いけにえ
―――ここは、どこ―――?
ミカゲは目を覚まし、むくりと起き上がった。―――視界は真暗。併し、頭上では星が瞬いている。
道の途中で落されたのだろうか。一本道だけが延延と続いており、辺りに樹は無く、周囲を焼畑に囲まれている。
火種が畑には未だ点点と残っており、風が少し吹くとその火の玉はゆらゆらと不気味に揺らいでいた。
・・・脚が燃える様に熱い。ミカゲは勝手に零れてくる涙を堪えて、両手を土に押しつけるが、すぐに前のめりに転んで仕舞う。
「はぁっ―――・・・はぁっ―――!」
―――立つ事が出来ない。片脚の腱を切られ、立つ事が出来ない様にされていた。
あの情景が蘇る。自分達を守ろうとした母の首が切られたあの瞬間が。何故母の首が持ち去られる必要が有ったのか。
彼等を襲ったのは何者なのか、暗い穴蔵の中では判らなかった。併しその者は“カミに供える”と言っていた。
「・・・カネリ?」
ミカゲは這って辺りを捜す。カネリの姿が無い。はぐれたのか。否、恐らくはぐれたのは自分の方だ。穴蔵から連れ出された時点ではふたり一緒だった。
若しかしたら、ひとり連れて往かれて仕舞ったのかも知れない―――
「カネリ―――・・・!!」
「・・・・・・」
・・・カネリもミカゲと同じ様に片脚を損じられていた。更に、鉄の罠にがっちりと嵌め込まれ、外に出る事が出来なくなっている。
足首を捻る事がほぼ不可能な為、体勢を変える事も難しい。
目の前に、一風変った立派な祭壇が在り、酒や食べ物と共に母の首が何故か其処に居る。
(やめて・・・・・・)
カネリは浮された意識で願った。口から血の流れた母の顔は、苦しげな表情の侭で固まっている。死んでも猶、首を晒すのは余りに酷い仕打ちではないだろうか。
「カムイ・ホプニレ」
意味としては不明だが音韻のみ馴染みある言葉に、カネリは身体を起そうとした。羽衣を纏った女性が祭壇に向かって話し掛けている。
「―――毛人はね、カムイ(霊魂)は死んだ直後は両耳の間に留まっていると考えていて、頭部をこうして神に祀るそうよ」
―――其は、カネリだけでなく、この夢を見る天津麻羅自身に聞き憶えの有る声。併し誰の声であるのか、霞がかって想い起せない。
「毛狄はもうすぐで、邪馬台に屈するわ。秋津島(本州)に降り立った許の私がここまで来る事が出来たのも、神の助けがあってこそ。だから―――山の神に感謝します」
カネリはぽかんとしてその拝礼を見ていた。女性がカネリに近づいて来る。カネリは戸惑った。碧い瞳が驚愕と恐怖に小刻みに震える。
「―――之で、いいのよね」
女性が何者かに向かって話し掛けた―――この地には少々寒い格好の、白足袋に雪駄の者が現れる。
純白の衣装に鮮やかな緋袴の、超然としたその姿に、カネリは目を離せなくなった。
「ええ―――・・・」
男とも女ともつかぬ生命の何かを超えたこの者は、神と形容しても差し障りが無い。世界中の凡てを背負っている様な顔をしていた。白衣の者はカネリを見下ろした。その者も黒い眼をしている。だが、その色は透き通り、自分の姿がそこには映りそうであった。
ズブッ
・・・・・・底無しの沼に足を踏み入れた様な音がする。カネリの身体は硬直した。嘗て無い程の痛みと熱が一気に流れ込んで来る。
「ぁ・・・・・・っ」
―――顔の左が血の池へと染まり、溢れ返ってびちゃりと墜ちた。眼球の位置に指が滑り込んでいる。
グッ,グッ,ググッ,,と、眼窩を指が一周した。ブチ.ブチリッ.と神経の切れる音が脳内で現実味を帯びて聴こえる。
「あ・・・・・・!!」
―――永遠の刹那であった。眼窩を掻き乱され、眼球を無理矢理引き摺り出される。ぬるぬるとした血の噴水と共に出てきた赤い指には、確りと丸い玉が、握られていた。
空洞となった眼窩を押えて、カネリは一生分の悲鳴を上げた。熱い,痛い,気持ちが悪い,震えが止らない――――!!
「―――之で」
カネリが脚をばたばたさせて暴れる。鉄の罠が益益脚に喰い込んでそこからも血が滲み出てくる。併し其を痛がる余裕は、無かった。
「青い眼に邪視の力が宿っていたとしても、逃げられないでしょうね」
―――白衣の持つ玉についた血が滴り落ち、青い部分が現れる。
「―――ごめんね」
頭上から、母に似た声が降って来る。
「山の神(義姉さん)は礼儀に煩いから、生贄を差し出さないといけないの。其も、男の子のね」
―――・・・姉さん。カネリは朦朧とした意識で顔を上げた。今迄見ていた半分の空間しか、もう視えない。
ミカゲは何処に往ったのだろう。道の途中で棄てられて仕舞ったのかも知れない。無事に生きているだろうか。
「山の神は嫉妬深いから―――」
女性と白衣を着た者は、母の首とカネリを措いて出て往く。
「次は九州と、北海道ね。九州は奴国が文明国家だから厄介だわ」
女性が次に攻める地域を確認する。―――こうして、別の地域を叉攻め征き、その度に願を掛け、生贄を捧げる。
白装束を羽織った者は、生贄を毎度神の許へと贈る葬送屋であった。
―――寒い―――・・・恐ろしく寒かった。痛みは変らず引く事は無いが、痛みの種類が違う。周期的に疼くが、其以外の熱い痛みや息苦しさ等は感じられない。にも拘らず、自分の呼吸する音はとても激しく聴こえる。
身体が全く動かなかった。目の開き方も判らない。残った目玉を動かそうとすると、激しい痛みがもう片側の眼窩を貫く。
・・・この侭自分は、死ぬのだろうか。山の神への生贄として。
―――意識が薄らいでゆく―――不思議な事に、気持ちがふわふわしてくると、寒くて怖くて堪らなかったのが嘘の様に想えてくる。死ぬのが怖くなくなりそうだ。併しそう想えば屹度本当に死ぬだろう。意識的な覚醒と昏眠を繰り返し乍ら、カネリはいつしか、暖かく叉懐かしくいい匂いがするのを感じていた。
うっすらと、目を開ける。
「――――・・・」
―――ミカゲが、カネリに被さって、身体を暖めてくれている。
「カネリ―――・・・」
ミカゲがカネリを抱しめる。カネリの空の眼窩から、腐った膿の涙が流れた。