ふたりのこぐま
「――――・・・」
―――天津麻羅は、時々変った夢を見る。
其は比較的頻繁に見る夢で、他の夢と比べて鮮明に憶えている。
極寒の地に子供がふたり産れ、家族が暮すところからその夢は始った。
その家族は皆眼が碧く、肌の色は白く、大柄であった。そして父親は片方の眼が視えなかった。
父親の死角からは小石が飛んで来て、鼻先や頬を怪我する事が度々在った。母親は傷の手当てをし、時に夫を庇い自らが怪我した。
投げたのは同じ碧眼、若しくは緑の眼の者で、彼等の事を「ウェンペ」と云った。子が産れて暫くし落ち着くと、彼等夫婦は子供を連れて遠くへ引っ越した。
海を越えて、新しい島の山間部を訪れた家族は、其の侭其処へ棲み着いた。ふたりの子供は伸び伸びと遊び、すくすくと育っていった。ふたりの子供はミカゲとカネリ。ミカゲは女の子だが元気良く、男の子の様に負けん気が強かった。
一方でカネリは男の子であったが、気が優しくて甘えん坊。ミカゲの後ろをついていく、臆病なところもあった。
父親は焔を操る。森の樹を使って火を焚いて、木炭と砂鉄を燃やして鋼を造った。父親はふたりが幼い頃から、少しずつ焔の扱い方を教え、先ずは捕って来た魚を焼かせるところから始めた。ミカゲはすぐに焔を出す事が出来る様になったが、火力が強すぎて毎回すぐに焦して仕舞い、中は半生で食べられない。カネリは焔を怖がって、小さな火でゆっくりと魚を焙る。焼けた魚は味が出て美味しいけれど、出来上がるのに時間が掛り、鯣の様に固くなった。
「御前達の造る鋼は、どの様な物になるか想像できるね」
「ふたり居て漸く丁度良くなるわね。ふたりでいちにんまえ」
ミカゲとカネリは顔を見合わせる。互いにとって、かけがえの無い存在であるという意識が芽生えるのに、そう時間は掛らなかった。
黒い煙が空へと揚り、太陽を蔽い隠してゆく。
その様に、何事も体験させて育てていた両親だったが、子供達を連れて山の麓へ下りる事は決してしなかった。只、夜になると食料である魚を捕る練習をする為に、家族揃って下りる時があった。その前には必ず、同じ山に棲む熊に化ける練習をして、自分達の本当の姿を山の麓で現した事は無かった。魚の捕り方も熊と同じで、冬になると母親に抱かれて穴に篭った。
秋が子供達の好きな季節だ。製鉄の訓練は無く、森の中を思う存分に奔り回り、樹の実などの美味しい物を、注意される事無くお腹いっぱい食べる事が出来たのが、ミカゲが秋を好きな理由だった。カネリも、訓練が無いのに加えて、一時に食せないが故に己の焔の性質を生かして魚を薫製にし、保存食とする方法は父親からも認められ、毎年褒めて貰えるので秋がとても好きだった。
冬になると、彼等の本当の姿に近い格好をした者達が、集団で彼等の棲む山へ上って来た。その者達は総じて碧眼・緑眼の持主で、熊や羚羊を狩り、その毛皮を使ってその生き物に化けた。残った肉は食した。
自分達と同じ様に北の島から渡って来た者達だと、冬篭りせずに山を見守っていた父親は悟った。彼等は、新しい島を発見して自分達と同じ様に移住して来たのだ。
併し、彼等は麓に良い棲処を発見したのか、春になると山を下って往った。父親は蛇に化け、彼等について山を下りると、彼等家族がこの島へ来た時には険しい岩肌と欝蒼と繁る原生林に覆われていた麓を、水が敷かれ、平らになり、淡い緑の草達が四角く包み込んでいた。山の傾斜を、階段状に連ねる柔かい土も在る。
稲作が、始ったのだ。
冬が明けて、子供達が山に出て来て遊び出す。父親と母親は子供達を呼んで、この者達に近づいてはいけないよ、と云った。
この者達と云うのは、稲作をする碧い眼の移民の事だった。
ミカゲとカネリは、自分達の本当の姿とそっくりな者達を初めて視た。併し、碧い眼の者達に会いたいとは思わなかった。
「この者達は嫉妬深くて、自分達と異なる者を憎み、呪い、虐めるからね」
・・・・・・初めて見る父のもう片方の黒の眼を哀しみに沈ませるからだ。黒い瞳を持つ者は、北国ではまだ珍しかった。
やがて、南の地域からもこの島を見つけ、北上する者が出て来る。その者達は自らを「カミ」と名乗った。
一年が過ぎ、子供達の好きな季節が再び訪れる。子供達も大きくなり、親の手を段々と離れてきた頃だった。
「神さま―――」
山の中腹には、何ゆえ迷い込んだのか、髪の長い子供が独り、手を合わせて何かを拝んでいた。森の中がしんとし、子供はぱんぱん!と掌の面を二度つける。森はざわめく様子も無く、ひらひらと静かに、紅葉を子供の頭の上に飾った。
此処には、在ないのでしょうか・・・子供は一礼した後に、するすると紅葉を手に取る。はらりと指から紅葉が零れ、風が吹く度に細波を立てる落葉の海に寄せては引かれて往った。
がさがさがさがさっ
樹樹埋め尽す山の斜面から何かが滑り落ちる音が聞え、子供は振り返った。併し怖くはないのだった。欝蒼と緑が繁っていたのではなく、紅や黄が鮮やかに樹樹を彩っていたからであろうか。
「・・・・・・?」
子熊が二匹、取っ組み合ってコロコロと転がって来る。目の前まで転がり漸く止ると、ふたりの貌のよく似た子供になった。髪の長い子供は目をぱちくりさせた。
くらくらしながらふたりは起き上がる。頭に手を当てると丸くて小さな熊の耳に行き当るが、柔かい毛を感じる掌は毛が生えていない。本来の自分達と同じ姿をした子供と出くわした事に気づいて、ふたりはすぐに飛び退いた。
“お父さんを哀しませるひとだ”
「神さまですか・・・・・・?」
人間の女の子の貌をした子供は、人間の子供についた熊の耳を上目遣いで確認しながら、恐る恐る彼等に訊いた。姉は弟を庇い、弟は姉から離れずにその子供を注意深く観察していたが、ふたりともすぐに気づいた。
“お父さんと、同じ色―――”
少女の様なその子供は、両方共がふたりの父親と同じ黒い眼をしていた。精確に謂えば“焦げ茶”だろうか。
其だけではない。碧い眼をもった者達とは、見た目も少しずつだが凡てが異なっていた。例えば鼻・髪・肌・そして、指。
そうと判るとミカゲはもう好奇心を抑えない。黒い眼の子供に無造作に飛びつくと、熊らしく顔を突っ込んでその子供のにおいを嗅ぎ始める。
「え」
まるで死んだ振りをする様に固まってしまう子供。慎重でいて臆病なカネリはミカゲと同じく振舞う事も、ミカゲの行動を引き止める事もしなかったが、その子供が興味を惹かれる存在である事は確かであった。
“お父さんの様な黒い眼は、何処から来たのだろう”
「カネリ。これ、おすだよ」
ミカゲは子供の肩に顔を埋めて鼻を鳴らした侭、カネリに人間語で話し掛ける。“これ”とか“おす”と言う面が、如何にも動物世界で生きてきた者らしかった。
この出逢いが、ふたりの運命を大きく変える事となる。




