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五日 蝉の止り木

 さて、天草の朝がやってきた。輝く太陽が向こうの山からおはようと顔を出す。

 そして夜とはまた違った静けさが天草に訪れる。台所の水道の蛇口から一滴の雫が落ちて。


ーーポチャンーー


 とても静かな朝。雫が落ちる音ですら襖を跨でいたとしても耳に響いて来る。


 和正の実家の大掃除が始まった。

 僕は棚の埃を雑巾で拭き取っている。

 掃除は担当ごとに分かれていた。

 和正は縁側の雑巾掛け。油さんは台所周り。夏美さんは書斎の整理。

 僕は居間の掃除と玄関周り、そして物置の整理整頓。僕だけ掃除する箇所が半端じゃない。しかもこの家に住んでいた本人は縁側の雑巾掛けとはやはり掃除を押し付けている。


 僕は棚の埃を吹いたら、次に壁の汚れを取り除いていく。よくよく見て見ると壁はカビだらけだった。最初来た時は一年に一回しか掃除していない割には綺麗だと思ったがやはり汚れや傷みはかなりあった。

 僕はカビ取りを壁に吹きかけ雑巾でこする。だがなかなか落ちない。


「別にそんな細かくやんなくていいよ」


 和正はそういうが僕はこういうのが気になって仕方がない。なんとか消したいものだが木造なため、あまり強くこすっても壁を傷つけるだけだ。仕方がないので消せるものは消してどうしても消えないのは諦めることにした。


 大体終わったところで僕は遠くから壁を見渡した。やはり残った汚れはすごく気になるのだが、でも最初よりは綺麗になってすっきりとした。そして僕は壁伝いに柱に視線が向けて、柱の下の方に傷があることに気づく。

 僕は近くに行ってその傷を見た。すると、よく見たら傷の隣に数字が書いてあった。これってよくおじいちゃんとかが僕の成長を見るときにやっていた身長を壁に記したものだ。

 随分と低い位置から始まっている。

 どうやら、生まれてすぐからつけ始めていたようだ。


「お、これはこれは」

「油さん、台所の掃除は終わったんですか?」

「いや、まだ。ちょっと休憩!」


 彼女は柱に手を触れる。しゃがんで傷の線をそっと指でなぞる。


「これ、五歳で止まってるね」


 確かに五歳で止まってる。

 それ以来はやってないってことだ。せっかく夏に毎年掃除に来ているのだから続ければよかったのに。


「うしゃああああああああああああああああああああああ!」


 和正の喜びの叫びが後ろの縁側から聞こえてくる。多分、終わったのだろう。しかし、そこまで喜ぶことだろうか。


「いやあ腰いてえな。床の雑巾掛けは腰にくるわ」


 和正は油と僕の間に割り込み顔を出す。


「何やってるの?」


 和正は柱の傷を僕たちが見ていたことに気がつく。


「ああ、これ」

「これ、どうして続けてないの」


 僕が思ったことを油さんは和正に質問した。


「これは、特別なものだからな」

「特別なものって?」


 僕は素朴な疑問で聞いた。


「なんでもいいだろ。うちのことなんだから」


 それもそうか。あんまり人の家のことに口出ししてはいけないな。


「じゃあ裕太、次玄関よろしくね!」


 そう言って和正は縁側に戻る。


「私も台所の片付けに戻るね」


 油もそう言って台所に戻って言った。僕は居間を見渡し汚れの見逃しなどがないか確認する。特に目立った見逃しがない。

 僕は玄関へと行く。


ーージャージャージャーーー


 私は書斎で掃除をしていた。狭い個室ながら本が棚に入りきらず床に積まれながら置かれている。私は本の上に被さっている埃を払っていく。


 本はおとぎ話系の本だろうか。表紙の絵のタッチが子供の絵本とよく似ている。

 昔、和正君に読んでいてあげていたものなのかも知れない。

 ふと、本ではないものを私は見つけた。それは布のに包まれたもので箱状のものだった。きっと大切なものだから開けてはいけないんだろうと思いながらも私はそれを手にとって布の結び目をほどき、中に何が入っているのかを確認した。自分でもなんでこんなことをしたのか分からない。ただ、私はこの箱に惹かれてそうしてしまった。


 開けてみると、それは蝉の標本であった。私はびっくりしてしまって標本を落としてしまう。恐る恐る落としてしまった標本を手に取る。直視は正直怖かったので横目で見る。

 アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、エゾゼミ、エゾハルゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、チッチゼミ

 いろんな蝉がいる中で名前があるのに一匹だけ肝心の標本がない蝉があった。


【クマゼミ】


 名前はあるのに標本だけなかった。私は落とした衝撃でなくしてしまったのではないかと辺りを見回す。しかし、見当たらない。だが、このまま探し続けても一向に書斎の掃除が終わらないと思ったので、私は仕方なく蝉の標本をもう一度布で包み元に場所に戻した。

 私はとりあえずクマゼミの標本を探しながら掃除の続きをする。


ーージャージャージャーーー


 僕はやっとの事で玄関の掃除を終え最後の物置の整理に向かう。考えたら僕が物置の整理って大丈夫なのか?物置って一番プライバシーがあるところだ。

 そう、思いながらも僕は物置の部屋に入る。

 中には大量の箱などがあった。


「なあ、和正!物置の整理整頓って何すればいいの!」


 僕はその場で大きな声で和正に問う。


「整理整頓はやっぱいいや。埃とかなんか汚れあったら拭いたりして!」


 じゃあ、最初っからそう言ってくれ。

 僕はなんとなく雑巾で箱の上に乗った埃なんかを拭き取って行く。しかし、すごい箱の量だ。一体何が入ってるんだろう。僕は中身が気になった。でも中身を見るのは流石によしたほうがいいだろう。僕に他の人のプライバシーを除く趣味はない。

 適当に淡々と辺りを拭いたりしていると一冊の本を見つける。僕はそれを拾い中を開く。

 そこには和正の思い出のがぎっしり詰まったたくさんの写真が貼ってあった。これはどうやら和正のアルバムらしい。僕は家族写真に目が止まる。

 そこには小さい頃の和正と和正のお父さんお母さんが写っている。

 僕はその写真を見て一瞬動揺する。

 それは和正のお母さんがすごく油に似ていたからだ。でも、それはきっと僕の考えすぎだろうと思いアルバムを閉じた。とりあえずこのアルバムは近くの箱の上に乗せる。

 僕は掃除の続きを始める。

 しかし、さっき見た写真が気になって仕方がなかった。僕はボーっとしていて近くにあった小さい箱に躓く。バランスを崩し目の前の積まれた木箱に頭をぶつける。


「いててて」


 木箱は固くて頭が割れるかと思った。


ーードサッーー


 何かが上から落ちてきた。それは埃まみれでとても汚れた本だった。きっとこれもアルバムか何かだろう。僕はそう思ってさっきのアルバムを置いたところにこの本を置こうと拾い上げる。

 すると一枚の紙が落ちる。


 僕はそれを拾い上げ、見るとそれは一枚の写真だった。

 そこには一人の女の子が楽しそうに遊んでいるのが写っている。


ーーセミロングヘアーで前髪の両脇の長い髪は三つ編みをしている女の子ーー


 髪型も顔も油そっくりだった。いや、似過ぎている。これはもう同一人物としか考えようがない。

 だが、さっき見た和正のお母さんにもそっくりだ。そう考えると、この写真はきっと和正のお母さんの幼少期の写真だろう。だが、まだ断定はできない。


 僕はアルバムを開いた。


 そこには同じ女の子の写真が貼ってあった。

 何か手がかりのようなものがあるか僕は探す。すると小学生の時の写真だろうか。カメラに向かって満面な笑みでテスト用紙を見せている写真があった。そのテスト用紙に名前が書いてある。


ーー高島向日葵ーー


 それはもう確信に近いものだった。

 つまり、彼女は和正のお母さん。僕は手の震えが止まらない。

 ずいぶん前のことなので、忘れていたが和正のお母さんについて聞いたことがある。


ーーお母さんは五歳の時に亡くなったーー

 

 僕は拾った写真を開いていたアルバムに挟み、さっきのアルバムを置いたところに戻す。そして、なんとなく今まで一緒にいて油が話したことを思い出す。

 

ーー「『いってきます』はそのうち言えなくなる」ーー


ーー「メスも子供の卵を産んだらすぐに死んじゃうんだ。子供の顔も見れずに。これからの成長も見れずに死んじゃうんだよ」ーー


ーー「だって、もう触りたくてもさわれないから」ーー


 そうか、そういうことだったのか。


ーー「私ね、死んだ人間なの」ーー


 僕は知ってしまった。


 居間へと戻る。

 居間には掃除を終えた夏美さんと和正が座っていた。


「おお裕太。どういい感じに綺麗になった?」

「まあ」

「どうしたんだよ浮かない顔して」

「別に、疲れただけだよ」

「そうか」

「油さんは?」

「まだ台所にいるよ。念入りにやってくれてる」


 僕は油のいる台所まで行く。だか何故か台所の扉の前で躊躇した。今この状況で油さんとあって僕はどうすればいいのだろうか。僕は恐る恐る扉を開く。

 そこにはしゃがんで一番下の戸棚の中を見ている油さんがいた。

 彼女は穏やかな表情で戸棚の中を見ていた。


「何見てるんですか?」

「あ、裕太くん!」


 彼女は僕の方に向く。僕はどうすればいいかわからずただ彼女を見ている状態だった。知ってしまった真実を言ったほうがいいのだろうか。


「どうしたの?」

「いや」


 僕は彼女から目をそらした。


「どうして目をそらすの?」

「それは」

「もしかして、ついに本当に私のことが好きになっちゃったとか」

「そんなことあるわけないでしょ」

「じゃあどうして私のこと見てくれないの?」


 僕は喉が詰まる。なんていえばいいのかわからない。


「どったの?」


 和正が僕の後ろにいた。何故かスイカを持っている。


「ここまで送ってくれた親戚のおじさんからスイカもらったんだけど」

「えー!スイカ!」

「切ってもらっていいかな?」

「いいよ!切る切る!」


 和正は油にスイカを渡して居間に戻る。


「ごめん裕太くん!戸棚閉めといて!」


 僕は言われた通り戸棚を閉めようとする。


ーー戸棚の中には子供用のお椀と箸があったーー


 僕はそれを見ながらゆっくりと戸棚の扉を閉めた。

 彼女はまな板と包丁を準備してスイカを切り始める。

 僕はそんな彼女の後ろ姿を横目で見て居間に戻った。


 僕は居間に戻ってスイカが切れるのを待つ。和正が話しかけてきた。


「なあ、明日どうする」

「明日?どうして?」

「だって、ほら明日は特に暇じゃん」

「掃除は?」

「もういいよ!今日、十分やったしょ」

「そんな適当でいいの」

「ああ」

「ああって、一年に一回しか来ないんだろ」

「そうだけど」

「だったらもっと」

「なんだよ。急にやる気出して」

「やる気出したとかそういうんじゃねえよ」

「そっか」


 和正は夏美と顔を合わせる。


「切ったよー!」


 油が四等分に切ったスイカを持ってきた。

 みんなはそれぞれスイカを取る。


「おいしー!」


 油は頬を抑えながらそういった。

 僕は彼女のことを横目で見てる。隣にいるのは和正のお母さんで間違いはない。この異様な状況に僕は戸惑っている。彼女は僕の視線に気がつく。


「さっきは目を合わせてくれなかったのに!そんなにジロジロ私のこと見ちゃって!」

「あ、これは、その」

「ん、何か私に言いたいことがあるの?」

「いや、特にないです」


 ここでは言えない。僕にはそんな勇気はなかった。せめて、二人っきりになったら言えるかもしれない。そうだ、まだ聞かなくても大丈夫だろう。後で、二人っきりになる機会があったら聞こう。そう思った。


「これは最高に水々しいな!」


 そうしいながら和正はスイカをものすごい勢いで食べる。

 夏美も少し微笑んでスイカを一口食べる。

 僕もスイカを一口食べた。すごく甘かった。


「ねえみんなの身長っていくつなの?」

「俺は171センチだよ」

「私は165センチです」

「裕太君は?」

「僕は夏美さんと同じ165センチですよ」

「私は160センチだから私が一番ちっちゃいんだね」


 彼女はなんで急に身長なんて聞いたんだろ。


「なんで身長なんて聞くの?」


 和正も同じことを思ったらしい。僕が思ったことと同じ質問をした。


「それはあの柱の和正君の成長記録の傷を見てなんとなく、みんなは何センチなのかなーって思って」


 僕はそうじゃない気がした。彼女の中で本当は違う意味で聞いたんじゃないかと。

 僕たちはスイカを食べ終わる。


「あ、もうこんな時間」


 油がそういったのを聞いて僕は壁にかけられた時計を見る。


 午後の三時。


 お昼ご飯も食べないで掃除をしていたのか。時間の経過に気づかなかった。


 このあと僕たちはそれぞれ自分たちのしたいことをした。本当にこれでいいのだろうかとも思いながら僕は家から持ってきたライトノベルの小説を寝転んだ体勢で読む。

 そういえばライトノベルの小説は久しぶりに読む。

 最近は油に振り回されていて全く読めていなかった。こんな時だ。久しぶりに本の中の物語に浸って現実逃避をしよう。

 油も今は台所でみんなが食べたスイカの後片付けと夕飯の支度をしている。夏美と和正は二人で高校の時と同じようにイチャコラと何かを話している。


 あれ、なんか高校時代に戻った気分。


 そう思ったのもつかの間、油のことが頭をよぎる。

 小説の文章が全くといっていいほど頭に入ってこない。

 どうしても彼女のことが気になった。


「和正君」


 夏美さんの声だ。


「うわああああああああああ」


 僕は勢いよく読んでいた本をバックの中に押し込んだ。油断していた。と言うかよく考えればこのライトノベルの小説をここで読む僕もどうかしていた。なんで持って来たのか。そもそもよく今、ここで読もうと思ったものだ。気の抜けた自分を攻めたい。


「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」

「ああ、いや僕もごめん」

「ちょっとだけ外に散歩に行かない?」

「うん、いいけど。なんで和正とじゃなくて僕?」

「和正は今、油さんのお手伝いしてるから」

「ああそうなの」

「私も手伝おうと思ったんだけどセミが苦手で」


 なるほどそういうことか。まあ昨日のあれはトラウマレベルだからな。


「うんいいよ、散歩に行くよ」

「ありがとう」


 僕と夏美さんは外に出た。


 太陽は徐々に地面へと近づいていた。空は段々と赤くなっていく。もう直ぐ日が暮れようとしていた。ここは山の中。暗くなると危ないのでそんなに遠くへ行くつもりはない。


 夏美さんは僕の前を歩く。


「ねえ、裕太君って私のことどう思ってるの」


 女性とは自分がどう思われているのか聞くのが好きなのか。油も前にそんな質問をしていたような気がする。


「夏美さんは他の女性とは違っておとなしくて清楚な感じ。それでいて魅力があると人だと思ってるよ」


 夏美さんがクスクスと笑った。


「なんか今の口説き文句みたい」

「い、いやそんなつもりは」

「わかってるよ」


 彼女はニコニコと笑いながらいった。

 僕はこんなことをしていていいのだろうか。


「私ね、すごく幸せなの。みんなと一緒にいれて」

「そっか」


 僕もそれは思っていた。僕もめんどくさいと思いながらなんだかんだいって楽しい。薄々わかっていたことだが彼女とは気があう。彼女の方はどう思っているかわからないけど。


「手、繋いでもいい?」

「い、いいよ」


 僕は彼女と手を繋ぐ。


 彼女の手は冷たかった。何か寂しさを感じさせるような、そんな感じだった。まあ、僕が勝手に妄想したことであって彼女が寂しさがあるのかはわからない。

 今の僕って変態だな。手を握られただけで夏美さんの心情を勝手に妄想するなんて。て言うか、最低な行為だと思う。


 僕と夏美さんはこのあと少し歩いて無言で手を繋いだまま家まで戻った。少し、見合ったりはしたが特にこれといったことは起こしてもいないし起きもしなかった。起きたら起きたで困ってしまうが。


 そして待っていた地獄の夜ご飯。昨日に引き続きセミパラダイスだった。結構グロテスクなのだがなぜ二人は平気なのだろう。

 だって本当にこれ、テレビ番組などで放送したら絶対にモザイクがかかるパターンのやつだ。


「お前!夏美とどっか行ったのか!」


 和正は僕に詰め寄る。


「ちょっと散歩に行っただけだよ」

「裕太君!また浮気!」


 彼女が僕に抱きつく。二人っきりの時は良かったが流石にこれは公開処刑だ。


「もう、離さないぞ!すぐ、他の女のところに行くんだから!」

「だから、散歩だって言ってるじゃないですか!」


 和正がニヤリと笑う。


「ヒュー!お熱いね!」

「うるさい!いい加減に油さんも僕から離れてください!」


 彼女は僕から離れる。


「じゃあ、絶対に浮気しないって約束してね!」

「だから、違いますって。それに僕たち付き合ってないですよね」

「えー!まだ、そんなこと言ってるの!もういい加減認めようよ!」

「認めるもなにも、違いますから!」


 彼女は頬を膨らませてふてくされた。僕は油さんのエプロンに気がつく。


「油さんそれ」

「これ、和正君が貸してくれたんだ。お母さんのだって」


 僕はなんか複雑な気持ちになった。


「やべえ、腹減った。もう食べようぜ」


 和正はいち早くテーブルの前に座る。昨日みたいに油と夏美さんと僕もテーブルを囲むように座った。


「じゃあ、行くよ」


 油が声をかける。


「せーの!」

「いただきます!」


 油と和正は大きな声で言った。僕と夏美さんは控え見に言った。

 こうして始まった楽しい夜ご飯。ワイワイガヤガヤしながら油と和正は目の前にあるご飯を頬張った。相変わらずの食べっぷりを見せる二人。


 僕は平気でこの時間は当たり前に続くと思っていた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。


 ご飯も食べ終わり就寝時間。


「裕太君おやすみ」

「おやすみなさい」


 僕は部屋の電気を消す。


 暗闇の中なんとか寝ようとする僕。でもどうしても寝ることができない。今日は疲れているはずなのにどうしても寝ることができない。

 僕には今迷いがある。このことは言ったほうがいいのか。言うとしても和正と油、どっちに言えばいいのだろう。どっちにもにも言うべきなのだろうか。それとも黙っておくべきなのか。僕にはわからない。

 ただそのことを僕は頭の中で考える。


 何時間が経っただろうか。


 僕は長い時間眠れずにいた。


 流石に考え疲れた僕はもう何も考えないで寝ようとした。


 その時隣で寝ていた油が起きる。


 僕は目をつぶって彼女に寝ていないことがバレないようにする。


 油は部屋から出て和正の五歳までの成長記録が刻まれた柱の前に立つ。


 僕はその様子をバレないように隙間から見ていた。


 彼女は一旦、柱を離れ台所に行く。そして包丁と物差しを持ってきて再び柱の前にたった。


 彼女は下から物差しで長さを測っている。


 そしてある高さまで物差しを持って行くとそこに包丁で傷をつけた。バレないようにか控えめに傷をつけているように見えた。


 彼女は包丁と物差しを片付ける。


 そしてまた柱の前にたった。彼女は柱の今つけた傷を指でなぞる。そしてその柱から後ろに下がって遠くから柱を見る。


 そして彼女は言った。


ーー「和正、大きくなったね」ーー


 油はまぎれもない和正の母親だ。

 僕はその言葉を言って微笑む彼女を見てそう思った。

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