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二日 蝉の戯れ

 僕は全てを忘れていると思った。昨日のことは全て夢であったと。

 しかし彼女はやはり目覚めても目の前にしっかりと僕の目には写っていた。僕の隣に寝ている彼女の生々しさは決して嘘というものを感じさせるものではなかった。

 朝の静けさがより現実を感じさせる。時計をみると朝の六時を指していた。休みだというのにこんなにも朝早く目覚めてしまうとは、多分彼女のせいだろう。昨日は精神的に一番疲れた日だった。あの後、帰ってからも彼女が目の前にいていろんなことを話した。正直、帰った後の内容はそこまでよく覚えていない。

 机に置いてあるスマホから音が聞こえてくる。最初は目覚ましかと思ったが確認してみるとそれは着信であった。こんな時間からいったいだれだと思ったがこのスマホに着信が来るのは一人の男しかいない。


 僕は電話に出る。


「もしもし」

『あれ、起きてたんだ』

「やっぱり和正か」

『やっぱりってなんだよ』

「こんな朝早くから何?」

『ああ、そうそう。今日会える?』

「まあ会えるけど、なんで?」

『いや、実は頼みたいことがあってさ」

「なんだよ頼みたいことって」

『それを会って話したいんだよ』

「何だよ、持ったえぶるなよ」

『別に持ったえぶってなんかいないよ』

「じゃあ、何?」

『実はーー』


「だれと話してるの?」


 後ろから聞こえてきた彼女の声。彼女はむくりと起き上がり目をかきながらあくびをする。僕は慌てて携帯を落としそうになる。


「わわわわわわわわわ!」


 だが、何とか持ちこたえた。彼女にシーっとする。彼女は膝の上に手をおき、犬の待てのようにわざとらしく静かに待つとアピールする。


『どうした?』

「何でもない!何でもない!」

『あ、そう』

「うん」

『さっきの話だけど実は俺、天草に帰るんだよね。それで明後日からの四日間って暇?』

「まあ、空いてるっちゃ空いてるけど」


 僕は後ろを振り返り彼女のことを見る。確かに僕の本来の予定ではこれからの日程上、暇なはずだったが彼女が昨日、現れてから少し事情が変わった。でも、別に彼女がいるからと言って僕に確かな予定が出来たわけではない。正直、彼女とばっかりいるときがおかしくなってしまいそうな気もしたのである意味、和正に会うことで防げるかと思い、彼には暇だと言った。


『よかった、天草の実家の掃除手伝ってほしいんだよね』

「え?ちょっと待って」

『何?』

「僕もお前の実家に行くってこと?」

『そうだよ』


 僕の想定外のことが起きた。僕はさっき暇だと言ったことを後悔する。


「いやいやいや」

『何だよ』

「それは無理」

『何でだよ、暇なんだろ』

「そうだけど、色々あって遠出は」

『何だよそれ。交通費とかなら大丈夫だぞ。俺が出すから』

「いや、そう言う問題じゃなくて」

『とにかく今日、会って話そう』

「ちょっと」

『じゃあ、ミーアス高尾で』

「待っ」

 

 電話が切られる。彼は昔から変わらず一方的な対応。昨日に引き続き突然起こる出来事に僕はどうすればいいかわからなくなって来る。でも行かないと後々めんどくさいことになる。僕は彼と長い付き合いで彼との約束を破るとどうなるかということは知っている。基本的に彼との約束は彼が強制的に持ち込むものなのだが破ると本当にめんどくさいことをされる。


「今の電話お友達?」 


 彼女が僕に聞いて来る。


「そうです」

「あー!また敬語!」


 彼女は僕のことを指差して言った。正直な話、タメ口で話すのは僕にとって体力のいることなのだ。コミュ障の人ならきっと分かってくれるはず。多分。


「僕ちょっと今日は出掛けるのでおとなしくここで留守番してもらいます」

「やだ!私も行く!」


 まるで駄々をこねる子どものように言ってきた。留守番もできないとなると彼女の精神年齢は相当低いものだと僕は捉える。


「ダメですよ」

「なんで?」


 逆にこちらがなんでと聞きたい。なんでそんなに僕について来たがるのだ。別に何か面白いことがあるとは限らないと言うのに。


 彼女は純粋な子供のように首をかしげる。これは説明してやらないとダメだ。


「それはもし」


 だが、僕はこれ以上先のことをいうのを躊躇った。あまり喋りずぎると返って彼女が興味を持って僕についてくると思ったからだ。


「もし?」


 僕の言葉をなぞって聞いてくる彼女は何もわかってない。僕が今どれだけ頭を悩ませているのか。


「もしかして私といるのが恥ずかしいの?」


 今の僕は全くそうではない。単純について来て欲しくないだけだ。


 すると突然、彼女は僕を後ろから抱きしめた。この状況は僕の純粋な心をかき回す。完全にしてやられた。完全に捉えられたのだ。僕の中では、またライトノベルで読んだようなシチュエーションが頭に浮かんだ。密室の中で女性と二人体を寄せ合っている。不最初に会った時よりは慣れてきた。でもやはり女性に抱かれるのは物凄くドキドキすることであって心臓の音だけが僕の体に響いていた。


「どうして?」


 僕の耳元に彼女の吐息を感じた。彼女は僕の耳元に直接語りかけてきたのだ。流石にこれは耐えられない。あまりの同様と恥ずかしさに「ふぇぇ」と、だらしない僕の声がコップの水が溢れるように出てくる。僕はこう言った状況の収集の仕方を知らない。彼女は僕の心理を食らうように有利な立場になってしまった。


「私も行きたい」


 彼女はまた僕の耳元で囁く。彼女の甘い吐息が僕の耳元で溶けていった。もう限界が来た僕。


「わかりましたよ」

「やった!」


 喜んで彼女はその場で飛び跳ねる。僕は完全に敗北した。しかし、彼女のことが和正に知られたら絶対にめんどくさいことになる。だから連れて行きたくないと言うのに。でもよくよく考えてみると家に残してお母さんに見つかったりするのもまためんどくさいことになる。と言うかこの家にいられなくなる。これはこれで良い選択肢だったのかもしれないとポジティブに考えるしかない。


 敗北感とこれからの不安を背負いながら僕は出掛ける支度をする。彼女もまた昨日買った服に着替え・・・・・・。

 僕はなるべく彼女の着替えを見ないように自分の身支度に集中する。


「裕太!朝ごはんよ!」


 お母さんの声が下から聞こえて来た。

 部屋の時計の針は七時を指していた。僕は彼女に「待っててください」といって僕は昨日と同じように彼女を部屋に残しキッチンに向かう。

 キッチンのテーブルにはいつもの朝食である味噌汁とご飯が並んでいた。


「今日はちゃんと起きて来たのね」


 僕はテーブルの席に座る。リビングのソファーに座っていたお父さんもキッチンに来て僕の前に座る。


「毎日こうだったらいいんだけどな」


 お父さんは僕の心に釘を刺すようなことを言ってくる。だから嫌なのだ。続けて色々と僕のことをお父さんは話して来たけれど僕は全部受け流すように聞き流して頷いたりするだけ。

 もうこれが僕とお父さんとの会話。

 普通の人が見たら中の悪い親子のように感じるが別に僕はお父さんと仲が悪いわけではない。嫌いだと言うのも少し違う。

 ただめんどくさい。当たり前のことを当たり前のように言ってくる。僕が当たり前のことが出来ていないから言うのだが僕は分かってやっていない。だってそれが僕の中にもう定着してしまってるからだ。

 そんなこんなだが、僕は今日もお母さんのご飯を食べ、味噌汁をすする。


「今日のご飯の感想は?」


 お母さんはいつものように聞いてきた。必ず聞いてくる。別に毎日食べてるのだから感想なんていつも一緒だ。それに食べれれば僕はなんでもいいと思っているから別にそう言ったことには全く意識を向けて味覚を働かせていない。


「うん、美味しいよ」


 僕はいつも通りに感想を言う。それしか言うことがない。


「後、今日出かけるから」

「どこに行くんだ?」


 お父さんが聞いて来た。もう僕は大学生だと言うのになんでいちいちそんなことを聞かれなきゃいけないのかわからない。正直、こう言ったのを聞かれるとプライバシーを覗こうとされているようでイライラする。


「色々」


 だから僕は適当に答える。僕は朝食を完食した。


「ごちそうさま」


 僕はそう言って二階に戻ろうとする


「おい、皿を洗いなさい」


 これもまただ。ご飯を食べ終わるごとに言われる。僕は今日も言われたことを無視して自分の部屋に戻る。


 彼女が部屋で待っていた。着替え終わった彼女はベットに座っていた。


「もう、お出かけできるよ」


 そりゃ、ただ着替えるだけですからね。僕もさっき準備を済ませており、いつでもいける状態だった。


「うん、じゃあ行こうか」

「やっと、心開いてくれた」

「え?」

「なんでもない」


 彼女は嬉しそうに僕の腕を掴む。ニコニコしながら僕の顔を見て。

 僕は気がついた。今、僕は彼女に対して敬語じゃなかった。また名前を言った時のように無意識に僕は彼女に対して友好的に接してしまった。でも、意識したら多分無理だ。


「行こ!」


 僕は彼女に引っ張られるがままに部屋から出た。昨日は慎重に出た部屋も何事もなかったように勢いだけで出てしまった。僕はお父さんとお母さんに見つからないか、すごく不安になったがそれも数秒、玄関まできてしまえば不安は消えた。

 僕は何も言わずこっそりと玄関から出る。


 今日も暑い日差しが照りつける。眩しく強い日差しが肌に当たって痛みさえも感じさせた。まだ朝だっていうのにまるで昼間のような暑さ。どうして夏ってこうも暑いんだろう。

 彼女はくるりと家の方に振り返る。そして大きく息を吸って


「いってきまああああああああああす!!!!」


 無意識に僕は反射的に彼女の口を抑えにかかる。彼女は何を考えているんだ。折角バレずに家から出ることが出来たのにここでバレたら終わりじゃないか。


「いきなりなんてことするんだ!」


 僕は叱るように彼女に言った。彼女の行動がまるで理解できない。僕は身体中に変な汗が溢れ出る。僕は家族に彼女を知られたくない一心でいるのに彼女は全く僕の気持ちを汲み取ってくれない。


「んん!」


 彼女は僕の手の中で必死に何かを言っている。ていうかこの状況って結構やばくないか。我に返った僕はそう思ってすかさず彼女の口から手を離した。


「ぷは」

「びっくりするじゃないですか!」

「いやー女の子を襲うなんて、裕太くんすごく男らしくなったね!」

「襲ってないし!」


 僕は身体中がマグマに包まれたような感覚だった。もう頭から火が出そうなぐらい恥ずかしくて僕は走って叫びたくなった。それなのに彼女は僕のことを見てニコニコしている。何がそんなに楽しいのか全くわからない。僕がこんなに恥ずかしがってるのがそんなに楽しいのか。


「裕太くんはいってきますって言わないの?」

「何で?」

「だって、家を出る時に言うのは当たり前のことだよ?」


 確かに当たり前のことだ。だからなんだ。出かけるのだってこの辺なんだし別に言わなくてもいいじゃないか。彼女も僕の親と同じことをいう。僕の親も当たり前のことは当たり前に家という。当たり前のことだからって何なんだよ。

 それに今は彼女がいるせいで言えないってこともある。


「ほら、一緒に言おう!」

「いいよ。言わなくて」


 僕は歩く。

 足早に。


「ちょっと!」


 彼女は僕を追いかけてくる。早く家から離れたい。暑いしめんどくさいしとにかく離れたい。彼女は隣で「何で言わないの?」を連呼してくる。それを聞いてる僕はだんだんイライラしてくる。逆に何で言わなきゃいけないんだ。と言うか何でこんな目に僕が合わなきゃいけないんだ。何でこんな事言われなきゃいけないんだ。感じているイライラにはいろいろなものが混ざり合っていた。でもそのイライラは彼女に伝わっていないらしく体を左右に動かしたり僕を見ながら僕の前を歩いたりとおちょくっているのか楽しんですのかそれともどちらともなのか、とにかく僕にちょっかいを出したがる。


「そう言えば友達ってどんな人」

「あなたみたいにいつもニコニコしてるような人です」

「へー、気が合いそう!名前は?」

「和正」

「すごい!」


 彼女は手を口に当てて喜んだ。なぜ喜んでいるのか、何がすごいのかわからない。別にキラキラネームでもないし珍しい名前でもないと思うけど。しかし、今名前を聞いたってことはもしかして会う気なのかもしれない。なんだか背筋が凍るような感覚に襲われる。


 僕たちはミーアス高尾を目指すために歩き出す。僕は彼女に歩きながらショッピングモールでの行動を指摘する。


「油さんは会っちゃダメですよ」

「何でー!」


 ガーンという効果音が聞こえてくるのではないかというぐらい彼女は大きくリアクションをする。


「だって彼女だって思われたら困るし、後々めんどくさいし」

「いいじゃん!私達!カップル!」


 まだその話は続いていたのか。というか何でそうなるのかが全く分からない。本当に意味不明。最初会った時は可愛いと思ってたけど、なんか彼女のことを見ていたらイライラがするようになっていた。 


「とにかくダメです!どっかに隠れてて」

「分かったでござる!ミンミン!」


ーー人が苦労してなんとかしようとしているのにふざけやがって・・・・・・。


 彼女は忍者?蝉?の真似をする。最初にあったときにこのモノマネをやられたら僕は可愛いと思っただろう。だが、今際全く思わない。というかイラッときた。彼女がいることによって僕が抱えている問題を彼女自身、何も分かっていない。それに最初あった時はこんなキャラじゃなかったのにどうしてこうなったんだろ。最初はもっとこう清楚な感じで・・・・・・いやそうでもなかったような気がする。だって大胆に人の服借りてたし、大胆に人の上で寝てたし。やっぱり最初から清楚な感じは見た目だけか。


「なんか、怒ってる?」

「別に怒ってないですよ」

「いや、その顔は怒ってる!」

「ちょこっとだけ」

「怒らないでよ!もう!」

「じゃあ、僕のことを考えてください」

「えー。私、裕太君のこと考えてると思うけどな」

「それはどういう意味での考えてるですか」

「どういうって私に裕太君のことを告白させようかとか!きゃー!」


 彼女は照れ隠しに顔を隠して首を横にふる。そんなバカバカしいことに付き合ってられるか。


「もう!怒らないでって!」

「じゃあ、静かにしてください」

「わかりました!」


 彼女は僕の言うことを聞いて黙る。だが、視線はずっと僕に向けたまま。

 

 そうこうしているうちに着いてしまった。そう言えば和正はミーアス高尾と言っただけで詳しい待ち合わせ場所は言っていなかった。僕は中に入る前に詳しい待ち合わせ場所を聞くため、和正に電話する。


「もしもし」

『裕太、どうした?』

「いや、詳しい待ち合わせの場所聞いてなかったから」

『ああ、ごめんごめん。今、くしかつ新宿さば店にいる」

「分かった」

『夏美と一緒にいるから』

「なんで夏美さんと一緒にいるの?」

『だって夏美にも手伝ってもらうから』

「自分の彼女にまで自分の実家の掃除をさせるのかよ」

『彼女だからこそさせるんだろ』

「お前最低だな」

『使える親友と彼女は有効活用しないと、ハハハ!』

「本当に悪魔だな。ていうか僕とお前は親友っていうか幼馴染だろ」

『そんな、細かいこと気にするなよ。どっちも同じだろ』

「いや、違うだろ」

『んっじゃ、待ってるから』


 電話が切られる。和正は相変わらず能天気で行動が強制的で一方的な人間だ。僕は辺りを見回す。彼女の姿が見当たらない。遠くの方を見ると彼女が駐車場の植木に向かって何やらニコニコとしながら何かに話している。僕は彼女の方に歩く。


ーージリジリジリーー

「ミーンミーンミーン」

ーージリジリジリーー

「ミーンミーンミーン」

ーージリジリジリーー

「ミーンミーンミーン?」

ーージリリリリーー

「ミミミミミン!」


 彼女は側から見たらかなりヤバイ人だ。木にとまっている蝉と楽しそうにおしゃべりしている。でもなんか通じてそうで通じてない感じがする。楽しそうにしているところ申し訳ないが僕は彼女に声をかけた。


「何やってるの?」

「蝉とおしゃべり」

「蝉の気持ちがわかるんですか?」

「だって、昨日行ったでしょ!私は蝉の妖精だって」


 確かに昨日そんなことをここで行っていた。彼女は本当に蝉の妖精なんだろうか。あの時はもうなんか適当に彼女は蝉の妖精ということで理解した感じがあったけど本当にそうなのだろうか。


 僕は昨日みたいにまた彼女のことが気になった。彼女がどうして僕の部屋に突然現れたのか、彼女は一体何者なのか、一体どんな目的があって僕と一緒にいるのか。


 本当にわからない。彼女のことは本当にわからない


「ん?」


 彼女は後ろに手を組み体を斜めにして僕の顔を覗き込んだ。


「また私のこと考えてる?」


 僕はまた熱くなった。さっきの彼女の口を押さえた後ほどではなかったがやはり彼女のことを考えている自分が恥ずかしかった。しかも、それを彼女から指摘されるのは本当に。


「い、行きましょう!」


 そう言って僕は彼女の手を引く。僕は彼女の手を掴みながらショッピングモールの中へと入った。側から見たらもしかしたらカップルのように見えるかもしれない。僕に引かれる彼女はニコリと笑いながらずっと僕の方を見ていた。


 そして彼女の手を引いてずっと歩き続ける僕。


 僕はいつの間にか彼女の手を引きながら夢中で歩いていた。どうしてこんなに夢中で歩いてるんだろう。僕は彼女のことを握る自分の手がとてもしっかりと彼女の腕を握っていることに気がつく。

 僕は別にそういうつもりはない。


 そんな気持ちはないということを自分に言い聞かせるために目的地に向かって夢中で歩き続けた。


 そして僕は和正がいるところまで彼女を引っ張って連れてきてしまった。これは自分の意思でやってしまったことだから彼女のことを責めることは出来ない。


「私、隠れてなくてよかったの?」

「もういいよ」


 もうどうにでもなれと思うしかなかった。僕は渋々店の中に入る。


「おーい!」


 僕はその声が聞こえた方を向く。和正が手を振って居場所を伝えている。そこには隣に座っている夏美の姿も見えた。僕は油の手を引いて二人の元へと向かう。

 二人の元に来て、席に座ると当然の如く和正が驚く。夏美さんはそこまで驚いた様子はなくいつものように静かな感じでいた。


「お前、いつの間に」

「別に彼女とはそういうんじゃないんだ」


 僕は油を見る。油はただニコニコとしているだけ。


「嘘つけ、さっきここに来るときに手を繋いでただろ」


 確かに。これは言い訳できない。僕はさっきの行いが自分の首を絞めることに気づくべきだったのに気づかなかった過去の自分を恨んだ。


「それは」


 それでも何処かで足掻こうとする僕。


「そうなんです。私達付き合っているんです。でも、裕太くんは恥ずかしがってて」


 彼女がもう、そう言ってしまった。お願いだからこれ以上話がややこしいことになりませんようにと全力で仏様神様に願う。誰でもいいから彼女を止めてください。


「おいおい、そうなのか」

「でも、ちゃんと私たち相思相愛してるんですよ!」


 彼女は相思相愛という言葉をしっかりと辞書で調べた方がいい。だが、こうなったら仕方がない。僕はなんとか話題を変えようとする。


「そういえば、さっき蝉と話してましたよね。何話してたんですか?」


 僕は油にさっき蝉としてた会話の内容を聞いた。和正と夏美にはなんのことだかわからないと思うがここは致し方がない。僕は必死で話題を変えるために油に質問をした。そのとき店員さんが僕たちに水を持ってきた。僕は目の前に出された水を手に取り、それを飲みながら彼女の話を聞く。


「それはですね!あの蝉さん、元気がなかったのでどうしたんですかって聞いたら交尾をした後みたいで」


 僕は口に含んだお冷やを勢いよく吹く。明らかに質問を間違えた。もっとよく考えて彼女に問いかけるべきだった。それを見てなぜか爆笑する和正。夏美は少し苦笑いした。夏美さんには申し訳ないことをしたと心の中で謝罪する。


「お前ら面白いな!」

「何も面白くないよ」


 僕は少し怒りながら言ったつもりだが、和正は面白がったまま。


「まあ、いいや。それで俺の天草の実家の話なんだけど」

「天草!すごい!」


 油がものすごい天草という単語に食いつく。そして一体何がすごいのか。


「あ、そういえば裕太の彼女さんの名前聞いてなかった」

「私、奇跡油って言います」

「油さんっていうんだ。変わった名前だね。俺は高島和正って言います。で、こっちが俺の彼女の花南夏美」


 夏美は軽く会釈をする。


「よろしくお願いします!」

「こちらこそ!よろしく!」


 油と和正、この二人なんかすごい気が合いそうだ。よくよく考えたらいつも笑ってたりするのとか俺にちょっかい出すのとかすごい似てるし。


「しかし、天草かー」


 油はまるで昔のことを思い出すかのようにその単語を呟いた。彼女は天草のことを知っているのだろうか。適当になんとなくない思い出に吹けているのだろうか。


「油さんも来ます?」


 こいつは何言ってんだと僕は思った。だって和正にとっては見ず知らずの人間のはず。僕にとってもだけど。なのに平然と自分の実家の掃除に誘うとはかなりヤバイやつだ。ていうか僕の周りには今やばい奴しかいない。もちろんそれは夏美さんを除いて。

 しかも自分の彼女がいるのに他の女を自分の実家に招き入れるとか正気の沙汰ではない。


「やったー!行きます!行きます!」


 和正の誘いを軽々と了承し喜ぶ油。もう少し気を使うことができないのか。最初僕と出会ってご飯を食べたときは気を使って安いのを注文してくれた時のように出来ないのか。だって夏美さんだっているわけだしさ。もっとこう周りの見える人になろうよと僕は油と和正を見て思った。


「んっじゃ、四人で行こう!」


 結局そうなるんですね。僕はもう呆れた。夏美さんは別に不快な思いを要るわけでもなく二人を見て笑っていた。まあ、これはこれで良かったのかもしてない。


「よっしゃー!俺が全部奢ってやるぜ!」


 和正はかなり盛り上がっていた。


「やったー!」


 油も盛り上がる。盛り上がっているのは二人だけだ。何でこの二人がこんなに盛り上がってるのかよくわからない。


「それで、話は?」


 僕は和正に聞いたが盛り上がって聞いていない。一体なんのために顔を合わせたのかこれじゃあ分からない。仕方がないので落ち着きを取り戻すまで待つしかない。彼は店のインターホンを押し店員を呼ぶ。店員がくると油と和正はすごい勢いで色々と注文をする。夏美さんと僕はちょっと軽食程度の物を頼む。

 そして和正と油はものすごい勢いでテーブルの上に出された豪勢な食事を猛獣のように食らいつく。

 僕と夏美さんはその光景を見て唖然とするしかない。その時夏美さんと目が合う。僕も夏美さんも照れながら会釈する。


 食事は終わり、和正が話の続きをすると思ったらさっさとお会計を済ませにレジに向かってしまう。そんな彼を全力で僕は止めにかかる。


「おい!話は!」

「もう、いいでしょ」

「いや!おかしいでしょ!何もわからないんだけど!」

「行くってことだけわかればいいじゃん!」

「いいわけないでしょ!」


 僕は和正に突っ込むが「いいんだぜ!」と言ってグーを俺に向けてポーズをしてレジに向かう。そしてお会計を済ませてしまった。


「んじゃ、今日はチケットの追加とかあるからまた明後日」


 これじゃあ結局何しにここにきたのか分からない。というか、いつの間にか僕も行くことが決まっていた。まだ一言も行くと言っていないのに。まぁ、こんなことになるだろうと思っていた。僕はとんでもない幼馴染を持ってしまったと後悔をする。


 夏美さんと和正とはこの店で別れた。

 また、僕と彼女の二人っきりになってしまう。


「見てー!何これ!」


 彼女がそう言って僕の裾を引っ張る。彼女が指差す先には雑貨店の棚に書けられているはキーホルダーがあった。


「セミコロンだって!可愛い」


 彼女の持っていたキーホルダーは蝉の形をしていた。蝉のマスコットキャラクターらしい。彼女はこれを買ってとせがんで来た。


「彼氏が彼女に何か買うのは当たり前だよ」

「どんな当たり前だよ!それにいつ僕があなたの彼氏になったんだよ!」


 彼女に僕は反論するが僕の口論スキルが足りず、押し負けてしまい結局買わされてしまった。でも彼女の嬉しそうな顔を見て悪い気分にはならなかった。


 道ゆく人がスローもうションになる。これは昨日もあった現象だ。僕は昨日からおかしい。また異世界のような空間にいる感覚になる。


ーーカンカンカンーー


 私には今、踏切の音が聞こえたような気がした。

 私にとって踏切の音は嫌な音だ。思い出したくないことを思い出させる。


「どうした?夏美」

「うんん。何でもない」


 和正は不思議そうに私を見た。

 私は和正と手を繋ぐ。


「裕太くんの彼女さん、元気な人だったね」

「そうだな」


 私がこうしていられるのも和正のおかげ。

 もし、和正が救ってくれなかったら私は今頃死んでいたのかもしてない。

 私は今だに和正以外の男性と話せない。それは過去に起きた出来事にあるから。


「お前もそろそろ裕太とぐらい話して見たらどうだ」


 裕太くんは確かにいい人。私も裕太くんぐらいだったら話せるんじゃないかってなんども話しかけようとした事だってあった。でも、やっぱり和正としか話すことができない。男が怖いとかじゃない。人と関わる上での怖さでいうなら女性の方が怖いと思っている。ただ、私の心が男性を受け付けないのだ。

 唯一この世界で心を許せる男性は和正一人だけ。

 私はどうしてもダメなのだ。


「天草に行ったら裕太くんと話してみる」


ーーガタンゴトンガタンゴトンーー


 それはまるで誰かの記憶か入ってきたように僕は誰かの思い出を見ていた気がする。

 彼女が僕を不思議そうな目で見た。


「どうしたの?」

「なんでもないですよ」

「でも、今なんかボーとしてたよ」

「僕はいつもボーとしてますよ」


 彼女は首を傾げた。


「そっか。まあ、いいや。それよりちょっと話したいことがあるんだけど」

「何ですか」

「真剣な話」


 そういって彼女は僕の腕を引っ張って近くのベンチまで連れて行き、座らせた。彼女も僕の横に座る。


「これ、すごく重要な質問ね。何で『いってきます』って朝、言わなかったの?」

「それは別に遠出するわけではなかったですし、そもそも油さんがいたからですよ」

「何で私がいるから言わないの?」

「親にバレたら何言われるかわからないし」


 顎に人差し指を置いて彼女は少し考える。


「まあ、考えてみればそうか」

「そうですよ」

「でも、言わなきゃダメだよ」

「やっぱり、油さんまで親みたいなこと言う」

「裕太くんは『いってきます』の言葉の大切さがわかってない」


 彼女は真剣な目つきで僕のことを見つめている。今までとは違ったまるで生徒をしつける先生のような表情をしていた。


「『いってきます』ってね。すごく有難い言葉なんだよ」

「何ですか急に」

「真剣に聞いて」


 彼女は僕の顔を抑えて自分の顔だけを見るように僕の顔を固定した。


「いい、裕太君。『いってきます』って言葉は送り出してくれる人がいるからこそ言える言葉なの」


 僕はその言葉を聞いてもこの時はあまり深く考えることは出来なかった。


「『いってきます』はそのうち言えなくなる」

「そのうちっていつのことですか」


 僕は適当に彼女の言葉に対して質問をした。


「死ぬときに近い時よ」

「死ぬときなんてどの言葉も言えなくなると思うんですが」

「わかった。私の言葉が間違ってた。そうね・・・・・・。愛する人が周りにいなくなったときっていったらわかるかな」


 僕は黙る。僕には彼女が何を言いたいのかわからない。


「とにかく、今、当たり前に言えることは言っておかないと損するの。だから、しっかりと言いなさい」


 彼女は僕の目を見てゆっくりと大切なことだから聞き逃すなと言わんばかりに言った。僕は何となくわかったと答える。


「よし!じゃあ帰ろうか!」


 彼女は僕にとっては彼女の通常の状態に戻った。


「あっ!家に帰った時はきちんと『ただいま』って言わないとダメだからね!これも『いってきます』と同じぐらい大切な言葉なんだから!」

「はい。わかりました」


 僕は彼女にただいまということを誓った。家に帰るまでに覚えてればの話だが。


「私、ちゃんと見張ってるから!」


 はあ。めんどくさいことになったものだ。これをいつまで付き合わされるのか。本当かどうかは知らないが少なくとも彼女はここには一週間しかいられないと言っていた。それまでは確実に付き合わされる。

 僕は足取りを重くして彼女と一緒に自分の家に帰った。

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