⑤将来設計さえ夢物語です
聖女様を中心とした魔物討伐と瘴気浄化の遠征隊が出掛けて、早3ヶ月が経過しました。風の噂にギョーナム山頂で光の柱が立ったとか、魔物の攻撃によって山が割れたとか聞こえて参ります。
もちろん、土石流が発生したとの話も。
わたくしたちは変わらぬ日々を送っていて、今日も目録作成のために本に目を通しています。
遠征隊の安否は気にかかるものの、婚約の話にお返事をせずとも先方から急かされないのが、本音を言うと少しホッとしていたり。
「最近は、動物の本ばかり読んでるんですね」
ユージン様の声に本から顔を上げると、眼鏡の奥の黒い瞳が優しく笑っていました。
「あっ……いつか、もっと年を取ったときにペットを飼えたらいいなと。魔物も認可された種類なら飼育できるだなんて、全く知らなかったので興味深くて」
本当は、もし婚約を断って生涯ひとりで生きていくならと考えたせいです。魔物の中には、知性が高く話し相手にもなる種があるとか。または多くの食事を必要としない種があるとか。
未婚でいることを許してもらえるとは思えないので、これもまた、夢物語なのですけれど。
「なるほど。もしかしたら愛玩用の魔物も入手しやすくなるかもしれませんね。瘴気の影響で魔物が増えていますから、討伐隊が戻れば……」
「あ……。えっと、こちらご覧になってください。グリーンキャットといって、餌がなくても日光さえ浴びていれば最大ひと月も生きていられるとか」
瘴気の発生とともに魔物の数は増え、各地で討伐隊が編成されています。彼らの安否を気に掛けるのは当然のことではあるのですが。
でも今、わたくしは彼らの話題を意図的に封じていました。だって聖女様は常に前線で戦っていらっしゃるのです。わたくしが遠征隊を案じるような言葉をこぼすたび、ユージン様のお顔が少しだけ曇ることに気づいてしまって……。
「あはは。私もツコリさんに影響されて、魔物に関する文献をよく読むようになったんです」
ユージン様はパッと破顔して、その手の中で広げていた本をパラパラとめくりました。
わたくしに影響されただなんて言い訳しなくてもよろしいのに。聖女様の助けになりたいのだということくらい、わかりますもの。
「注目すべき魔物情報はありましたか? 弱点とか?」
「それが! 聞いてください、この世界にはドラゴンがいます」
「え、ああ、はい。います、ね」
「ドラゴンですよ。前の世界には存在しませんでした。空想上の生き物とされていたんです。しかしこの世界には存在するばかりか、過去に飼育に成功したという記述さえある……! これはロマンですよ、男のロマンです。誰だって一度はドラゴンの背に乗って空を飛び回りたいと――」
ユージン様の勢いに飲まれるようにして、彼のドラゴンへの深い思いを拝聴していると図書館の扉が勢いよく開きました。と同時に耳をつんざくような動物の鳴き声が。
図書館には遮音魔法がかけられている上に、わたくしたちは本や会話に夢中になることもしばしばですから、外の音はいつも聞こえていません。
しかし当たり前のことながら、扉が開けば外の音も聞こえるわけで……。
「な、なんの声?」
「聖女様がシダードラゴンの背に乗って――」
ユージン様は、知らせに来た方の言葉を最後まで聞くことなく、図書館を飛び出していきました。
その勢いは、思わず「ふふっ」と笑ってしまうほど。もう、敵わないですよね。
その場に残された本をめくり、シダードラゴンについての記述を探しました。ドラゴン族の中では小柄な種であるということ、比較的温和な性格の個体が多いことなどが記されています。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。読みふけるうちにユージン様が戻っていらっしゃいました。
「本物のドラゴン、凄かったです」
「それは良かったですね」
「聖女様は、ドラゴンの飼育方法について至急調べるようにと言うので、知っていることを全て伝えてきました」
興奮冷めやらぬというのはこういう状態を言うのでしょうか。よほど嬉しかったのが伝わってきます。
「ただ問題があって」
声のトーンを落としてそう言うと、ユージン様はまたドラゴンについての本を捲り始めます。なんだかもう、周りのことが見えなくなっているみたいに。
わたくしは本を読む気持ちになれなくて、お茶の準備を始めました。
ユージン様のそばへカップを置くと、ゆっくりと顔をあげて「ありがとう」とおっしゃいます。カップを眺めて頷き、香りを楽しんで頷き。一口を飲もうとカップに口を近づけたところで、彼の手が止まりました。
「そうだ、大事なことを伝え忘れていました。遠征は成功、死傷者は小さい数に留めることができ、生存者は来週には戻ってくると」
「まぁ! それは朗報でございますね」
「ツコリさんの婚約者もご無事で、彼はもう城に到着しているそうです」
「へ?」
ユージン様は瞳を閉じて紅茶を一口。いつものように頷きましたが、その眉間には皺が寄っていました。