113 釣浮草ー5
通常、王家からの求婚は侍従などの代理の者が玉璽の押された書状を持ってくる。
よほど重要な求婚の申し出の時は宰相がその書状を持ってくることもなきにしもあらず、といったところだ。
それなのに……。
「ベアトリーチェ嬢、今日は僕のために時間を作ってくれてありがとう」
わたくしの目の前にはにこにこと笑みを浮かべたティオル殿下、そしてどこか悟りを開いたようなゲオルグ殿下がいる。
両親も求婚の書状を持ってくるのはせいぜい宰相だと思っていたのだが、まさかの本人とその弟殿下直々の訪問に、迎え入れた時は笑顔が若干引きつっていた。
「こちらこそ、まさか殿下方がわざわざいらっしゃるとは思っておりませんでしたわ。お時間を作っていただき感謝するのはこちらでしてよ」
「いや、本当なら宰相が書状を持ってくる予定だったんだが、代わってもらったんだ」
「ボクはそんな兄様が暴走しないように心配でついて来ました」
「そうですの……」
そんなに簡単に変わってもらってはダメなのでは!?
「本題に移りたいのだが、まずは慣例として王家からの書状を受け取ってくれ」
ティオル殿下がそう言うと、ゲオルグ殿下が一緒に来ていた侍従が持っていた書状をお父様に渡した。
それを開いて中身を確認していくお父様の顔がだんだんと引きつったものになっていく。
「ティオル殿下、ここに記載されているのは……その、本気ですか?」
「本気だが? 何かおかしいことが書いてあるか?」
「いえ、これはなんというか、求婚の申し込みの書状と言うよりも婚前契約書のように見えるのですが……」
「僕の誠意を見せるために内容を多少変えさせてもらった」
「多少……」
お父様が何とも言えない顔をしてわたくしに書状を渡してきたので、ティオル殿下達に黙礼をしてから読んでいく。
「………………あの、ティオル殿下」
「どうかしたか? どこか不満な部分があればベアトリーチェ嬢が望むように修正しよう」
そう言ったティオル殿下に、そうじゃない、と頭痛がしてくる気分を感じた。
「番の魔術はわたくしも理解しているつもりですが、このティオル殿下のみに施す、というのはどういうことですの?」
「そのままの意味だ。僕が望んで番の魔術を施すだけでベアトリーチェ嬢まで巻き込むつもりはない。ただでさえ番の魔術を発動するときには君の血液が必要になるのだからな」
「側妃の選抜はわたくしに一任するというのはわかっておりましたが、どのような場合でも側妃をエスコートすることはなく、外交の場で側妃が対応する場合でもエスコートではなく側近として扱う。側妃が夫となるティオル殿下以外に心を寄せる相手が出来た場合、王家の調査とティオル殿下並びにわたくしの許可のもと降嫁させるというのは?」
「そのままの意味だ。僕の妻はあくまでもベアトリーチェ嬢だけであり、側妃になった女性であろうともそれは臣下としてしか扱わない。エスコートをすれば勘違いする愚か者が出現するかもしれないからな、いらぬ種は摘み取っておきたい。そんな扱いを受けていれば僕以外に想いを寄せる相手が出来る可能性だってあるだろう。こちらとしてはその相手に問題がなければ感情を押し殺すような真似はさせたくはないからな。まあ、側妃が抜ければその分ベアトリーチェ嬢に負担がかかるから、その穴埋めなどの事後処理が終わってからの降嫁になるだろうな」
「なるほど……」
他にも、婚約者になった際にあてがわれる予算や、王太子妃教育にかかる時間や内容、教師の名前とその教師が気に入らなかった場合の代わりの教師数名のプロフィール、ティオル殿下の婚約者として2人で過ごす時間と交流内容などが記載してあり、それを反故にした場合は王家側から慰謝料が支払われるとあった。
「正直、このように事細かな婚前契約書をお持ちいただけるとは思いませんでしたわ」
「実はアルバート兄さんが出国前に基礎を準備してくれたんだ」
「アルバート様が……」
新年祭の数日後、あまりにもあっさりと出立したアルバート様の名前が出てきたことに驚いてしまう。
「不安の種は出来る限り取り除くことがベアトリーチェ嬢への誠意だと言われた」
「そうでしたの」
どこまでもアルバート様らしいと苦笑してしまう。
この内容を見る限り、わたくしに不利になる事は一切なく、事細かに決められた内容を破れば多額の慰謝料がわたくしに支払われ、数度にわたる契約違反はわたくしから婚約解消を申し込まれても拒否が出来ないとまであった。
この分だと結婚契約書も似たような内容になるだろう。
もっとも、王太子夫妻の離婚などというスキャンダルなことはそうそう出来ないし、するつもりもないのだけれど。
そもそも断る事はない前提で今日の訪問を受け入れているのだが、と思いお父様を見ると、お母様に小声で内容をかいつまんで話しているらしく、お母様が何とも言えない顔をしていた。
「ベアトリーチェ嬢、どうか僕の求婚を受け入れてくれないだろうか」
いや、だからこの書状が求婚すっ飛ばして婚前契約書になってるから、断られる事を想定していないようにしか思えないんだが!?
「わたくしはお断りするつもりはございませんが……、お父様、よろしいですわよね?」
「ん? あ、ああ……まさかこのような婚前契約書を準備して求婚をティオル殿下自身が来てなさるとは思わなかったから驚いたが、ベアトリーチェが納得しているのなら問題はない」
わたくしとお父様の言葉にティオル殿下があからさまに嬉しそうに顔を輝かせ、ゲオルグ殿下がほっとしたように息を吐き出した。
「そうか、受け入れてくれるか。よかった……。ありがとう、ベアトリーチェ嬢」
「本当によかったですよ。兄様のこの気色悪さにベアトリーチェ嬢が思いとどまらないかと、王家全員が心配していたんです。アルバート兄さんもこんな細かい契約内容まで作って、正直身内でも引きますよ」
なんだか散々な言われようだな……。
まあ、こんなに事細かに契約書を作ってきたことに引いているか引いていないかと言われたら、正直ちょっと引いたのは事実だが……。
「ベアトリーチェ嬢」
「はい、ティオル殿下」
「これから一緒に王城にいって婚約届にサインをして欲しい。もちろん、その書状と同じ内容の契約書も準備しているから、そちらにもサインをしてもらえないだろうか」
「それはかまいませんが、このような取り決めをしてティオル殿下は本当によろしいのですか?」
「まったく問題ない」
「そうですの」
これはなんというか……わたくしが思っている以上に愛が重いのかもしれない。
そんなことを考えているわたくしの思考を読んだのか、ゲオルグ殿下が「こんな兄ですみません」と申し訳なさそうに頭を下げたのが印象的だった。
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