140 紅花翁草ー1
その日、いつものように王族専用スペースで昼食を食べた後、軽く雑談をしてスペースを出ると、食堂の中心が騒がしくなっている事に気が付いて目を向けた。
そこには状況が分かっていないというように、尻もちをついて床に座り込み両手も床に置いて体を支えているロクサーナ様と、横座りのように倒れこんで足首を押さえながら顔をうつ向かせるミンシア様が居た。
「いったい今度は何の騒ぎですか」
「またあの2人ですの」
呆れたように言うジョセフ様とエメリア殿下に、普段から教室でもあの2人が問題を起こしているのだという事が察せられる。
ティオル殿下が精霊を使って音を集め始めたのを感じたので、わたくしも同じように音を集める事にした。
周囲にいた令嬢がミンシア様に駆け寄り、足首を押さえたミンシア様を見て軽くそこに触れると、「痛いっ」と小さく悲鳴を上げる声が聞こえる。
「ロクサーナ様。ミンシア様にわざとぶつかって突き飛ばすなんて、どういうつもりなんですか?」
「あ、あたしそんな事してませんっ!」
「嘘おっしゃい! 貴女がぶつかってミンシア様が倒れこんだのは大勢が見ています! お可哀そうに、ミンシア様はお怪我をなさったのですよ!」
いや、ロクサーナ様も尻餅をついているのだから、ぶつかったのは偶然である可能性が高いのでは?
でもこういった場合の多くは、被害が大きい(ように見える)側に同情の声があがるのが常である。
慌てたように立ち上がってロクサーナ様がミンシア様に歩み寄ったが、ミンシア様は怯えたようにビクリと肩を震わせ、まるで咄嗟に救いを求めたというように傍にいた令嬢の腕を掴んだ。
その様子は完全に加害者と被害者のそれであり、ロクサーナ様に向けられる視線に厳しいものが増えていく。
「ぶつかったのは事故です。あたしだって転んだんですから、わざとなわけないじゃないですか。ミンシア様だってそう思いますよね?」
自分は悪くないと信じて疑っていない口調に、野次馬の中には「開き直ってるな」「いや、ああ言って脅してるんじゃないか?」と友人と小声で話す人も出ているようだ。
「わ、わたしは……そのっ申し訳ありませんっ!」
突然顔をさらに俯かせて謝罪の言葉を口にしたミンシア様に周囲が驚いたような視線を向ける。
「日頃わたしがロクサーナ様に対して厳しいことを言っていたから、きっと怒っているんですよね。本当に申し訳ありません! わたしはただ学友が悲しい表情をするのが嫌で、それに貴女が貴族令嬢として今後不利になるようなことがあってはいけないと、そう思っての発言だったんです。でも、……でもロクサーナ様はそれを不快に思っていたんですね!」
「えっ?」
「ですが、このような事をする前に不快に思っていると、怒りを抱いていると言葉で伝えて欲しかったです。確かにわたしとロクサーナ様は親しく話す間柄ではありませんが、会話をする機会がまったくないという事もないのに、話し合いをする前にこんな……こんなことをするなんてっ」
辛そうに声を絞り出しているようにミンシア様が言う様子に、雰囲気操作が上手だと感心してしまう。
ミンシア様は常識外れと有名な令嬢で、アーシェン様の代理のような態度でロクサーナ様に突っかかっているというのも有名になってきている。
しかしながら今の言葉でその評価、少なくとも突っかかっているというものに対しては見解が変わる可能性が高い。
厳しいことを言ったのは学友であるアーシェン様を思っての事、そして非常識と評判のロクサーナ様の将来を考えてのものだったのだと、そう受け止める人も多く現れるかもしれないからだ。
「そりゃあ、確かにミンシア様には関係ないのにいろいろ言われて気分は悪かったですけど」
「やっぱりそうなんですね! でも……でもっ」
そこでミンシア様は顔を上げてロクサーナ様を見つめる。
「わたし達は貴族なんですから、まずは言葉を交わすべきじゃないですか!」
言い切ったミンシア様はじっとロクサーナ様を見続ける。
対するロクサーナ様はミンシア様が何を言っているのかわかっていないようで、戸惑っているのか動かないし何も言葉を発しない。
見つめ合い、いや、にらみ合いが続いていると食堂の入り口の空気がざわりと揺れた。
どうしたのかと視線を向けるとそこにはなぜかファルク様の姿があった。
教師がなぜ生徒用の食堂に姿を現したのだろうかと考え、ふと、これはもしやゲームのイベントの一つでは? と思いつきジョセフ様を見れば、ジョセフ様はしまった、とでもいうような表情を浮かべている。
「ファルク様、あっちです」
一緒に入ってきた生徒がロクサーナ様達の方を指さす。
揉め事が起きたため教師を呼びに行った結果、なぜかファルク様がやってきたというわけか。
正直、こんなイベントがあったかなんて全く覚えていない。
しかしながらジョセフ様の顔を見る限り、ゲームのイベントの一つで間違いはなさそうだ。
ファルク様は生徒の案内でロクサーナ様達のところに行く。
「ファルク様! 聞いてください、ミンシア様がわけのわからないことを言うんです」
ロクサーナ様がすぐさまファルク様に駆け寄って困ったように声を発した。
「言葉がどうとかいって、そもそもミンシア様があたしの家族の事に難癖を言ってきてたのに、勝手だと思いませんか?」
迫られるように言われたファルク様がロクサーナ様越しにミンシア様を見る。
ミンシア様はファルク様の登場に、これぞヒロインと言うように悲し気な顔をして同情を引くのかと思ったが、恥じるように視線を逸らして怪我、おそらくくじいたであろう足を隠すようにスカートの裾を直した。
「生徒同士がぶつかって転んだ結果、片方が怪我をしたと聞いてきたのだけれど、怪我をしたのはミンシア様で間違いないかな?」
「そうです」
ミンシア様ではなく、先ほどから傍にいる女生徒がすぐさま答えた。
「ぶつかって転ばせた挙句、ミンシア様は足を怪我したのに、ロクサーナ様はわざとじゃないと言って謝る事もしていません!」
「……それは本当かな?」
「だって、本当にわざとじゃないし、あたしだって転んだんだからお互い様じゃないですか」
ファルク様に問われて、ロクサーナ様はあくまでも自分は悪くないと自信たっぷりに口にする。
「けれど、ミンシア様は実際に怪我を負い、ロクサーナ嬢は無傷なんだよね?」
「それはそうですけど」
「貴族令嬢として、いや、人として怪我人を労わる気持ちはないのかい?」
そう言われてロクサーナ様はハッとした顔をしてミンシア様を見る。
「ミンシア様、怪我は大丈夫ですか? 痛みますか? 怪我人を気遣うなんて当然なのに、あたしったら動転しちゃってました、ごめんなさい。一緒に保健室に行きましょう」
優しげな声で言いながら近づくロクサーナ様に、ミンシア様は再び怯えたように肩を揺らし近くにいる女生徒の腕にしがみつく。
「ファルク様が来たからっていい子ぶらないでくれますか? それに、こんなに怯えているミンシア様を保健室に連れて行って、2人になった途端にもっとミンシア様に酷いことをするつもりなんですか?」
「なにをっそんなわけないじゃないですか!」
女生徒の言葉にロクサーナ様は心外だと声を上げたが、それが図星を突かれ焦って口にしたようにも聞こえ、野次馬達がロクサーナ様を軽蔑するように見る。
そんなロクサーナ様の横を通り過ぎてファルク様がミンシア様に近づくと、女生徒に離れるように指示をしてから「少し失礼」と言ってミンシア様の足首に触れた。
「いたっ」
「……骨に異常はなさそうだけど、恐らくくじいてしまっているね。これでは歩けないだろう」
残念ながら治癒魔術は使えない、と言ったファルク様がミンシア様を横抱きにして立ち上がった。
「きゃぁっ」
「保健室まで我慢してくれるかい? 怪我人を歩かせるなんてこと、紳士として出来ないからね」
ファルク様はそう言うとロクサーナ様に声をかけることなく歩き出したが、そんなファルク様を止める声がかかる。
「ファルクお兄様っ」
「アーシェン、どうした?」
「わたしもご一緒します。保険医がいるとはいえ、ファルクお兄様と2人でいればいらない噂が広まってしまうかもしれませんから」
アーシェン様はそう言って傍まで行くと、じっとファルク様を見る。
「そうか。なら一緒に来てもらおうかな」
「えっ」
驚いたように声を上げたのはミンシア様だった。
「あ、えっと……アーシェン様にお手数をおかけするのは申し訳ありませんから、その……」
「お気になさらないでください。ミンシア様は普段わたしのためにロクサーナ様にきつい事を言ってくださっているのでしょう? そのお返しですから」
「それは……。あの、それではよろしくお願いします」
遠慮がちに受け入れたように聞こえるけれども、愛人の座を狙っているミンシア様としてはファルク様と2人きりになりたかったのだろう。
3人が食堂を立ち去っていくと、残されたロクサーナ様へ再度視線が集まった。
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