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探検

 伽凛台風は五反田方面に抜けて温帯低気圧に変わった。俺達は駅前でランチを取ると、渋谷に向かうことにした。魔女軍師○いわく、『髪型で攻めあぐねた』

 別に綺麗に纏まっていたと思うが、と言うと、それはある程度慣れた技術者を見て『簡単そう』と思う素人の考えだ、と断じられた。そこで俺が昔世話になっていた美容室に行くことにした。その美容室は品質もさることながら、ある方針で話題になって人気が沸騰し、予約が取れない事で有名になった。

 俺はある事情で行きにくくなり、予約も取れづらいことから一度他の店に浮気した。一度浮気してしまえば、次回行った時に頭の状態で浮気がバレるので行きづらい。そんなこんなで行くのは3か月ぶりだ。


 少しのためらいの後アンティーク風のドアを開けると、前はカウベルだったのに電子音になっていた。なんか味気ない。一斉に起こる歓迎コール。

「いらっしゃいませー」

 店長が見えない。いないのかな。高校生まで散髪屋、つまり理髪店で済ませていた俺は大学生になった時に調子に乗って、前々から雑誌に載ったりしていた店におっかなびっくり入ったのだ。それから2年以上通っている。

 髪の長い可愛い女性が出迎えてくれた。新人らしい。俺のだっさい格好とお洒落美女がインパクトがあるらしく、交互に見つつ体を横に傾けながら用心深く近づいてきた。

「あのー、ご予約は」

「いや、してないけどてっちゃんは?」

 女性はぎょっとした。わかるよ、お前の方が言うんかーい、だろ。しかも店長に馴れ馴れしい。両面が鏡になった鏡台が部屋の中央にズラリ6台。客が向かい合う形で12人、壁に張り付いている鏡台が両側合わせて10台に10人、すべて埋まってる。パーマの待ち時間の人と入り口横のソファーに座っている人はほぼこちらの様子を伺っている。

「しょ、少々お待ち下さい」

 そう言って髪を切っている先輩のところに行った。ひそひそと話すと先輩がこちらを見た。そしてにこやかに客に話しかけるとこちらに歩いてきた。にっこり笑って言う。

「近藤にどのようなご用件でしょうか」

 この短髪で美しい中性的な顔の先輩はトキノブ。俺はメガネを外して目元まで垂れた前髪を上げた。

「俺だ」

「結城君! どどどどどどど、ゴクリ、どどどどど」

「おちつけ」

 トキノブは奥のドアに向かって走っていった。30秒後、トキノブと店長のてっちゃんが早歩きでこちらまで来た。店長は黒いシャツに黒いストレートパンツで、ただでさえ長身なのに拍車をかけて細長い。俺の所まで来ると、やはり言葉を失っている。サラッとした前髪を流していて涼しい目元とキリッとした眉毛に鼻筋の通った美男子だ。ただ。

「どうしちゃったのよ結城ちゃーん、あたしの芸術作品は? ちっとも来てくれないし」

「あはははは、てっちゃん久しぶり」

「あの夜の事は悪かったと思ってるわ、だから嫌いにならないで」

「いや、こちらこそごめん、酷い事しちゃって、謝るよ、だからまた切ってくれる?」

「とぉぜんよぉー、来てくれて嬉しいわ」

 オネェだが腕は一流だ。ちなみにトキノブもトランスジェンダーで実は女だ。いや、体が女だ。この店は異常にトランスジェンダー率が高い(綺麗)のが売りだ。既に小林さんに目が釘付けのトキノブ。

 この店は資格者が頼めば、条件が良ければ予約なしで切ってくれる。資格者とは常連であることと、てっちゃんに気に入られる事。後は他のてっちゃんの予約客がいないこと。てっちゃんが耳打ちする。

「その女は誰よ」

「あはははは、彼女」

「やっぱり、悔しいー」

 涙目でギリギリと歯噛みしたが、しょぼんとした。

「でもこの子ならしょうがないわね」

 3ヶ月前、俺が玲奈と別れた事を居酒屋でてっちゃんに打ち明けた時に、やけにはしゃいで飲み過ぎた挙げ句、無理やりキスをしようとしたので突き飛ばして逃げた。ふざけて男同士でキスをしたことはあるが、ガチで愛のあるキスは嫌だ。

「で、お願いなんだけど」

「その子の髪を切ってって言うんでしょ、嫌よ、予約して出直して」

 てっちゃんは姿勢を戻してそう言った。小声ではあったが小林さんに聞こえてもかまわないと言わんばかりだ。しかし流石だ。伽凛がなんとか形になるように纏めていたが、無理やりだと見破っている。

「店長、俺にやらせてください」

 トキノブが申し出た。てっちゃんは腕組みして顎を上げた状態で苛立ったように横のトキノブを見下ろした。ゆらゆらと揺れながら考えている。

「今の子で俺の客終了っすから」


 案内されたのは奥の4畳半ほどの部屋。通称徹子の部屋。近藤徹男ことてっちゃん専用部屋だ。俺の頼みは断りたくない。かといって恋敵にいい仕事ができるかどうかわからない。

 そんなのは許せないプロ根性だったのだろう。トキノブが切るというところで妥協したようだ。フルネームは時伸乙葉。心はガチの男だ。皮肉すぎる。


 普段は近所のおばちゃん経営の小さな美容室か、自分で切っている小林さんだが、高級ホテルのような白亜の美容室でガチガチに緊張している。トキノブが髪をいじりながら耳元で囁くと、少し微笑んだ。髪を切りながらフランクに話しかけているトキノブ。打ち解ける小林さん。なんかイライラする。

 

 俺達は2人に玄関先で見送られた。

「結城ちゃん、次いつ来てくれる? 明日予約いれとこうか?」

「あはははは、いや、しばらくはいいよ」

 しょんぼりするてっちゃん。そんな事は構わずトキノブが言う。

「小林さん、結城君が居なくてもいつでも来てね」

「はい」

 ぜってー1人じゃ行かせねえ。俺は小林さんの髪色を少し明るくする事を提案したが、トキノブが真っ向から反対した。元々艶はあるし、真っ白な肌が際立つ黒髪がいい、軽くするのは染めるばっかりが能じゃないと。俺はトキノブの勢いに押された。

 まあ染めるのはいつでもできるからとトキノブに任せた。結果、うなじから顎のラインで切り揃え、毛先をザクザクとすいて行った。シャンプー室に移動する時に着いていくと入室を断られたのが腹立つ。ブロー後、軽くアイロンをかけて仕上がった髪型は、頭頂部から内向きに緩やかな弧を描いてシャープな毛先が頬に沿っている感じになった。

 全体のシルエットは卵形になっている。ちょい長めのお菊人形みたいだったのがめちゃめちゃ軽くなってしかも知的になった。パーマも染料も使わず、カットだけでここまで仕上げたトキノブに本気を感じた。小林さんに至っては仕上がった自分を見ながら石になっていた。


 それから俺達は渋谷をうろついたが、ワンデイコンタクトを買って装着した辺りで小林さんは終始ビクビクし始めた。原因は判っていたが俺はとぼけて聞いた。

「どうしたの? なんか変だよ」

 そう言うとおずおずと打ち明けた。

「なにかすれ違う人が横目で見てきます、何か変なんでしょうか」

 小林さんは初めてお洒落な格好で町を歩いている。新しい試みだし、しかもビジュアル的に高レベルな人間が見る風景を知らない。そう誤解しても仕方がない。

「心配しなくても俺もだよ、しかも変なのは俺だ」

 小林さんは俺を見上げて言った。

「どういう事でしょうか」

「男はね、見ていないようで女の子をチェックしてんの、可愛い子いないかなってアンテナ張ってるわけ」

「そうなんですか」

「そんな所に小林さんを見て、お、可愛いなってなるわけ」

 児林さんは俯いた。女は自分に対する誉め言葉に対処するのは高度なテクニックがいる。まだ彼女には無理だ。

「んで、こんな可愛い子を連れてるのはどんな男だって俺も見られるの」

 俺は吹き出した。

「俺今日めっちゃ見られてるよ」

 俺はばか笑いした。

「でも女性にも時々見られてます」

「ああそれね、女はちょっと複雑で、だっせー男が女連れてるぞ、と思って小林さんをよく見る、んで何でだ? と考えるか、あるいは小林さんを見て嫉妬する、んで、どんな男連れてるのかと、俺を見てめっちゃあざ笑ってんの」

 俺はツボにはまって息が苦しくなるほど笑った。段々クセになってきた。

「無関心東京でこんなに見られるの初めてだよ」


 それから必要なものがまんべんなく見られるデパートに行った。服屋を巡ったり、化粧品を色々試したりしたが、俺の目的は小林さんに似合うバッグをプレゼントする事だ。あとブラも。

 女連れなら下着屋に入る事には特に抵抗はない。逆に小林さんの方が照れまくってた。デザインは俺が選び、サイズは店員さんと本人の相談だ。これを脱がすのはいつだろうか。

 バッグは伽凛に貰ったくたびれ気味の物を持っていた事もあり、小林さんが必死で遠慮したので、彼氏の好意が受けられないのか、で黙らせた。


 そうして夕暮れ時、ここで飯を済ませて飲みに行こうという事になった。フードコートで俺はペペロンチーノセットを頼んで、小林さんは豚骨ラーメン大盛チャーシュー増し増しを頼んだ。逆じゃね?

 俺と小林さんの組み合わせと、食べている物のコラボがカオス過ぎて回りの視線が痛かったが、小林さんはラーメンに集中していたので気付いていなかった。面白かったのは小林さんが無い髪をかきあげようとして何回もスカしていた事だ。

 

 お腹が膨れてコーヒーでも頼もうと思った時だった。思い付いたように小林さんが言う。

「ちょっとトイレへ」

 彼女はマニュアルさえあれば失敗はしない。伽凛に言われた通り口紅を直そうと思ったのだろう。

「そう、コーヒー頼んどくね」

「お願いします」


 しかし。やけに長い。大きい方でもしてるのかとゲスパーしてしまう。でもコーヒーを頼むって言ったんだから冷めるほど長居はしないはずだった。俺は心配になって階段口にあるトイレに向かった。

 トイレ近くの支柱に向かって男性が立っているが、その足元から小林さんのパンプスが見えた。知り合いにでも会ったのか? と疑問だらけで横に回り込んだ。

 壁ドン顎クイされとる! 小林さんは涙目だ。

「ちょっとあんた!」

 男が振り向いた隙に小林さんが胸に飛び込んできた。俺は左肩を入れて庇いながら男を睨んだ。男は一瞬キョトンとしたが、俺をじろじろ見て鼻で笑いながら階段を降りていった。あぶねえ。俺の認識が甘かった。小林さんはイケてる女子が持つスルースキルを持っていないのにイケてしまっている。俺は1人で震撼した。


「いい? ちょっとここから駅まで1人で歩いてみて」

 俺はナンパスポットで有名な円柱ビルの近くに小林さんを連れてきた。何かすがるような目の彼女を鬼になって突き放した。

「行って」

 何か絶望したような顔でトボトボと歩き出した。10m も進まずに声をかけられる。原因は判っている。真っ直ぐ前を見て足早に歩く女でも声をかけられる生き馬の目を抜く渋谷だ。ノロノロと所在なさげに視線を泳がせれば単なる餌食だ。救出に向かう。

「素子、待ったか?」

 男は俺の姿に困惑しながらも小林さんが俺に駆け寄った事で去っていく。俺は言い聞かせた。

「あのね、実験する時みたいに真っ直ぐ前を見てひたすら到達点をイメージしながら歩く、男に声をかけられたら、大丈夫です! 今から帰る所です! この2つね、いい?」

「はい……」

 もう一度戻って歩かせてみる。

 30mほどで捕まった。恐るべし小林さんの実力。うまく断れるかと思って見ていると、なんか話を聞いている。ブレイクだ。先ほどと同じやり取りをして救出。幸いナンパ師は軽いので諦めは早い。ダメそうな場合はより確率の高い女を探して先に流れる。

「ダメじゃん話を聞いちゃ、断り文句言った?」

「はい、言いましたが1分で終わるから話を聞いてと言われました」

「終わるわけないじゃん! お店に誘われたんでしょ!」

「……はい」

「ちゃんとやって、最終的にNO! ね!」

 再び歩かせて今度は順調にエンカウントを

クリア。しかし、よりによって半グレっぽいのに捕まった。優しい顔をしているが、夜の臭いが半端ない。そんな男となにか話し込んでいる。救出に向かう。二人の横から声をかける。

「素子、もう行くぞ」

 男は俺を爪先から頭のてっぺんまで見て言った。

「なんだあ、お前」

 男の目付きが変わった。俺は無視して小林さんに言った。

「ダメじゃん、話を聞いちゃ」

「割りのいいバイトがあるそうなんです」

「割りはいいけど失う物も多いの!」

 男が体をこちらに向けてズイっと迫った。

「邪魔すんじゃねえよ」

 商売のだろ? 俺は男をかわすように斜めに一歩踏み込んで小林さんの手首を握った。

「オイコラ」

 男が俺の襟を掴んだ。ガツンと押されてよろけるひ弱な俺。もうここは小林さんだけ逃がすしかないと思った瞬間、彼女が間に飛び込んできて男の腕にすがった。

「結城さんに乱暴しないでください!」

「うるせえ!」

 ヒートアップした男が小林さんを薙ぎ払おうとして腕を振った瞬間、彼女は男の手首を取ってねじりながら横移動した。男は苦悶の表情で俺から離れて小林さんを中心に回転し、ビルの壁に顔をぶつけた。

 ぱっと手を離した小林さんは膝がガクガク震えている。男がゆっくりこちらを向いた。鼻血がタラリと垂れた。俺は小林さんの手を握って走った。男は追いかけてきたが。駅前交番を目指しているのを覚って諦めたようだ。


 ひとしきり走って駅に駆け込み、ベンチに座って息を整えた後、顔を見合わせた。何故か自然に笑いが込み上げてくる。2人とも少し興奮状態だった。お互いゲラゲラ笑った後、俺は聞いた。

「なんか武術やってたの?」

「祖父が趣味で合気道の無料道場をやっていまして、そこで研究してました」

 稽古じゃなくて研究なんだ……。小林さんは俺の心理的な動きを読めるようになってきている。俺の顔を見てから先回りして言った。

「人体構造学と物理を応用して罠にはめるのが面白いんです」

 やっぱりそこか。罠好きすぎるだろ。しかし俺は小林さんを危険な目に合わせた。手を握って頭を抱き寄せながら言った。

「ごめん、無理なことさせて」

「いえ、私こそすみません、ちゃんと断れるように頑張ります」


 ちょっと怖い目に合わせてしまったので結局家で飲むことにした。新作のDVDを借りて酒と食料を買い込み、アパートに戻ってきた。小林さんの部屋に買い物を置いてそのまま俺の部屋へ。この付き合う上でのアドバンテージがいい。

 2人で適当に料理を皿に盛り付けて、酒を開けた時、小林さんがDVDをセットしようとテレビの前で四つん這いになった。俺は尻を見ながらニヤニヤしていたが、その時、DVDの排出音がして小林さんの動きが止まった。そして膝立ちになった。何をしているのかと俺は体を傾けて覗き込んだ。

 あ……。友達から回ってきたAVだ。DVDを持って盤面を見下ろしながら硬直している。俺は後頭部をポリポリと掻いた。昨日、自分の彼女がめっちゃ綺麗になったのに妹に持ち帰られてムラムラした結果だ。

「どういうことなんですか……」

「い、いやどういうことと言われても」

 小林さんはDVDの盤面をババンとこちらに向けて言った。

「おっぱい大作戦てどんな作戦なんですか!」

 えええええ! そこ?

「し、知らない」

 小林さんはワナワナと震えた。

「結城さんはこの……この……」

 小林さんは素早く盤面を見ると再びババンとこちらに向けた。

「青木ソラさんを見るときどんな気持ちになるんですか!」

 いやどんな気持ちって、エロい気持ちです。しかし小林さんはDVDを持った手を膝に落としながら項垂れて涙を溢した。

「い、いや、男なら誰でもこういうの見るけどそんな大した意味はないよ、ほら、小林さんの学部もいっぱい男いるけどほぼ全員見てると思うよ」

 小林さんはガバッと顔を上げた。

「知ってます! でも彼らが見てるのは2次元です! この人は実在するじゃないですか!」

 ええええ、2次元とは限らないでしょー。しかしそんな事を言っている場合ではない。

「いや、実在してるけど一生会うことなんかないから」

「確率はゼロではありませんよね、もし知り合ったら結城さんはどうするんですか? おっぱい大作戦しちゃうんですか?」

 だからその作戦俺にもわかんねーよ、と思いつつ勢いに飲まれて何も言えずにいると、小林さんは目を固くつむって涙をポロポロと落とした。

 しかし次の瞬間DVDを投げ出すとスクっと立ってブラウスのボタンをはずし始めた。

「こんな人を見て発散するぐらいなら私を使ってください!」

 えええええパート3

 俺は立ち上がって小林さんを抱きすくめた。しかし脱ぐために俺を振り払おうと抵抗する。これ逆だよね? しばらく押し問答して小林さんは落ち着いた。

「わ……私は綺麗なんですよね……結城さんはそう言ってくれました」

 小林さんは過去に付き合っていた男の要求を拒んで振られている。だから俺の欲求を垣間見て焦ったんだ。

「こんな勢いみたいなのはダメだ」

 俺は体を離して顔を覗き込んだ。俯いたまま泣いている。

「俺を見て」

 小林さんが恐る恐る顔を上げて言った。

「こんなのは初めてです、感情をコントロールできません」

 そう言うとまた涙を溢れさせた。

「嫌いにならないでください」

 俺は頬に手を当てて親指で涙を拭った。

「もうあんなのは見ないよ」

 何十秒か、一分か、見つめあって言った。

「キスするよ」

 小林さんは目を閉じた。暖かくて柔らかいそれは俺の口から背骨に突き抜けた。


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