156 紅花翁草ー17(ロクサーナ視点)
アナシア様が我が家に定期的に来るようになって、お母様は「よくできたお嬢さんがお嫁に来てくれて嬉しいわ」と嬉しそうに笑顔を浮かべる事が増えた。
お兄様もアナシア様が来るとそっちに行っちゃうし、あたしはその時間は邪魔をしないようにって家庭教師と部屋に閉じ込められることが多い。
たまに一緒にお茶をしようと誘われて同席するけど、仲良く話しているお兄様達の会話にたまに混ざるぐらいで、特に楽しいとは感じなかった。
「そうだ、先日こちらを作りましたが、よければお使いいただけますか?」
そういってアナシア様がお兄様に薄い水色のハンカチを差し出した。
「へえ、これは見事なものだな」
受け取ったハンカチを見てお兄様が感心したように笑みを浮かべた。
「これは我が家の家紋か。わたしの名前まで入っているなんて、随分手間がかかったんじゃないかい?」
「婚約者に差し上げるものですから、手を抜くわけにはいきませんよ」
穏やかに微笑むアナシア様。
「あたしも見ていいですか?」
「ああ、いいぞ」
お兄様が広げてくれたハンカチを見れば、そこには本当にアナシア様が刺したのかって思えるほど見事な刺繍が施されていた。
「……アナシア様って、刺繍が得意なんですか?」
「普通ですよ。確かに嗜みとして子供のころから習っていましたけど」
「だが、ダリオンの話しでは刺繍したハンカチやサシェ用の袋を孤児院に寄付していると聞いている」
「そのようなこと、誰だっておこなっておりますよ」
「まあ、社交界デビューした貴族女性はなにかしら社会貢献をするものだからな」
「何をするかは人によりますよね。でもシャルトレッド公爵家のご令嬢は社交界デビュー前なのに事業を成功させていらっしゃいますから、尊敬してしまいます」
「ああ、流石は王太子妃最有力候補だ」
王太子妃か、あたしはなりたいと思わないけど、ふーん……尊敬されるんだ。
事業とかっていってもどうせ公爵家の人がやってるんでしょ?
アイディアを出すだけとかで本人はなにもしてないんじゃないかしら?
そのぐらいならあたしにだって出来るのに、そんな事で褒められるとか公爵令嬢ってお気楽なのね。
お兄様がハンカチを丁寧に畳んで懐に入れる。
「お兄様、あたしもまた刺繍をしたハンカチをプレゼントしますね」
「ん? でもロクサーナは刺繍があまり好きじゃないんだろう? 無理はしなくていいよ」
「無理じゃありません」
「そうか。ああでも、わたしばかりが貰うと父上やダリオンが拗ねてしまうから、2人にもプレゼントしてあげるといい」
「……はい」
あたしはお兄様にあげたいだけなのに……。
「バスキ伯爵夫人がロクサーナ様には教えがいがあるとおっしゃっていましたから、色々期待されているのでしょうね」
「そうですね。あたしはお母様に大切にされてますから」
「素敵なご家族ですよね」
「そちらの家も仲がいいだろう? 先日挨拶に伺った時に娘をよろしく頼むと頭を下げられた」
「まあ、私のいないところでお父様ったらそのような事をなさったんですか?」
「父君だけではなく母君と兄君にもだ」
「まあ!」
照れたように微笑むアナシア様になんだかムカムカしてしまう。
仲が良さそうに隣り合って座ってる2人と一緒にいるのって、あたしには意味ないのに無理に同席を誘ってくるなんてアナシア様って無神経よね。
これでお兄様のお嫁さんになろうっていうんだから、信じられない。
お嫁に来たらバスキ伯爵家の一員になるんでしょう?
お母様は喜んでいるみたいだけど、こんな他人を我が家の使用人が受け入れるとは思えないわ。
「そういえば、ロクサーナ様は最近はなにをお勉強なさっているんですか?」
「えっと、淑女教育とか普通のお勉強です」
「魔術のお勉強はまだなさっていないのですか?」
「してますよ」
「ロクサーナはその魔力量の多さを見込まれて我が家の養女になったからな」
お兄様の言葉に頷くとアナシア様がにっこりと微笑んだ。
「ロクサーナ様もいずれはしかるべきお相手のところにお嫁に行かれるのでしょうが、義妹とはいえ家族が他家に嫁に行くのはやはり寂しく感じるのではありませんか?」
「それが貴族令嬢というものだ。ロクサーナの魔力量的にただ平民に戻るわけにはいかないし、下位貴族に嫁いでは我が家の養女になった意味がないからな。高位貴族との間に子供をなしてこそ意味がある」
「まあ、家族だというのにそのように冷めたことをおっしゃって……」
「事実だからな。嫁がないでも、高位貴族の愛人ぐらいにはならないと主家に顔向けが出来ない」
「それはそうですが……」
愛人? どこかに嫁ぐんじゃなくて愛人になるっていう未来もあるの?
高位貴族の愛人になって子供を産めばいいの?
愛人になればこの家の娘のままでいる事が出来るのよね?
「高位貴族に嫁げばその家のしきたりなど学ぶことも多いが、せめて高位貴族令嬢としての基礎は我が家で学ばせておく必要がある。母上もその事を考えているからな、ロクサーナの教育に熱が入っているんだろう」
「お母様があたしの事を考えてくれているのはわかりますけど、男爵家の庶子出身のあたしがそこまでいろいろ学ばなくてもいいと思うんです」
「何を言っているんだ? 愛人になるならともかく、貴族夫人になるのなら基本はしっかり学ぶ必要があるだろう」
「でも……」
「ロクサーナ様、貴族たるもの家のために努力を欠かさないことは重要ですよ」
「……はい」
アナシア様の言葉に頷いたけれど、貴族夫人にならないなら、こんなに勉強する意味がないってことよね?
お母様がいつか嫁ぎ先の家で女主人として使用人を良くまとめられるようにとか言ってるけど、愛人ならそんな事しなくていいのよね?
男爵家の庶子だったんだから、高位貴族の家に嫁ぐよりも愛人になって子供を産んで貢献したほうがよっぽどましなんじゃないかしら。
その後も、あたしにはわからない話をしたり、お兄様がアナシア様の令嬢としてのすばらしさを褒めたりと、つまらない時間が続いたけど、あたしはちゃんと貴族令嬢として最後まで笑顔で参加した。
その日、アナシア様が帰った後の夕食でダリオン兄様を見てふと気が付いた。
「ダリオン兄様がアナシア様とのお茶会に参加するところを見たことがないですけど、どうしてですか?」
お母様やお父様だってたまに同席することがあるのに、これって変よね。
「ああ、あのお茶会はアナシア嬢が我が家に馴染むためのものだからな。俺は学院での顔見知りだから必要ないんだ」
「へえ、そうなんですか」
ダリオン兄様の言葉にそういうものなのかと頷く。
「アナシア様とダリオン兄様は学院では仲がいいんですか?」
「以前にも言ったが、親しい方だな」
「そうなんですね。…………どうしてロベルト兄様なんですか?」
ふと疑問に思ったことをそのまま口に出すと、皆が一瞬だけ動きを止めた。
「どうして、とは?」
お父様が気を取り直すように微笑んで聞いてくる。
「仲がいいなら、ダリオン兄様と結婚してもよかったんじゃないんですか?」
「ロクサーナ、貴女は何を学んでいるのです? ダリオンは我が家の嫡出子ではありますが跡取りはロベルトです。家の繋がりを考えるのであればロベルトがアナシアさんを娶るのは当然でしょう」
「じゃあダリオン兄様はどうするんですか?」
「婿に欲しいという話もあるが、本人が断っているからな……騎士団入団が希望進路だったな」
「ああ。騎士団で成果を残せば騎士爵がもらえる可能性はあるしな」
「まあ、ダリオンは元々平民になっても大丈夫なように教育しているからな」
使用人の話をちょっと聞いたけど、貴族出身の平民はただの平民よりもいい仕事につけるのよね。
騎士団でも純粋な平民出身よりも貴族出身の平民の方が出世は早いのかも。
でも、騎士爵か……。男爵家よりも下だし一代限りなのよね。
もちろん平民よりも貴族であるだけましなんだろうけど、生活は平民と大して変わらないんじゃないの?
ああでも、騎士団のお給料って高額って使用人が話してたから、お金には困らないのかも。
「あれ?」
「どうしました?」
ふと声が出てしまうとお母様が首を傾げた。
「あ、いえ……ただ、あたしもいずれこの家を出る事になるんですよね?」
「そうですね。貴女を養女にしたのはよく教育を施して高位貴族のご当主との間に子をなさせることで、魔力の強い子を残すことですから」
「……はい」
でもそれって、貴族夫人にならなくても子供さえ生んでしまえばいいってことよね。
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