七日 午前 家族ごっこ
「家族ごっこやりませんか?」
それは昨日のことだった。三人が今日の花火祭りについて話しているのを見て僕はとっさにいってしまった。なんでこんなことを言ったのかは自分でもよくわからない。僕はよく動揺すると自分でも理解できないような事を言う。油が目の前に現れたときだって同様に「一緒に服を買いに行きませんか」なんて言いだした。こう言うところが自分を嫌いにさせる。
「おお、面白そうじゃん」
和正はその意見に賛同する。いや、何が面白そうなんだ。恥ずかしい。自分で言ったのもなんだが、実に恥ずかしい。頼むから否定をしてくれと思ったがみんな急に乗り気になりだした。
「それいいね!」
油さんも賛同する。夏美さんも小さく頷く。
こうして今日家族ごっこをやることになってしまった。
そして今があるわけだが家族ごっこをやると言っても特に変わらない。
設定的には僕がお父さんで油がお母さんで和正が息子で夏美が和正の嫁。
そりゃ、変わらないわけだ。
と言うか家族ごっこやってるのが僕と油だけみたいなことになっている。
「朝ごはんできたよー」
油が作ったご飯が出てくる。
いつも通りだ。本当にいつも通り。ご飯に味噌汁。いつも通りの食卓がテーブルに並べられる。
「いただきまーす」
いつも通り四人で食事の挨拶をして食べ始める。
僕は食べ物を口で運びながら今日のことを考えていた。だが花火大会のことではない。油のことだ。
「おい、裕太。なんか喋ってよ。お前お父さんだろ」
「何喋ればいいんだよ」
「なんか面白いこと」
「面白いことってなんだよ」
「なんか、親父ギャグとか」
彼のお父さんは食事中に親父ギャグを言うのだろうか。
「俺そう言うキャラじゃないから」
「えー」
だいたい僕にそんなギャグを言うセンスはない。それに人前で何かをやると言うことだって僕は好きじゃない。
そうこうしているうちに僕はご飯を食べ終わる。
「じゃあ、食器は私が片付けるね」
そう言って油は自分のと僕の食器を台所に持っていく。
「油さんはしっかりお母さんやってるぞ」
「じゃあ、お父さんって家で何するんだよ」
「新聞読んだりとかじゃない?」
確かにお父さんは新聞を読んでいるイメージがある。
「でも新聞がないじゃん」
「確かにそうだな。あ、でも掃除で使ったやつが」
「なんてもの読ませようとしてるんだよ!」
「駄目か」
「駄目に決まってるじゃん。どこに掃除で使った新聞を読んでるお父さんがいるんだよ」
彼は本当に僕に無茶振りをさせたがる。
そんな僕と和正のやり取りを見ている夏美さん。
彼女はあの散歩の時から僕のことをよく見るような気がしていた。断言はできないがここにきてから彼女は僕のことを意識してくれているような気がする。決してそう言う意味の意識ではない。
和正と夏美さんも食べ終わり食器を油さんに台所まで私に言った。
「さて、そろそろ祭りに行くか」
祭りは早朝からもうすでに始まっているらしい。
みんなはそれぞれ祭りに行くために身支度を済ませる。
油が食器を洗い終わり部屋にやってくる。
「ねえねえ、裕太くんに見せたいのがあるんだけど」
彼女はそう言うと部屋から出て何か廊下でガサガサとやっていた。そして部屋に戻ってくる。そこには蝉の刺繍が入った浴衣を着た油さん。一体どこからその浴衣を持って着たのだろうか。
「どう?」
「それ、どうしたんですか」
「どうしたって、ちょっと借りただけだよ」
「和正に断ったんですか?」
「大丈夫、和正くんもこの浴衣については知らないと思うから」
なんで和正が知らないものを油が知っているんだ。でも、すでにそれは僕の中で明確な答えは出ている。
「なんで和正の知らないものを油さんが知ってるんですか」
「それは、掃除の時にタンスの後ろに隠れてる浴衣を偶然見つけたから」
「それは生前の時に隠したものですか?」
僕は自分の質問の勢いに流されて本当に聞きたかったことまで聞いてしまった。こんな時に口を滑らせるなんて僕は本当にバカだ。
「どう言う意味?」
彼女は眉をひそめて首を傾げた。
「だって、油さん、掃除は台所しかしてませんでしたよね」
「そうかな」
彼女はとぼけてみせる。
「それになんでわざわざタンスの後ろなんて見たんですか」
「それは」
「僕見たんですよ。物置の中で」
言わないでおきたいと思っていたことまで一気に口から出てくる。まるで僕の中で詰まっていた言葉が全てのどの奥から吐き出されるようだ。
「物置?」
「あなたの写真を」
「あるわけないじゃん!」
「でも見たんです」
僕は拳を握りしめ強く言った。
「き、気のせいだよ」
彼女は僕の強い言葉に少し動揺したようだった。
「ちょっと、似てただけでしょ」
「いや、あれは」
「違うよ!!」
彼女は声を張り上げて僕に言った。そこまでして止めるということは何か事情があるに違いない。僕はこれ以上彼女に対して詮索してはいけない。
「それは私じゃない」
彼女は部屋から出て行った。
僕は一人部屋の中で拳を固めたまま立っている。
こういっためんどくさいことになるから僕は今まで本の物語に浸ってきた。さっきの彼女の声を聞いて僕は思った。
もう彼女のことは考えないようにしよう。これは和正と彼女の問題だ。僕が口出ししていいものじゃない。これは彼女と和正の問題なんだ。だから僕は口出しせず彼女が和正に告白するか、それか彼女にかずまさが気づくかを願うだけしよう。
そうだもう忘れよう。僕はそう心に誓った。
僕は荷物から祭りで必要なものをポケットに入れて三人が待つ玄関に行く。
「遅いぞ!」
和正に怒られる。
「ごめん色々あって」
僕は油の方を見たが彼女はそっぽを向いた。僕はどうやら彼女に嫌われてしまったようだ。彼女と僕の今の状況を見て和正は不思議そうにする。
「お前たち、なんかあったの?」
「別に何もないよ」
僕と彼女を見て心配する和正。
「そうだ」
彼はポンと手を叩き油の腕を掴む。
「え」
驚きつつも彼女は和正の顔を見た。
「今日はお母さんと一緒に歩くから夏美はお父さんと歩きなよ」
僕も夏美さんも突然のことで動揺する。それに今お母さんって言ったことに僕は少し驚いた。いや、今和正が言ったお母さんというのは家族ごっこという意味でだろう。
「んじゃま、それで行こう!それでいいですよね油さん」
「うん」
「いや、お母さんか」
油の顔をよく見ると少し赤くなっていた。すごく嬉しかったに違いない。本来は絶対にもう言われることのなかった言葉なのだから。
「ねえ、じゃあ私たちも行きましょう」
そう言って夏美さんは僕の手を繋ぐ。
どうしてだろう。夏美さんと手を繋ぐとどうしても切なく感じてしまう。でもそれは少し変で僕自身が感じていると言ったらそれは違くて、何か奥の方で眠っている何かが僕をそう言った感情にさせる。
「どうしたの」
そういえば彼女はあの時泣いていた。
あれ、いつだっけ?確かに彼女は泣いていたのだがいつのことなのか思い出せない。そう、あれはいつのだろう。今から何年も前のことだった気がする。
「おーい」
彼女が僕の前で手を振った。僕はハッとする。
「あ、ごめん」
「二人とも先に行っちゃったよ」
「そっか」
「私たちも早く行こう!」
「そうだね」
彼女が僕の腕を引っ張って先導していく。彼女もここに来てからとても活発な女性になったと思う。
ここに来てみんな変わった。いや変わったのではなくもしかしたら僕だけが和正や夏美に向き合っていなかっただけなのかも知れない。僕が今まで目を背けて来た現実の人間関係。
本当に変わらなきゃいけないのは僕なのかも知れない。
僕はそんなことを考えながら祭までの道中を歩いた。
僕と夏美さんは和正たちに追いつき、祭会場まで来た。まだ午前中だというのにすごい人だかりが出来ていた。ここは田舎の祭りだというのにこれだけの人数がきているとは思っても見なかった。
やはり、こう行った場所はたくさんの人が集まるのだろう。
和正達は先に会場へと入っていく。僕達も会場に入ろうとする。そういえば和正も僕も普段着なのに夏美さんと油は浴衣だ。なんかアンバランスな状態だな。でも今更しょうがない。
ーーカンカンカンーー
「痛って!」
僕はその場にしゃがみ込むあまりの痛さに右手で頭を抑えた。
「どうしたの裕太くん」
彼女は僕の体を支えられながらも立ち上がる。
「いや、なんでも」
ーーガタンゴトンガタンゴトンーー
「うっ」
僕はまたその場に座り込む。
すごく頭が痛い。ダメだ痛すぎで立ち上がれない。
視界がだんだんと薄くなっていく。
気がつくと僕は白い世界にいた。ここはどこだ。一体何が起きたんだ。
僕は立ち上がる。頭痛はいつの間にか消えていた。
僕は肩を叩かれた。そちらの方に振り返る。
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
「裕太くん」
「あなたは?』
「初めましてかな。夏美の父です」
「夏美の?」
「そうです。私は五年前に死にました」
「えっ」
「知らなかったかい?」
「はい。でも何で夏美のお父さんが僕の前に」
「それは、君が夏美にとって短で遠い存在だったからかな」
「短で遠い存在。だから夏美さんは」
「ん?」
「何でもないです」
「そっか。それで一つだけお願いを聞いてくれないか」
「お願いって?」
「君の体を貸して欲しい」
「僕の体を?」
「大丈夫、今日の少しの間だけでいいんだ」
「それは」
「これが私にとって夏美と最後に過ごせるチャンスなんだ」
「最後の」
「見ているだけでなく、最後は触れ合って感じあって、そばで夏美と一緒にいたい」
「わかりました」
「本当にいいのかい?」
「はい」
「その間君には幽体離脱してもらわなきゃいけないけど本当に」
「いいです。だって最後なんですよね」
「ありがとう」
「全て済ませたら君の体に返すよ。後、勿論夏美が君に変な印象を持たせるようなことはしないから安心して」
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
そこで僕は現実に引き戻された。だが、少し違う形で。そう、僕は目の前にいた。僕は僕の体を離れていた。
「ねえ、裕太くん!」
彼女が心配して僕の体を揺すっていた。
そして体の方の僕はゆっくりと起き上がる。
「ごめん、ちょっとめまいがして」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「ここで休む?」
「いや、行こう。ここに居たらせっかくの楽しい花火祭りが終わっちゃうからな」
「でも」
「夏美、ほら行こう」
「えっ。今、夏美って」
「だって、今日は家族ごっこで僕がお父さんだろ」
彼女は驚きながらも僕の体を借りたお父さんに引っ張られて祭り会場へと入っていく。
二人の様子も見ておきたいが油と和正の方が気になる。
だから僕は会場に入ると和正達の元へ行くことにした。
ーーカンカンカンーー
私は裕太くんに手を引かれて会場に入った。
彼が別人のように思える。さっきのハキハキと喋る裕太くんは見たことがない。和正にあったとしても、それでも私は見たことがない。そんな彼が今私の手を引っ張って楽しそうに走っている。
「夏美、何か食べたいものはないか」
「いいの?」
「ああ、いいよ」
普段はこんなハキハキと喋らない。私は不自然に思いながらも彼の言葉を返す。
「じゃあ」
私は屋台を見渡す。すると焼きそばの屋台があるのに気がつく。
そういえば小さい頃は焼きそばが好きでずっと焼きそばばっかり食べてたっけ。あの時はお母さんに食べすぎだって注意されたんだ。でもお父さんは沢山買ってくれた。お父さんはお母さんに怒られながらも屋台で十パックぐらい手に持って祭りを歩いてくれてた。
「焼きそば」
私はふと、言葉が漏れた。
「焼きそばか」
「うん」
「待ってて」
裕太くんは走って焼きそばの屋台に向かって走っていった。そして屋台で焼きそばを買ってくる。彼の手には五パックの焼きそばが抱えられていた。
「そんなに買ったの?」
「うん、だって夏美好きだったでしょ」
私が焼きそばが好きなんて裕太くんに行った覚えはない。
「なんで知ってるの?私裕太くんに焼きそばが好きなんて言った覚えはなかったきいがするけど」
「和正から聞いたんだよ」
和正にも言ったことはない。どうして彼は私の好きなものを知っているんだろう。でもとりあえず私はきっと何かの偶然だということにした。
「そっか、ありがとう」
私は裕太くんから焼きそばを受け取る。
「どっかで座って食べる?」
「まだいいよ。お昼になったら食べよう」
「そうだね」
そういって裕太くんは私に微笑んだ。そして右手で焼きそばを抱え込んで左手を私の手とつないだ。彼の手はとても温かかった。彼と手をつないでいるとまるで・・・・・・。まるで、お父さんといるような感じになる。
なんでだろう。裕太くんとお父さんは似ているところがあった。
それに今は本当にそっくりだ。それに私の好みまでさっきは知っていた。まさか生まれ変わりなのかもしれないとまでは思わないが何か同じようなものがあるのかもしれない。
私と彼はただ手をつないで歩いている。
はたから見たらカップルに思われるかもしれない。
そういえば裕太くんはどうして家族ごっこなんてやろうなんて言い出したんだろう。
「どうしたの夏美?」
「え」
「さっきからボーとしてるよ」
「なんでもないよ」
「僕は・・・・・・夏美の笑ってる顔を見たい」
言葉には少し戸惑いがあった。でも、彼が微笑んでそう言った。私はそう言われてなんだか急に恥ずかしくなった。顔が火照ってくる。私はそんな顔を見られたくなくて下を向いた。
「あ、ごめん。今のは流石に気持ち悪かったよね」
「そ、そういうわけじゃないよ」
下を向きながらも私は首を横に振った。
「あ」
彼は何かに気づき私から離れる。私は彼のことを見ることをでき下を向いたままでいた。
「おじさん、コレ下さい」
彼の声が聞こえた。どこかの屋台で何かを買ったのだろうか。
「夏美」
私は彼に名前を呼ばれて顔をあげた。彼の手には簪があった。簪にはキャラクターがついていた。そのキャラクターわどこかで見たもの。確かミーアス高尾で売っていたキーホルダーと同じ蝉の形をしたキャラクター、セミコロンだ。
彼は私に簪を差し出す。それを受け取った。
「それ、あげるよ」
「ありがとう」
こんなものを買ってもらっていいのだろうか。とりあえず簪を自分の髪に挿して見る事にした。
簪の挿し方は前にお母さんに教えてもらったことがある。
髪を束ねて数回時計回りにに捻って、左手で髪を持って右手で頭部から少し離れたところに簪を挿す。それで毛先を左側に引っ張って簪を時計回りに傾ける。簪を起こして簪の先はなぞるように移動させる。地肌に添わせて簪を押し込んで出来上がり。
「どうかな」
「すごい、似合ってるよ」
私はまた恥ずかしくなって下を向く。
「おじさん、コレ下さい」
彼の声が聞こえた。どこかの屋台で何かを買ったのだろうか。
「夏美」
私は彼に名前を呼ばれて顔をあげた。彼の手には簪があった。簪にはキャラクターがついていた。そのキャラクターわどこかで見たもの。確かミーアス高尾で売っていたキーホルダーと同じ蝉の形をしたキャラクター、セミコロンだ。
彼は私に簪を差し出す。それを受け取った。
「それ、あげるよ」
「ありがとう」
こんなものを買ってもらっていいのだろうか。とりあえず簪を自分の髪に挿して見る事にした。
簪の挿し方は前にお母さんに教えてもらったことがある。
髪を束ねて数回時計回りにに捻って、左手で髪を持って右手で頭部から少し離れたところに簪を挿す。それで毛先を左側に引っ張って簪を時計回りに傾ける。簪を起こして簪の先はなぞるように移動させる。地肌に添わせて簪を押し込んで出来上がり。
「どうかな」
「すごい、似合ってるよ」
私はまた恥ずかしくなって下を向く。
「あ、ありがとう」
苦し紛れなありがとう。なんだか素直になれない自分がいた。
彼はその後も私に色々と話しかけたりしてくれたが、私は恥ずかしくて彼の顔を直接見ることができなかった。
ーーガタンゴトンガタンゴトンーー
僕は油さんと和正の様子を影から見ていた。別に今は幽霊の状態なのだからわざわざ影から見なくても良いのだが、近くでまじまじと見るのは流石に気が引けた。
どうやら時に会話もすることなく屋台に囲まれた道を歩いているだけのようだ。
「油さん」
「ん?どうしたの和正」
彼は自分から言い出した割には油と二人でいる事に少し動揺しているようだった。
「じゃなくて、お母さんか」
「別に無理して言わなくていいよ」
「いや、今日はそういう日だから」
何を我慢しているのだろう。彼の顔には何か言いたいことが出ているような気もした。
「なんか食べない?」
油がそう言い出した
「あー、じゃあ定番の綿飴でも」
「わかった」
「いや、俺が買うよ」
「いいよ、今日はそういう日でしょ。お母さんが買ってあげる」
そういって油が綿飴が売っている屋台へと向かった。
そういえば彼女、一体お金はどうするんだろう。油は財布を持っていた。財布の中から千円札を取り出す。思い出せば僕の財布からいくらかお金が消えていたような。
僕は一応多めに財布にお金を入れてきていた。だが昨日、財布を確認したところ五千円が消えていた事に気がつく。そっか、彼女が犯人だったのか。いや、彼女以外ありえないのにどうして僕は気づかなかったんだろう。
まあ、でもこういう事だったらいいか。
彼女は屋台から買った二つの綿飴を持って和正の元に戻る。
「はい、綿飴」
彼女は左手に持っていた綿飴を和正に渡した。
「ありがとう」
そう言って和正は彼女が渡してきた綿飴を受け取った。
和正たちは綿飴を食べながら会場の中を歩く。
正直、こんなに早くきてもやる事はない。会場もそんなに広いわけでもないし屋台もたくさんあるかと言えば数える度しかない。それに始まってない屋台なんかもあったりするわけだからいま楽しめる事は少ない。
「なんか、何すればいいかわかんないね」
「まあ、まだ早いからな」
「こういう時ってお母さんってどうするだろうね」
彼女は少し寂しげにそう呟いた。
「俺に聞かれても分かんないよ」
「そりゃそうだよね」
和正は笑って返した。
「油さん・・・・・・じゃなかった。お母さん。元気ないけど、どうしたの?」
「元気ないかな」
「いつもはもっと元気ハツラツって感じなのに」
「私、そんな感じだった?」
「うん」
油は和正にエヘヘと笑って見せた。でも今の彼女の笑っている姿はなんだか苦しく感じた。
「私元気だよ!」
彼女は無理やり元気を出そうとした。
「なら、良かった」
和正はその事に気づかない。
「和正、この後どうする?」
「とりあえず、花火始まるまでブラブラと」
「でも、まだお昼にもなってないよ」
「そうだけど、やることと言っても特にないしなー」
和正は腕を組んで悩んだ。
「まあ、気軽に歩いてなんか見つけよう」
和正は歩き出す。
「待って」
「ん?」
和正が振り返ろうとした瞬間、油は和正に後ろから抱きついた。
「油さん!」
「ちょっとの間だけ」
「え?何?」
「ちょっとの間だけ・・・・・・抱かせて」
和正はすごく動揺している。周りの人も立ち止まって二人のことを見る。
油はそんなことも御構い無しにただぎゅっと和正の体を抱きしめる。
和正は動揺しながらも動かず彼女を受け入れた。
もう抱けるはずもなかった息子の体を今、彼女は流れて言ってしまう水を止めようと必死で川の流れをせき止めるダムのように和正を思いっきり抱きしめていた。
今ある時間に彼女は残りの少なさをひしひしと心に感じながら彼を抱いている。たとえ、どれだけ短い瞬間の中でも彼女にとっては一つの宝物なんだ。
彼女は自分の手から宝石が結晶となるなるまでに和正のことを抱いていたいんだ。
僕はただその情景を影から眺めることしかできなかった