第十ニ話 石
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秋冷が見間違うはずもなく、女に駆け寄った。橋の中ほどまで来ると流石に分かったのか、立ち止まった。
「司。これはどう云う事だ? 」
女をまじかに見るとやはり、始めて遭遇した時の人形だった。
生きている時の思い人、’秋冷’にそっくりである。この前、見たよりも数段顔つきが人間らしくなっていた。
「この人形を見た時、何か感じなかったか? 」
司が橋上をゆっくりと歩いて来る。
「’秋冷’に似ている……。」
呟く秋冷。
「’秋冷’がこの地に帰って来て、橋の突貫工事を行なっている最中だった。だが、中央真下に出来る大柱に、生け贄が必要だった。本当は、長者の跡取りが収まるはずだったが、’秋冷’が身代わりになった。」
「じゃぁ。やはり、’秋冷’が此処に埋まっているのか? 」
魔物ではなく、人間でもない秋冷が、目に泪を溜めながら、雪崩れ落ちた。
知らなければ、聞かなければ、こんなにも苦しくなくて済んだのに……。夢の侭で居られたのに……と魔物が泣いた。
「どうして……。そんな事、教えるのだ。」
八つ当たりなのは分かっていた。だが、魔物だった秋冷が、彼女の事を、自分の事の様に悲しむ姿は、人間味を溢れさせていた。
「こっちにも事情があってね……。」
上着を脱ぎ出し、秋冷に背を向けて、上半身を露にした。
秋冷は、司が何を見せようとしているのか、即座に分かった。
やはり、左肩に減り込んでいる石を、見せた。
秋冷は目を疑った。碧々とした石は一寸半ぐらいに成長している。格段に大きくなっている彼の石。
「どうなってるのだ? 」
「なぁに……。この石は、お前が覚えていないだろうから……。説明するが、’秋冷’が持っていた物だ。この橋に埋められる前、長者の息子に上げた物だよ。それを、この橋の中心……、彼女が埋まっている丁度真上に、橋飾りとした。朱塗りの美しい橋が完成した訳さ……。でも、現実はそうでもなくてな……。私がこの村に来た時はな……。まぁ。良い。」
「何だよ。キチンと説明しろよ。」
秋冷は、司の歯がゆい説明を、苛々しながら聞いていた。
「その石が、私に憑依した。まぁ、石に残っていたのは残留思念だったから、意識を乗っ取られる事もなかったのだが……。石の赴く侭、歩いたら、お前の居る山に入ってしまってな……。呼ばれたのだろうよ。石とお前に……。だが、私も……。」
橋の渡し近くまで寄り、司は凭れ掛かる。
露を孕んだ葉っぱの木々が一面に広がっている。堀の様な凹みがある所を跨いで、橋が立っていた。其の高さは、優に木々を越えていた。
その上から下を見下ろす。堀に水はない。干乾びた大地が赤く罅割れている。
「’秋冷’が、司の体を使って、俺に会いに来たのか……。死んでも、約束を守るために……。」
司の背後から、秋冷の鳴声が聞こえる。切なくそして、哀しい声。
「確かに、女の’秋冷’はお前に会いたがっていた。だが、其れよりも大事だった事がある……。秋冷。頼みがある。」
明らかに声のトーンが違う。
真剣な面持ちで秋冷の方を見た。俯いている秋冷も、司の真剣さが分かったのか、顔を上げた。橋の上には、彼等二人しかいない。
「この石を、お前の手で剥がしてくれ……。」
彼の体の一部になっている石を剥がす事は、彼の命を奪う事を歴然としている。
もしも、剥がせても、大量の出血で命を落すだろう。背中を占めていて、皮膚がなくても、血が出ない紺碧の石等ない。それは大きなカサブタの役割をしている。
「い……、嫌だ……。これ以上、人間を見殺しにするのは……。嫌だ。」
「何云っている!お前を連れて来たのは、この石を外して貰うため……。」
「嫌だ。折角、友達になれたのに……。もう、大切な人を失うのは嫌だ……。」
「ふざけんな!お前は人間を大勢犠牲にして来ただろ。今更、下手な罪悪感を持つな!良いか良く聞け。お前が’秋冷’を殺した訳でもないし、お前が私を殺す訳でもない。人の命は決っている。それに、私は死なない。」
プチ切れた司が、泣出しそうな秋冷に呶鳴った。
始めて人間に怒られた秋冷は、驚きを隠せない表情であった。
司は、秋冷は意味のない事を後悔していると考えていた。
何故、彼女が、ああなったのか、それを教えるべきか、悩んでいた。今の彼では、現実は重すぎる。
「本当に……、大丈夫なのか?」と秋冷が力無く問う。
「大丈夫だ。’秋冷’の二の舞には為らない。」と司は頷く。
秋冷は考え込んでから、司の顔を見た。
彼女も、山を降りる最後の日に、決意の表われの強い瞳をしていた。そして、今彼も同じである。
そんな純粋な瞳を向けられては、反対出来ないと、心を半ば諦めさせた。
彼は、きっと’秋冷’の様にはならない。
「分かった。」
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