七夕八首
七夕伝説はご存知の方も多いでしょうが、天帝の娘で機織の上手な働き者の織姫とこれまた働き物の牽牛のお話です。天帝は二人の結婚を認めたんですが、夫婦生活が楽しいあまり、織姫は機を織らず、牽牛は牛を追わなくなってしまったのに、天帝は怒り、二人を天の川によって引き離してしまいました。しかし、七夕の日だけは会うことを許しました。織姫星が琴座のヴェガで、牽牛の彦星が鷲座のアルタイルだとされています。
七夕が旧暦のもので、新暦では今年は8/14になること、二つの星を取り巻く星空などは次の国立天文台のページを見てください。https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2021/08-topics01.html
歌の世界ではこの伝説を下敷きにしたものがたくさんあります。その辺から紹介しましょう。
この夕べ降り来る雨は彦星の
はや漕ぐ舟の櫂の散りかも
山辺赤人・万葉集
七夕に雨が降ったのを牽牛が気が早って、櫂の雫を散らしたものだと見立てたものです。新古今集には下の句を「門渡る舟の 櫂の雫か」(天の川の水路を通る舟の……)と変えて収録されていますが、元の方が彦星の1年に1回の逢瀬に急ぐ気持ちに寄り添っているように思います。
久方の天の川原のわたし守
君渡りなば梶隠してよ
古今和歌集・よみ人知らず
これは逆に織姫の心情に思いを馳せたもので、あの人が来たら梶を隠して帰れないようにしてよというもので、これも素直に共感できますね。「久方の」は天にかかる枕詞です。
さて、七夕に関する歌には鵲という鳥がしばしば登場します。雨が降ると天の川の水かさが増し、牽牛は渡ることができなくなるわけですが、そうするとどこからか無数の鵲がやってきて、天の川に翼を連ねて橋を架けてくれるという伝説があります。
天の川扇の風に霧晴れて
空澄みわたるかささぎの橋
清原元輔・拾遺和歌集
この歌では扇の風を送って、雨霧を晴らした中を彦星がかささぎの橋を渡ったようになっています。写実性やリアリティなんかなくても、とてもさわやかでファンタジーにあふれた歌だと思います。
建礼門院右京大夫は51首もの七夕の歌を作った人で、源平の合戦で亡くなった平資盛への追慕の念を重ねたものが多いんですが、その中から。
天の川けふの逢ふ瀬はよそなれど
暮れゆく空をなほも待つかな
建礼門院右京大夫・家集
牽牛と織姫のデートは自分には関係ないんだけど、どこかあきらめきれずに暮れていく空をながめてしまうという深い悲しみを感じさせるものです。
七夕の天の川原の岩枕
交はしも果てず明けぬこの夜は
俊頼朝臣・千載和歌集
一転してちょっと軽い感じのを。二人が天の川原の石を枕に愛を交わしたけれど、なかなか満足しないうちに朝が来たでしょうねという内容で、岩枕っていうのがそそくさとしたワイルドな感じがあっていいですね。
ながむれば衣手涼し久方の
天の川原の秋の夕暮れ
式子内親王・新古今和歌集
最初に述べたように七夕は秋の行事です。上に挙げた歌もすべて勅撰集では秋の部に入っているものです。でも伝統的七夕が8/14といっても真夏じゃんって感じでしょう。この辺の昔の人の季節の変化を先取りする感覚と、暑さが終わらないと秋じゃないって思う現代人との季節感のズレは、寒さの中に春を見つけるかどうかと同じでしょう。
でも、そんなことを言っても今の七夕のイメージを否定できるはずもないんで、秋の歌だというのが表面に出てないものを挙げてきましたが、この式子内親王の歌は袖を通る涼しい風に吹かれているうちに天の川のほとりにいるような気持ちになったというイメージがとてもいいので挙げました。
星多み晴れたる空は色濃くて
吹くとしもなき風ぞ涼しき
従二位為子・風雅和歌集
式子内親王の歌も七夕伝説はかなり背景に退いていますが、この伏見院と永福門院に仕えた為子の歌は夏の部に入れられていて、正面から星空が題材になっています。「色濃くて」という表現が極めて新鮮で、中世和歌らしいものです。下の句の「吹くともなく吹く風が涼しい」というゆるい表現も中世らしいです。
こうした星の美しさの発見は、星の歌人、建礼門院右京大夫の12月の歌がきっかけであったようです。この歌についてもわたしが以前書いた記事をお読みいただければ幸いです。https://novel.daysneo.com/works/episode/d4c2a21358f80b2b4ec767c8488f1600.html
月をこそながめなれしか星の夜の
深きあはれをこよひ知りぬる
建礼門院右京大夫・玉葉和歌集