさんの妄言ではなく真実なら……。
「ふざけないで! そんな事許されるわけがないでしょう! 貴女は何を考えているの! 人の夫を……自分の義兄とっ!」
感情的に叫ぶ私に不思議そうにするロクサーナさんの顔を見て、思わず手を振り上げてそのまま勢いよく下ろした。
バチン、と派手な音が鳴って手がジンジンと痛みを訴えてくる。
「この泥棒猫!」
自分で感情をなんとか制御しなければいけないと思っているのに出来ない。
ただロクサーナさんに対して「ふざけないで!」と叫ぶ。
心のどこかではロクサーナさんが使用人に乱暴をされ、心を病んでしまい旦那様と関係を持った末に子供を授かったと妄想しているのかもしれないと、そう信じたいと感じているのに、なぜか心に不安が広がっていく。
そして使用人に呼ばれてやってきた旦那様にロクサーナさんの妄言を訴えた、はずだった。
「ロクサーナの腹の子の父親は、わたしの可能性が高い」
その言葉に、私の意識は真っ黒に染まっていった。
目が覚めると部屋のベッドに寝かされており、サイドの椅子には旦那様が座っていた。
先ほどの言葉は夢だったのかと思いながら起き上がる。
「旦那様」
「ああ、目が覚めたか。具合はどうだ?」
「大丈夫です。えっと……私は……?」
「廊下で倒れたんだ。覚えていないか?」
旦那様の言葉に思わず顔を顰めてしまう。
「……申し訳ありません、よく覚えていなくて」
苦笑して言うと旦那様は申し訳なさそうな表情を浮かべた後……。
「ロクサーナの腹の子供の父親がわたしの可能性が高いと言ったら、倒れたんだ」
旦那様はあっさりと、夢だと思いたかった事実を告げてきた。
「なに、を……何を言っているかわかっているのですか? ロクサーナさんは貴方の義妹なのですよ!」
「わかっている」
「あ、愛人にするにしても手続きというものがっ」
「……言い訳はしないが、ロクサーナはこのまま出産してもらう」
「まさか本当にロクサーナさんの子供を私の子供と登録するつもりですか!? 法を犯すということなのですよ!」
「わかっている」
「ふざけないでください!」
大声で叫ぶけれど、旦那様の表情は変わらない。
「ロクサーナはバスキ伯爵令嬢のままでいる事になる」
「な……」
「嫁に出すとしても、ダリオンと結婚させることになるだろう」
「何を言うんですか!」
「父上は、ロクサーナにはバスキ伯爵家の子供を産んでもらうつもりだからな」
「ダリオンとも、関係を持たせると?」
「このままではその可能性はあるかもしれないな」
「ふざけないでください!」
心の底から叫び声が出た。
「貴方たちは何を考えているんですか! 法を、人の感情を何だと思っているんですか! ダリオンは平民になると言うのに巻き込む気なのですか!」
「…………心配せずとも、ダリオンならロクサーナを抱くことはない」
旦那様はそう言って立ち上がる。
「今の気分で同じベッドで眠るのは嫌だろう? わたしは他の部屋で寝る事にする」
「ロクサーナさんの部屋に行くと!?」
「それはない」
出て行ってしまった旦那様。閉じられた扉に私の目から涙が溢れ出す。
行き場のない感情がぐるぐると体中を蝕んでいくような感覚に、暴れだしたいような、全てを投げ出してしまいたいような、なんとも言えない気分になる。
旦那様は毎日部屋に来て私を宥めようと言葉をかけてくれるけれど、私の気分が落ち着くことはなかったし、気のせいなのか体調がどんどん悪くなっていった。
「姉上、気分転換に庭を散歩しないか?」
「ダリオン……」
あれ以来部屋にこもりきりになってしまった私に気を使ってなのか、たまに部屋に顔を出すダリオンはそのたびに流行りのお菓子や小物を持ってきてくれる。
花は香りで私の気分が悪くなる可能性があるからと持ってこないけれど、それは気にしすぎだと笑った時もあった。
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