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季節の和歌  作者: 夢のもつれ
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啓蟄の頃

 つい先日の五日でしたか啓蟄で、冬ごもりしていた虫が出てきて、草木も芽吹く頃というふうによく言われています。


 わたしはこの言葉を聞くと猫が赤ん坊のような声で鳴いて、発情するのを連想してしまいます。桜がいつ咲くのだろうと気になり始める頃ですね。


 まずは式子内親王による梅の歌を見ましょう。


  ながめつるけふは昔になりぬとも

  軒端の梅よ我を忘するな

    式子内親王・新古今和歌集


 梅と言えば匂いを賞でるもので、次のような貫之の有名な歌を見ると、


  人はいさ心も知らずふるさとは

  花ぞ昔の香に匂ひける

    紀貫之・古今和歌集


 梅の匂いが記憶の深いところに働きかけ、思い出を導き出していることがわかるでしょう。


 また、各地の天満宮に梅の花が植えてある由来となった次のような天神様の歌では、


  東風こち吹かば匂ひおこせよ梅の花

  あるじなしとて春を忘るな

    菅原道真・拾遺和歌集


 自分が都を離れた後の未来から現在を見ているわけで、これも現在を過去のように懐かしんでいるふうがありますね。


 こうした古歌を踏まえて、最初の式子内親王の歌を見ると匂いは出てきませんが、いわば下地としてあるものと考えていいでしょう。ほんのりとした梅が香る早春の一日、彼女は何を眺めていたのでしょうか? 少なくとも梅だけではないと思います。様々な想いや回想、そうした今日という日そのものをながめていたのだと思います。そこには春の長雨が降っていたと解してもいいでしょう。


 今日もいずれ昔になってしまって、元々ないのも同然になってしまうだろうけど、そんな自分をそこの軒端から一日眺めていた梅よ、おまえだけは忘れないでほしいといった気持ちではないでしょうか。


 ちょっと濃厚な感情の歌になりましたので、すっきりとした歌を紹介しましょう。


  薄く濃き野辺の緑の若草に

  跡まで見ゆる雪のむら消え

    宮内卿・新古今和歌集


 まだらな若草の緑を見ると、雪がまだらに残り、消えたのがわかると言ってしまうと、技巧に走った歌のようになってしまいますが、「跡まで見ゆる」がこの歌のミソで、雪が徐々に消え、若草が萌え出た時間の変化を見事に重ね合わせたと解したいですね。


 宮内卿は早熟の天才少女であったようで、二十歳にならないうちに亡くなったと言われています。この歌は十代半ばの1201年の千五百番歌合で好評を博し、彼女の才能を愛していた後鳥羽上皇を喜ばせ、彼女はこの歌に因んで「若草の宮内卿」と呼ばれるようになったそうです。


 千五百番歌合と並んで、新古今集の成立に大きく貢献したのが1193年の六百番歌合です。これは藤原俊成が判者だったのですが、その中で「春曙」という題のものを見てみましょう。左は息子の定家で、右は新古今集の編者にもなった家隆です。


    左

  霞かは花鶯にとぢられて

  春にこもれる宿の曙


    右

  霞立つ末の松山ほのぼのと

  波に離るる横雲の空


 定家の歌は「ふつうなら霞に閉じ込められてしまうところを、花と鶯の声に聞き惚れて閉じ込められ、春を満喫しました」といった意味でしょう(漢詩を踏まえたものと俊成は言いますが、あまりそんな気もしないので掲げません)。


 家隆側も特に難点はないと言ったそうですが、ロマンティックながらやや機知に流れた面があるような気がします。


 これに対し、家隆のものは一見、明け方に山が霞の中に見えているといった情景を描いただけのように思えますが、それでは足りません。これは古今集・陸奥歌の、


  君をおきてあだし心を我が持たば

  末の松山波も越えなむ


 を踏まえたもので、この古歌は「もし私が浮気をするようなら、海から遠く離れた松山を波が越えるよ(だから、君を捨てたりしないよ)」といった意味で、松山と言えば浮気しないという約束のことです。


 つまり「波に離るる」がミソで、契りを交わしながら夜明けに名残惜しげに別れて行く恋人のイメージがあるのです。そこを読み取って定家側も感心しましたと言ったそうです。


 俊成は霞、波、雲と重なっているのを難点として挙げながら、「横雲の空殊に強げに侍る」(横雲の空のイメージ喚起力がすごいねといったところでしょうか)として、右を勝ちとしました。俊成の判定や評言は納得できない場合も少なくないのですが、この家隆の名歌に対する判詞は間然するところがないと思います。


 さて、私はこの歌合が定家の芸術家としての闘争本能に火を点けたと思っているのですが、それから五年ほど経って家隆の「横雲の空」を使って、次のような傑作中の傑作を作ります。


  春の夜の夢の浮橋とだえして

  峰に別るる横雲の空


 夢の浮橋はもちろん「源氏物語」の最終巻の名であり、出家した浮舟に薫が手紙を書くものの読んでもらえないといった内容ですが、それを背景・下地として美しさと虚しさ・はかなさが見事に一体となっています。


 夢の浮橋はここでは横雲の空に架かり、長大な物語の登場人物が浮かんでは消えていくのでしょう。壮大な情景を描写した歌と解してもいいのですが、家隆の歌を本歌として後朝きぬぎぬの別れの想いをも「峰に別るる」に秘めていると解するのが適当でしょう。


 浮橋、峰、横雲といったイメージの連鎖の緊密さと合わせ、言葉とそれが齎すイメージの極点を示していると思います。新古今集では家隆の歌と並んで収録されています。  



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