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エンチュのくまのゆめ  作者: でうく
7/7

めざめ

―――天津麻羅が憶えている夢の内容は、ここ迄である。



この夢から目が覚めた時は決って涙が頬を濡らしており、自分の意思では其を止める事が出来ない。眼帯の下の疼きも酷く、目覚めとしてはいつも、良い方ではないのだった。

「・・・・・・・・・・」

「―――あ、起きた?」

ギュキ。車椅子に乗った、彼と同じ黒衣(くろご)衣装の娘に声を掛けられる。―――もう、交替の刻か、と天津麻羅は頭を(もた)げる。

「―――お早・・・」

「起してごめんね?でも之、すごくない?流石は思兼神(オモヒカネノカミ)さまの御宅だと思わない?」

娘は興奮醒め()らぬ表情で前へ後ろへ、車椅子を操作してみせる。天津麻羅は寝ていた畳に腰を掛け、嬉しそうな笑みを浮べた。


「良かったですね、蛭子(ヒルコ)


・・・この男はいつだって、他者に起った出来事を自身の事の様に受け止める。今回も叉、娘の歓びを当事者と同じ割合で共有するのだった。

「思兼神に、後程御礼を云っておかねば」

思兼神とは、岩屋戸の件で接触があり(天津麻羅が一方的に、心理的に)随分と身近な存在となった。彼は思兼神を好いている。

と云うのも、この娘が、対面する以前より思兼に憧憬を懐いており、名を繰り返された影響もあるかも知れまいが。

出自も能力も弱き者に対する何心無い宛がいも、一見非の打ち所が無い思兼を評価する天津麻羅の構成員は多い。

・・・・・・本当はもう、いつ逢えるのも知れぬのやが

「―――大丈夫?」

―――天津麻羅の微笑みに、蛭子と呼ばれた娘は何故か問う。え・・・と天津麻羅は訊き返した。水滴が一粒落ちる。

青の眼から流れる透明の涙は、未だ止ってはいなかった。

天津麻羅から笑顔が消える。只管不思議そうに、掌で粒となった涙を受け止めていた。・・・手首を伝い、肘の先まで粒は流れる。


「・・・・・・偶にあるよね、そういう事」


蛭子は目を細めて云った。



天津麻羅(ここ)に居る神は皆そう。何かを失って、その“何か”が判らなくて苦しんでいる。いっそもうその夢の記憶ごと、金屋子神(カナヤコノカミ)さまに御願いして消して貰ったら。どうせ、天津麻羅(ここ)に入る時に其迄の記憶は消されているのだから」



無理矢理にではない。天津麻羅に所属する者達は皆、自らの記憶を自らの意思で破棄して入団してきた。元来はもう、思い出したくない記憶の筈だ。

―――(ふいご)を一斉に踏む騒騒しい音が聞えてきた。

「―――まだ休んでいたがいいかも。代ろうか?」

「いえ・・・」

交替時間が終り、仕事が再開したのだ。踏鞴(たたら)製鉄は24時間体制で行なわれており、所謂歯車である彼等は交替制で持場を担当する。天津麻羅は仮眠を摂っており、先程その哀しい眠りから目覚めた(ばかり)だった。

「有り難きお言葉。併し、鞴の方に迄お願いする訳にもいきませぬ」

天津麻羅は立ち上がる。哀しみを(ひた)隠して、否、哀しみの感情や涙の意味さえ忘れて仕舞ったかの様に()(さら)な笑顔を浮べていた。

蛭子が彼に代るかの如く、哀しみの表情で見送らんとす。その顔も何かがすっぽりと抜け落ちて仕舞ったかの様。

「嗚呼どうか、その様な哀しい表情(かお)をしないでください―――・・・私は、哀しくて涙が出る訳ではないのです」

天津麻羅は蛭子を振り返り、表情を微かに曇らせた。蛭子の頬に手を添えて、分厚い眼帯を巻いた額を、彼女の額にくっつける。

「只―――この様な欠陥のある私でも、受け容れて戴ける環境がある事に感謝して―――・・・」

蛭子は天津麻羅の柔かな髪に触れ、手を左右に動かす。・・・まるで、夢に出てきた熊の姉弟の様であった。


「・・・・・・どんな夢を見たのかは判らないけれど、貴方は貴方だよ。だから安心して。天津麻羅は皆、家族だから」

「有り難き―――・・・倖せ」


―――襖障子が左へ滑り、かたんと静かに木枠に触れる。蛭子は畳に忘れ去られた杖に気づいて車椅子を動かす。

狭い間を慣れぬ操作で漸く縫って、杖に届く位置まで進むと、遂に掴んで両手で抱いた。

当人は意識していない様だが、頑なにと云える程に、彼は杖を使おうとしない。金斗雲を乗り(こな)すのにも、随分と時間が掛った方だ。乗るという発想が先ず無いのだから。

片脚が上がらず引き摺っていても、転んで立ち上がる事が出来なくても、何かを利用する事も思わず唯前へ進み続ける。這って、跪いて水を啜り、其が泥水であったとしても。同じ様に、誰にも頼らず、日日を当然と全く思う事無く彼は常に感謝して生きる。毎日を、その日一日一日の記憶と決別するかの如く。彼の記憶が抜け落ちているのは、何も遠い過去だけではないのだろう。

若しかしたら、彼は毎日死んでいるのかも知れない。



「―――金錬人(かねりと)―――・・・」



同僚がいつか心を取り戻せる日が来ん事を、蛭子は独り、静かに願った。





完   

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