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「玲華、おはよう。今日は学校に行けそう?」
母のこの言葉、今年に入って何回目だろう。母は毎朝、私を起こしに来る。ベッドの端に腰掛け、私に問いかけるのだ。
「…無理。」
「そう。わかった。」
母はため息まじりに言うと、部屋から出て行った。遠ざかっていく足音を聞いて、私はベッドにもぐりこむ。毎朝この会話をするだけで胸が苦しい。心というものは胸にあるのだろう。だってこんなに痛むのだから。
目を閉じて、夢の世界に旅立とうとする。眠りについているときが一番楽だ。何も考えなくていいから。何もしたくない。しかし、何もせず起きていると死にたくなる。だったら眠ればいい。目を覚ましたばかりだったからか、すぐに瞼が重くなった。母のため息が頭の中で繰り返される中、私は意識を手放した。
次に目覚めたのは昼過ぎだった。父も母もとっくの昔に出勤している時間だ。私はほっと息をついてパジャマのまま部屋を出ると、台所に向かう。そこには母が作った朝食が置いてあった。冷めた目玉焼きとスープでお腹を満たし、テレビをつけた。ニュース番組を眺め、外の世界で何が起きているのかを垣間見る。
今日も駄目だ。
私はもう、三か月以上学校に行けていない。始まりは高校二年生の冬だった。学校に行く道中、突然涙が出てきてしまったのだ。しばらくなぜ泣いているのかが分からずにいたが、校門の前まで来たときに理解した。学校に入ろうにも足が動かないのだ。私は学校に行きたくない。私は同級生とは逆方向に歩き始めた。道中母に電話をして、学校に連絡してもらう。誰もいない家の鍵を開けて自分の部屋に飛び込んだ。制服のままベッドに寝転がって目を閉じる。
(今日はたまたま。きっと疲れていたんだ。しっかり休めば明日はきっと…。)
当初はそんな風に軽く考えていたが、それから何日たっても学校に行ける日は来なかった。両親は私に心配の視線を向けるようになった。口々に励まし何とか私を学校に行かせようと知恵を絞っていたが、一月もすればその勢いも衰えた。それは私にとって救いでもあったがその逆でもあった。私は両親からの励ましの言葉におびえていたので、その頻度が減ればそれだけ気が楽になったが、次第に呆れられたかもしれない、諦められたかもしれないという不安が頭をもたげてきたのだ。私は次第に両親を避けるようになった。両親が私に向ける心配と焦りの視線から目を背けた。しかし、いくら目を背けようとしても知ってしまうことはある。夜中、両親が私への対応について話し合っていること。その際、母が泣いていること。父に育て方を間違えたと思われていること。
私がいない方がこの家庭はうまくいく。
両親の苦悩を知るたび、そんな考えが私の頭を支配するようになり、死ぬ方法も何通りか考えた。しかし、いざ実行しようとすると体が動かなくなった。醜い生への執着がそうさせたのだ。ああ、私は死ぬことすらできない。誰もいない場所で、私は静かに涙をこぼした。「死にたい。」と思うことが癖になり、両親への申し訳なさで毎晩枕を濡らした。勉強にも手がつかなくなり、一日のほとんどをベッドで過ごすことも珍しくなくなった。
「大丈夫。死にたくない、死にたくない。」
自分に言い聞かせる。私はテレビの電源を切ると立ち上がり、またベッドに戻った。