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悪党の言い分

作者: 某千尋

 後ろめたいことしかない人生を歩んできました。

 自ら巨悪をなすような度胸はなく、ただただ長いものに巻かれ、流されるままに生きてきました。

 そもそも主義主張もありません。

 私はひたすら自分が割りを食わないように生きてきたのです。


 それはどこまで遡りましょうか。

 ああ、きっと幼い頃からそれは身に染み付いたものだったのです。

 私は近所のガキ大将に付き従う子分だったのです。

 最も弱い子が甚振られるのを、ハラハラしながら眺めていました。

 私の中の良心は彼を甚振ることをよしとはしませんでしたが、けれど止めようとはしませんでした。

 止めることによってその拳の矛先が自分に向くことをおそれたのです。

 私は矮小な存在で、ヒーローになることはおろか、彼らの関心を他に逸らすこともできなかったのです。


 けれど、私は自分こそが悪とは思っていませんでした。

 だって私はそんなことしたくなかったのです。私の心は彼を助けたくて仕方がなかった。けれど、私には力がないからそれができなかった。

 弱いことは罪ですか?

 違います。それが罪ならば、甚振られていた彼も罪があることになってしまいます。

 力の無い私が救うことができないことは至極当然のことで、それは悪では無いのだと、そう信じていたのです。


「お前も見てないで殴れよ」


 そして、それは命令だった。逆らえば弱い私はどうなりましょう。

 考えずともわかります。今度は私が彼になるのです。

 ならば私が何をするか、そんなことは決まっています。そこに選択肢はありません。ただ、言われたとおりにするしか無いのです。

 そして、私はきちんと踏み絵に合格したのです。


 多少成長したところで連む相手はそうは変わりません。下の毛が生えそろう頃になっても、私は彼の手下でした。

 知恵を身につけた猿山のボスは、より巧妙に弱い者を嬲るようになりました。

 純粋な暴力から、その方向性は変わっていきました。

 悪質性を増すにつれ、私は彼から離れたくてしかたなくなりました。けれど、どうやって離れましょう。

 私の家は、彼の家のすぐ近くでした。距離を置くことなどできません。

 彼は彼に似た友人を増やしましたが、かといって都合のいい、なんでも言うことを聞く舎弟を手放したりはしないのです。


 進学の際に離れていった人たちもいましたが、それは私立などという駆け込み寺に逃げ込むことができるだけの経済力のある親がいればこそです。

 私の家は貧しかった。母はどうしようもないクズな父に捨てられ、一人で私を育てていました。自身の親の家に身を寄せて。


 私に逃げ道などなかったのです。彼から離れる術などなかったのです。


 私は私の身を守ることに必死でした。そのために誰かが犠牲になったとしても、そんなものは正当防衛です。誰かを犠牲にしないと私が犠牲になるのですから。

 幼い頃の被害者は、気付いたらどこかへ消えていました。そういえば、彼の家は綺麗な戸建てでした。彼も逃げられる立場の人間だったようです。ならば、逃げられない私が彼を犠牲にしてもそれは許されることではないでしょうか。


 私は、ヒーローが現れて悪魔のような彼を止めてくれることをずっと祈っていました。

 私こそが救われるべき被害者なのだと思っていました。


 私はなぜ貧しい母のもとに生まれてしまったのだろう。

 私はなぜ横暴な彼の幼馴染みとして生まれてしまったのだろう。

 私はなぜ細っこく、小柄に生まれてしまったのだろう。

 私はなぜ優秀な頭脳を持って生まれることができなかったのだろう。

 私はなぜ誰にも守ってもらえないのだろう。


 世の中は理不尽だらけです。

 私は何一つ自分で選ぶことができなかったのです。

 

 大人になれば何かが変わる。

 その期待だけが子どもだった私を慰めていました。きっと彼と離れることができて、私の人生を始められるのだと。

 思春期を過ぎてもまだまだ子ども。そんな浅はかな夢を見ていたのです。


 そんなわけないのに。


 貧しい家に育った頭の悪い貧弱な男。最終学歴は高卒。

 さて、私の未来に希望は見えましたか?


 或いは、彼が改心すれば私の状況は変わったのかもしれません。

 けれど彼は改心するどころかずぶずぶと底なしに闇に染まっていったのです。

 万引きで誇らしげにしていた頃が懐かしいと思うほど、年を経る毎に彼の暴力性と残虐性は増していきました。

 きっと彼は生来の悪なのです。

 そして私にとって最大の不幸は、彼の家もまた貧しく、彼が遠くへ行くこともなかったことです。


 私になんて飽きて、放っておいてくれたらいいのに、やはり彼はいつになっても私を手放さなかった。彼にとって私はいつまでも便利な道具だった。


 ただの一度も、私は彼に反抗しませんでした。


 それが悪かったのですか?

 抵抗すればよかったのですか?

 どうやって? 警察に駆け込むなんて、何も知らないから言えるのです。安全な場所にいる他人に私の苦悩などわからないのです。

 私は彼から逃げる術を持たないのに、そんなことをしたらどうなるか、考えずともわかるでしょう。


 ただの一度も、私の意志で誰かを貶めたり、甚振ったことなどないのです。

 私は心に傷を負いながら生きてきました。罪悪感だって持ち合わせています。

 

 彼に言われるがまま、どこぞの山林の土を掘り返している時だって、私はずっと苦しかった。

 何をさせられているかはなんとなく察していたのです。

 けれど、じゃあ、どうすればよかったと?

 人の命を刈り取ることすら躊躇わなくなった彼の命令を、どうして断ることができたでしょう。


 ええ、わかっています。私はきっと、世間から見たら極悪人なのでしょう。皆、安全な場所から私を非難するのでしょう。

 私だって、自分がしてきたことが正しかったとは思っていません。間違いなく、私は間違っていたのでしょう。きっと、馬鹿な私には思いもつかなかった解決策があったのでしょう。

 けれど、今更ああすればよかった、こうすればよかったなんて言われても遅いのです。

 私が助けてほしい時、助けてくれなかった他人になにを言われても、なにも心に響きません。

 私が後ろめたく思うのは、私の中にある良心にであって、私のことをなにも知らない正義面した他人にではないのです。

 むしろ、私に救いの手を差し伸べなかったなにもかもを、私は恨んでいます。


 でも、私は今とても清々しい気持ちなのです。ですから、無責任な他人の傲慢な正義にも笑顔で頷きましょう。

 だって、これでやっと彼と離れられるのですから。やっと、私は私の人生を始められるのです。


 他人から見て、終わりだとしても。

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