エミシとヒト、シャモとカミ
雪が積る様になり、子供達は叉、母親に連れられて穴蔵の中で冬を越す。昨年から、碧い眼の者達が冬になるとこの山へ登って来る様になった。父親は正体がばれないよう獣に化け、家族に近づかない様に彼等の動向を窺っていた。
ゴオオォォォ・・・
―――吹雪の音なのか、其とも別の音なのか、穴蔵の中に居てはよく判らなかった。でも此処に居れば安全―――・・・子供達は喉を鳴らして長い冬の眠りに就き、桜咲く春を待ち侘びた。
軈て穴蔵の土が掘られ、中に手が伸びて来る。―――・・・もう春?子供達の隣でウトウトしていた母親が目を覚ます。
目の前は白銀の世界。柔かくも暖かな光。春先の気候。
―――誰かが、彼等を迎えに来た。
・・・・・何やら麓が騒がしい。
父親は樹の陰に隠れて、麓を注意深く見下ろしていた。背後にも注意していた。最近になって、山に登って来る毛人の数が急激に増えている。彼等は混乱している様に視え、熊も狩らずに右往左往し、行動の脈絡が無く予測し難いものであった。
―――争乱でも起きているのだろうか―――・・・
早く家族の許へ帰らなければ。十分に周囲を警戒していた父親だったが、急く気持ちから死角が拡がった。
狐に化けて人目を逃れようとした時
「ウェンペ!!」
―――二度と呼ばれる事は無いと、二度と呼ばれたくはないと思っていた固有名詞が眼帯側から聴こえる。父親は身が裂かれる思いであった。毛人とは。人とは。人間とは。南下して来た自分達と同じ故郷をもつ、麓に住んでいた者の事を指した、別の民族の者からみた固有名詞だったのだ。
「ナゼオマエガコンナトコロニ・・・・・・!!」
「マサカ、オマエガオレタチノコタンヲ・・・・・・!?」
男達は仲間を呼び、集団で父親を囲い込む。父親は逃げようにも、背後を崖に阻まれて逃げる事が出来なかった。じりじりと追い詰められ、崖を飛び出して生える最後の樹に背がぶつかる。
意外にも冷静な視覚は、女子供が洞穴を探す姿を捉える。意識の方はそう冷静でもいられなかった。
―――この侭では家族の所在が知れる・・・!
「マヒトツハウェンマネク、ヌペマネク、ライマネク!!」
「シャモマネイタ!!」
父親は力で彼等を振り解き、家族の許へ向かおうとする。正常な判断など出来ない。父親にとって最も恐ろしいのは、この混乱情態に陥った同胞達に自分の家族を奪われる事だ。
―――彼等も正常な判断が出来ないのだから
バシッ!!
「・・・・・・っ!!」
父親は数の前に倒れる。樹の幹に叩きつけられ咳き込むところを地面に引き摺り込まれ、彼等の不安の掃溜めにされる。
「マヒトツガウェンペ!マヒトツガシャモマネク!!」
胡乱な碧眼に毛人の手が降り懸る。だが実際に手を掛けられたのは、顔の半分を覆うその眼帯にであった。
彼等は屹度ずっと気になっていたのだろう、禍を齎すと伝わる隻眼の、もう一つの眼は如何なっているのか。
そう遣って、彼等は余計な知識の実を食べて仕舞うのである。
「あ・・・・・あぁ・・・・・・!!」
・・・・・・毛人達が戦慄く。もう一つのその眼は、彼等にとって今となっては彼が隻眼である事以上の脅威であった。
「シャ、シャモ・・・・・・!!」
―――無理矢理剥された眼帯の下にあるのは、妻とふたりの子供にしか見せる事の無かった黒色の眼球だ
倭―――・・・黒い眼が見えるよう、頭を固定されていた父親の脳内で、ぐるぐるとあらゆるものが駆け廻る。毛人を攻めて来た南の者達は、眼の色に大きな違いがあるのだろう。
ミカゲとカネリが帰って来なかったあの秋の日
『・・・・・・あのね、お父さん』
『お父さんと同じ黒い眼が、両方ある子が、居たんだ』
『迷子で心細そうだったから、一緒に居てあげたんだよ?』
『お父さんの黒い眼も、独りぼっちじゃなかったね』
―――両親の心配を余所に、同世代の子と遊べた事を嬉しそうに話していた子供達。子供達が出遇っていたのは、南から侵攻する直前の者達の子供だったのかも知れない。
「人質イイ!」
「勝テルコレデ、シャモ勝テル!!」
毛人達が悲鳴とも歓喜ともつかない声を上げる。今し方自分達を攻め入ろうとしている者達と同じ眼に恐怖しながらも、上手く使えば形勢を逆転できるかも知れないという期待も込められていた。
―――この時、父親は鳥肌が立った。子供達は跡をつけられてはいなかっただろうか
実は大人が周囲に潜んでいて、侵攻の機会を窺っていたのではないだろうか。自らの子を道具として、蝦夷の子を油断させ。
父親の子供達は純粋に蝦夷の碧い眼だった。違うのはこの片眼だけ―――・・・
がばっと父親は起き上がった。大人しく押えつけられていた者が急に物凄い力を入れた為、毛人達は思わず尻餅を着く。中には既に、怯えている毛人も居た。
父親の頭は真白になった。碧い眼に指を向ける。指を入れる。蔽う。隠す。子供達の眼は、其で碧くなくなる訳ではないのに。
父親の背は、とん、と樹木の幹についた。
毛人達は動けなかった。頻りに自らの碧い眼を触る父親を不気味に感じたのかも知れない。或いは瞳が見えない全体が黒いシャモの眼に、恐れを為しているのかも知れない。
如何して、眼の色が違うだけで
何故両眼とも碧で産れて来なかったのか
この眼がせめて黒眼で無ければ、子供達は黒眼の子供に興味を持たずに帰って来ていたかも知れないのに
・・・否、両眼とも黒ならば、子供達が狙われる事は無かった―――?
父親は穴蔵へと奔った。毛人の一人を突き飛ばし、足の迅い動物に化ける事も忘れ、無心に奔る。敵は之迄自分を差別し続け、元居た地から追い出した毛人ではないのか。敵は誰だ―――!!
―――父親は呆然とした。
・・・まだ雪の季節だというのに、土の色した面積が異様に大きく、岩石がごろごろしている。
・・・・・・穴蔵の入口が開いていた。
父親は震える足取りで、穴蔵の更に奥へと歩を進める。一歩、一歩と、願う様に―――・・・
毛人達が勇気を奮い立たせて追い駆ける。今追えば、家族の居場処が判るかも知れない。敵の一族の芽は摘み取らねばならない
―――彼等が追い着いた時には既に、父親は穴蔵の中に立ち尽していた
「――――ーー・・・」
・・・・・・父親は眼を見開いて、足許に飛散る血を只見つめていた
穴蔵に子供達の姿は無く、首の無い母親の死体が子供を取り返そうと両腕を伸ばした侭の状態で、横たわっていた




