人が恋する瞬間を間近で見たことがある
人が恋する瞬間を間近で見たことがある。
そう、あれは12才だった。学園へ入学する前に学園の見学も兼ねたお茶会の場。
主催は学園側で、これから4年同じ学舎で切磋琢磨していく言わば仲間達との事前交流会。
私は生まれた時からの婚約者である第一王子、エルランド・デ・クーシャルと共にその場へと赴いた。
そこで、彼は彼女と初めて出会った。
初めて会った瞬間に2人がとても惹き付けあっている事を隣にいた私はただ不思議な気持ちで眺めていた。
*
「エリー」
呼び掛けられてエリザベス・クーシャラットは目の前の婚約者であるエルランドへと目を向ける。
今は2人だけのお茶会の時間だ。
いつもは学園の事や、どこの特産物は美味しいとか、そんな他愛も無い話題が続くのに、今日は少しだけ気詰まり気味だった。
それもそうだ。
「……婚約が白紙に戻ることが決まった……今朝、陛下から直接聞かされた……」
「……そう……近々そうなるんじゃないかとは思っていたわ」
「こちら側の都合の問題だから、エリーに瑕は付かないとは思いたいが……」
「完全には無理でしょうね。でも、分かってはいたわ。我がクーシャラット家は他所が危惧するほど王家に近すぎだもの」
王家であるクーシャル家と公爵であるクーシャラット家は元を辿れば同じ血筋になる。
それに加えて現王とエリザベスの父は親友だと言って憚らず、王妃とエリザベスの母は姉妹同然で育った従姉妹だったりする。公爵家を継ぐために遠縁から養子に入ったクリストファーは第一王子の大親友に収まった。
そして、その第一王子の婚約者はエリザベス。
いくらなんでも1つの家と王家の距離が近すぎると、同じ派閥の中でさえいい顔をしない者も増えてきている。不満が爆発しないのは王がそれをきちんと理解して広く誰の意見にも耳を傾け、公平に判断しているからに過ぎない。
そして、ここ数年で同じ派閥ではあるものの、少しずつこちらの派閥から離れつつある公爵家がある。それがミッドルガー家。
ここ数年の内に国内の貴族、平民問わずに広く普及した通信装置。それを作り出し、広く普及させたのがミッドルガー家だ。
今やその力と財力は王家をも凌ぐのではと噂される。同じ派閥内ならばあまり大きな問題も無かったが、少しずつ中立派や対立している強権派とも交流を持ち初めている。
私達王権派としてはミッドルガー家とは是非とも繋がりをより強固にしていきたいところだ。
そのミッドルガー家には深窓の令嬢、マリアベル・ミッドルガー公爵令嬢がいる。
幼い頃から病弱で公式、非公式問わず外へと出てきた事があまり無かったが、今は領内で良い薬を見つける事ができたらしく、完全に病弱を克服している。
あの学園のお茶会で初めて大勢の人前に出てきた。
彼女は月の女神と呼ばれる程に気品と美しさに溢れ、人当たりも良かった。凛とした佇まいでありながら、時々浮かべる憂いは男女問わず手を差し伸べたくなるほどだ。
そして、エリザベスが婚約者の座から降りた時、代わりにエルランドの婚約者となるのが彼女、マリアベルだ。
多くの同じ派閥の者達から強く推されてもいるのだから当然の流れでもあった。
「……近すぎる、か」
「そう。我が家と王家は私達の婚姻が無くても仲を違える事は無いほどに強いわ……それなら、ミッドルガー家の方が遥かに国にとって必要でしょう?」
エリザベスの言葉にエルランドはきまり悪そうに目線をそらす。
「……エリーは気付いているだろう?」
何がとは言わなくてもエリザベスはエルランドが何を言いたいのか分かってしまう。
エルランドがあのお茶会で恋に落ちてしまった相手、それがミッドルガー公爵家の令嬢、マリアベル。卒業を間近に控えた今もエルランドは密かに彼女を想っている。
情勢がエルランドの諦めてしまった初恋を実らせる結果になるのだ。
「気付かない訳ないじゃない……だって私、人が恋に落ちる瞬間を目撃したのだもの……とても不思議な気持ちだったわ……そうね、雷にでも当たってしまったのかと思ったわ。隣で見ていただけなのに、ドキドキワクワクしてしまって……でも、同時にとても悲しくなったの。だって、エルの婚約者は私であの時あの場では今のようになるなんて少しも思わなかったでしょう?」
「……」
「お得意のだんまりね。でも認めるでしょう? あの日からエルは少しずつ変わったもの。ただ私と競い合うだけじゃなく、強い決心を持って日々自己研鑽していたものね……だから、私はとても嬉しいの。お義兄様の親友が……私の輝かしい弟の様なエルがしっかりとしていってくれたのは」
エルランドはエリザベスに対して対外的には理想的な婚約者をやっていた。プライベートな空間になればお互い軽口を叩き合うし、小さい頃は一緒にいたずらもしたけれど、外部の人達からは仲の良い婚約者に見えていたはずだ。
けれどエリザベスは知っていた。エルランドが心で誰を想うのか。誰のために賢王を目指そうと考えたのか。
エルランドは誰からも責められるような事は何一つしていない。エルランドの想いはきっとエリザベスしか知らなかったから。
「エリー、そこはせめて兄にしてくれないか?」
「嫌よ。私の方が朝方に生まれてエルは昼に生まれたのだから、やっぱり私が姉だと思うのよ。」
エリザベスとエルランド、2つの家に生まれたこの2人、生まれたのは同じ日だった。
仲の良い王と公爵は揃って喜び、これはきっと運命だなんだと言って2人を婚約者にした。
けれど、それは違う運命だったのではないかとエリザベスは思っている。
だってエリザベスはどんなに考えてもエルランドを姉弟の様に感じてしまうのだから。
それはエルランドだって同じだと思う。
物心ついた頃にはよく一緒に居たし、勉学の場やダンスのレッスンもずっと一緒だった。
けれど、淡い想いは生まれなかった。どちらかというと一緒に共闘していく仲間の様になっていた。力を合わせて困難に立ち向かう姉弟のような、そんな関係のように思える。
「……エリーは僕の事ずっと弟扱いだよね」
「あら? エルだって私を妹扱いだと思うわ。私としてはそれに対して不満ではあったわよ」
「エリーのそういうところ可愛いとは思えない」
「エルの癖に生意気ね」
2人でそう言い合うと可笑しくなってしまい2人で笑う。
「本当に、エリーとは兄妹なんじゃないかとしか思えない。昔からね」
「私もね。エルとはずっと姉弟だと思ってるわ。……お義兄様よりよっぽどエルは私の姉弟よ」
「そうかもね……そういえば、クリスと初めて会ったのもこの庭だったね」
「ええ、そうだったわね」
*
エリザベスとエルランドが10歳の時、2人はいつものようにこの庭で2人で遊んでいた。そこにエリザベスの父が3歳年上のクリストファーを連れてここを訪れた。
そして言ったのだ。
『エリー、今日からお前の兄になるクリストファーだよ。殿下もよろしくお願いしますね』
父が穏やかにそう言っていたけれど、エリザベスは何も言えなかった。
エルランドはそれに対して、
『エリーの兄上なら僕の兄上でもあるね。これからはエリーと遊びに来てよ』
そう言っていた。
*
「……さっきエリーは僕が恋に落ちる瞬間を見たって言ったけど、それを目撃したのは僕の方が遥かに早かったと思うよ……あの時、確かにエリーはクリスに恋をした」
「……エル、それは……」
今度はエリザベスの方が視線を彷徨わせる。
「あの日、僕は目を丸くしてお互いを見つめ合う2人を見て思ったんだよ。もっと仲良くさせてあげたい、って……まだ婚約の意味もよく分かって無かったからね……とにかく大事な人が増えたのが嬉しかった……けど、エリー達は義兄妹でエリーは僕の婚約者だった。それを痛いほど2人は早い内に理解して、戸惑う僕をしっかり支えてくれてたよ」
あの日、あの瞬間に感じた2人の間の空気は今でもあまり変わらない。けれど、2人共本当にエルランドに誠実だった。決して義兄妹の距離は崩さず、クリスは何でも相談できる良き相棒のようにすらなってくれた。
「……気付かれて無いと思ってたわ……あの時は私達子どもだったし。あれからだって私は態度を変えてないつもりだったもの」
「それこそ、エリーの言葉の通りだよ。僕はずっとエリーの隣にいたんだから、気付かない訳ないだろう? ……きっとクリスよりその事は理解できてるよ」
お転婆でじゃじゃ馬で何でもエルランドと張り合っていたエリザベスが淑女教育をきちんと受けるようになったのはあの頃からだった。
エルランドへは相変わらず負けず嫌いを発揮しつつ、一方では誰からも侮られないほどの完璧な淑女へと成長していった。
エルランドだけは知っていた。エリザベスが誰のためにそれらを頑張っていたか。少なくても隣に立つエルランドの為ではなかったはずだ。
エリザベスの心にはあの日から1人しかいない。
けれどエリザベスは正しく自分の役割を理解していた。
そして、エリザベスの義兄になってしまったクリストファーも自分のすべき事と立場をきちんと分かっていた。けれど、未だに決まった婚約者を持たないでいるのはきっとクリストファーも諦めきれないからではないかと思っている。
「……私達、お互いに知っていたって事ね」
「そう、それで、お互いに何も相談せずにしていた事がこうやって結果として出てくる訳だよ」
「それも、バレバレだった訳ね……敵わないわ」
「エリーはマリアベル嬢と多く交流を持って仲の良さを周囲にアピールしつつ、母上にも彼女なら何の問題も無いって進言までしただろう? ……どれもこれも彼女がもし僕の婚約者になったとしても余計な反感を買わない為に」
エリザベスは苦笑する。
「だって、あまりにも焦れったいのだもの……それを自分が邪魔しているのも分かっていたんだから……仕方ないでしょう……私は諦めてしまったけれど、エルには諦めて欲しくなかった。マリーだって私に嫉妬したでしょうに……本当にいい子すぎて……」
「知ってる? ミッドルガー家が色んな派閥の人と交流するように仕向けたの、クリスなんだよ?」
「え?」
「ミッドルガー家の通信装置、あれはとても素晴らしい物だよ。何せ離れた所にいる人と会話が可能なんだから、緊急の時ほど事態の把握に役立つだろう? より早く事態を把握して遠く離れた所に指示も出せる……それだけじゃなく、今までは大層な持て成しと共に会談しなければいけなかった人達とももっと気軽に話し合えるんだ……それなら、国内のそれぞれの派閥とももっと話し合えるといいと思わないかい?」
「確かにそうだけど、それとお義兄様、どう繋がるの?」
「クリスはねミッドルガー公爵と平和について熱く語ったそうだよ……その結果ミッドルガー公爵は感銘を受けてね。他の派閥の人達とも多く話した方がいいと考えたみたいだね……けど、知らない人達から見たらその行動どう見えると思う?」
「ミッドルガー公爵家が他の派閥に取り込まれるんじゃないかって危惧する人達が出るわね」
「そうだね……そして、僕はクリスを重用している。ずっとね……それはずっと無意識ではあったけど、今ではそれで良かったんだと思ってるよ」
「その結果、1つの家と王家が近すぎると言われる結果になるわね」
「……僕達は少しずつ世論がそうなって然るべきと思える形にしようとしてきていたんだよ……エリーと彼女の関係は良好。王家とクーシャラット家も関係良好。ミッドルガー家と王家の強い繋がりは皆を安心させる。僕とエリーは仲良く見えているだろうけど、エリーが皆の前で心から祝福を述べれば政略の意味合いが強かったんだって皆思う……エリーはそこまで考えてたんじゃない?」
「そうね。そう考えてたけれど、先に言われてしまうと少し悔しいわ……驚かせようと思ってたんだけど。でも、私はマリーには何の心の呵責も無く笑ってエルの隣に立ってほしいと思っていたから、きっとそうするでしょうね」
「僕はね、エリーが好きだよ……でも、その好きはどうしても家族や兄妹に向けるものだった」
「そうね。私もエルが好きね。でも、同じ。エルはやっぱり私の弟なんだもの」
「だから、そこはせめて兄にしてくれよ」
そこで再び2人で吹き出してしまう。
「……余計なお世話かな、とも思ったけど、エリーの次の縁談相手はクリスを強く推しておいたよ」
「エル、それは……」
「僕はね、クリスとエリーもちゃんと幸せになるべきだと思うよ」
「……お義兄様は想う方がいらっしゃるのよ?」
「うん。そうだね。クリスは本当にエリーに隠すのが上手いよね……でも、僕から見るとエリーと一緒でバレバレなんだよ……これ以上は僕からよりクリスから聞くといいと思うよ」
「そんな言われ方、期待してしまうじゃない……もし、期待が裏切られたら、祝福なんて言えなくなるわよ」
「それはちょっと困るかな……でも、エリーの祝辞がなくても僕は頑張るよ。今まで影で応援してくれたエリーの為にもね」
2人は笑顔を交わす。2人の間にあった1つの約束は白紙になり消えてしまうけれど、確かな別の形で絆は固く結ばれている事を実感していた。
「エリー、きっと2人のお茶会は今日が最後になる……それでも僕の最愛の妹であってほしい」
「エル……貴方はいつまでも私の敬愛なる弟よ……それだけは変わらない」
「本当に最後まで意地っ張りだね」
「ふふ。この先も変わらないわ。姉弟は結ばれる物では無いもの」
「義理の、だったら可能性はあるけどね?」
「からかわないで……エル、必ず幸せになってね。この先も力になることがあれば、いつでも呼んで」
「うん。今までありがとうエリー。そして、エリーも必ず幸せになるんだ」
*
それから一月後色々な手続きを踏んでエルランドとエリザベスの婚約は円満に白紙へと戻った。
そして、エルランドの新しい婚約者はマリアベルとなった。
エリザベスが心からの祝辞とエルランドの一途な想いを少しだけ暴露したことで、マリアベルは周りから大きな反感を買う事もなく温かく王家に迎え入れられた。
エリザベスは公爵家を継ぐクリストファーを補佐するという名目でクリストファーと婚約を結んだ。
当初エルランドにああは言われたけれど、エリザベスはクリストファーが自分を想っているとは考えていなかった。
けれど、クリストファーはエリザベスの婚約が白紙になる事が決まってから、エリザベスに猛アプローチをかけ始めた。
それこそ、朝に晩に口説かれた。
今までと違うと抗議すれば、エリザベスが幸せになるために今まで耐えてきたんだと返される。
自制心だけはとても養われたよと蕩ける目で告げられて陥落しないわけがない。ましてや、エリザベスにとってもそれは秘めた想いだったのだから。
クリストファーが白状したのだが、最初、マリアベルはクリストファーの婚約者候補の1人だったそうだ。でも、マリアベルには叶わない想い人がいることにすぐに気付いた。何故ならクリストファーの親友とも呼べる人だったから。そしてその人も少なからずマリアベルを意識していた。決して言葉にも態度にも出さなかったけれど。
だから、どうなるか分からない賭けをする事にした。既に結ばれている婚約を無かった事にするには個人の想いだけでは理由が小さすぎる。世論がそうなった方がいいと言ってくれなければいけない。
細い細い希望を繋ぐ事をした。遂げられない自分の想いを繋ぎたかった。マリアベルもいつしかクリストファーのしようとしている事に気付いていたようだったけど、彼女も何も言わずとても協力的だった。
そして、その意思を汲み取った訳ではないはずのエルランドとエリザベスも動いていた。
そして、結果はきっと4人が望んだ形になったはずだ。
そして、今。
庭園で4人の男女が穏やかに午後の茶会を楽しんでいた。
見えるところでは幼い子ども達が楽しそうに笑いあっている。
「あら、カイトったら花輪をプレゼントしてるわ、おませさんねぇ」
「あら本当。でもミリアもとても嬉しそうに受け取ってるわ」
「……これは、2人を婚約者にするべき、なのか……」
「いやいや、まだあの子達は6歳ですよ? 貴方達のようにお互い姉弟のつもりかもしれませんよ?」
「そうかしら? 私にはあまりそうは見えないけれど?」
「私としてはあの子の嫁ぎ先がエリーの所なのはとても安心できるわ」
「……確かにな。エリーとクリスの事はよく知っているからミリアを嫁がせるのには安心できるな」
「……2人にもよく確認してからにしましょうね? ……まだウチと王家が近いと言ってくる人達は絶えないんですから……あの頃みたいな根回しは必要ですよ?」
穏やかな会話は昔の思出話へと移っていく。
あの日、恋に落ちた瞬間に儚く散る事を理解しながらも、未来まで静かに繋いだ4人は、良き友として語り合う。子ども達の未来を夢見ながら。