プロローグ 蝉の八月
風で靡くカーテンが暑い日差しをチラホラと教室に取り込ませる。教室には椅子に座り恋愛系のライトノベルを読んでいる僕がいた。
周りの人間に知られるのが恥ずかしく本の表紙には無地のカバーをしている。
教室には僕一人。
「僕もこんな恋したいな」
そんなことを呟きながら外を眺める。
僕はどこにでもいるような男。小説や漫画やアニメ、映画で言うとよく冴えない主人公として挙げられる人間だ。そんな主人公はふと突然目の前に女の子が現れたりする。
僕にもそんな青春が夢でもいいから訪れてほしいと思った。しかも僕のクラスで周りに彼女がいない男子って僕だけだったから余計にその感情は強かった。でも、僕の青春にそんなことは起こらなかった。当たり前と言えば当たり前だ。そんなことはあり得ない。だから今年の夏もそんな日常が平然と過ぎ去って行く。
ーージリジリジリーー
油がフライパンの上で跳ねるような鳴き声。
蝉の声が教室の中まで響いてくる。
ふと蝉の鳴き声を聞いて僕は思った。蝉は何故鳴くんだろう。鳴いたところで何があると言うのだ。何かで調べた事がある。蝉の寿命は本当は一ヶ月ぐらいある。しかし、成虫になって一週間しか生きる事ができない。
それは何故かと言うと鳴き続けているからだ。それで体力を消耗し、寿命が尽きる。
つまり、蝉たちは自分の命を削ってまで鳴き続けると言う事。そんなことをして一体何の意味があるというのだ。
「それはな、女の気を引くためだ」
突如、上から声が聞こえて来た。見上げるとそこには幼馴染の和正がいた。
彼の名前は高島和正。僕の幼馴染で小学校の時からずっと一緒にいるやつだ。学校ではいつもクラスメイトに笑顔を振りまいている。僕とは違っていつも前向きな考え方で物事を捉えている。もし、誰かが落ち込んでいたらすぐに相談に乗ったりしていて俗に言うお人好しだ。もっと仲のいい奴もいるだろうに何故か僕に構ってくる。まあ、彼とは昔からの付き合いだし、当たり前といったら当たり前なのかも知れないけど。
「何だよ」
「何だよじゃないだろ。でっかい独り言つぶやいてさ」
「聞こえてたのかよ!」
「それはもう教室の端まで」
「それはないだろ。どうせ隣で聞いてただけなんだろ」
「まあな、だってお前の独り言って詩人みたいで面白いじゃん」
こいつは毎回こんな風に俺に突っかかってくる。しかし、何でこいつは常時ニコニコしてるんだよ。正直うざい。
「お前、僕より仲のいいやついるだろ」
「だから?」
「別に僕なんかと」
「お前、そんなんだから友達できないんだよ」
悪かったな、友達がいなくて。
そうだ、僕には友達がいない。と言うか作ろうとも思ったことはない。別にいじめられているとかそう言う訳ではないが、何と言うか人と関わることがあまり得意ではないのだ。
いや、正確にはめんどくさいって言った方が正しいのかも知れない。そんなんだから友達や彼女ができないことぐらい自分にもわかってる。
そんなことは分かってるんだ。
「和正君」
教室の扉の前で待っている女子がいた。
彼女は中学二年ぐらいから和正とずっと一緒にいる。でも、僕はあまり話したことがない。名前は花南夏美。彼女も僕と同じく普段はあまり人とは接せずいつも本ばかり読んでいる清楚な女性だ。でも多分彼女が読んでいるのは文学誌とかそう言った教科書とかに載っている難しい本に違いない。だって僕みたいにライトノベルで妄想ばかりしているような人には見えない。
彼女の少し茶髪がかった綺麗な長髪が窓から入って来た風で靡く。
少しドキッとしてしまった。いかいかん、彼女は和正の彼女なんだ。そんな恋心のようなものは一瞬たりとも感じてはいけない。
「おお、夏美」
「和正君。私、先に行くね」
「うん、すぐ行くから」
彼女はそう言っていなくなる。
はいはい、いいですね。まるで絵に描いたような青春を送ってらっしゃいますね。僕だってね、コミュ力があればそんな青春がしたかったですよ。もう三年の夏だけど。今更こんなこと言ってももう遅いけど。
「んじゃまあ俺行くわ」
どうぞ、彼女のとこへ。和正は走って彼女の後を追いかける。教室には俺一人。外では運動部が汗を流している。
どうせ今年の夏休みも特に何事もなく終わるんだろうな。
ーージリジリジリジリーー
ーーミーンミーンミーンーー
ーーツクツクボーシツクツクボーシーー
ーーカンカンカンカンーー
ーーガタンゴトンガタンゴトンーー
ーーポチャンーー