1-01:『魔法少女』
クラスメイトの智奈は、最近ちょっとおかしい。
今日もぼんやりと、わたしの目の前に立っていた——。
彼女の眼は虚ろで、瞼が半分落ちていた。いつもはしゅっと纏められているポニーテールも、元気無くだらっと垂れ下がっている。魂が、どっかに飛んでってるって感じだ。
彼女はいつも、何でこんなに元気なの? って思うぐらいに元気なバレー部のエースで、バリバリの体育会系女子だ。朝、教室に入って来るなり「おはよー皆の衆!」って具合にやって来て、わたしの背中をバンバン叩くのだ。わたしにとっては甚だ迷惑千万な事だ。彼女に取ってはそれは普通の挨拶であり親愛の証なんだろうけど、体格の差が有り過ぎる。170センチの身長と女性にしては大きな掌で叩かれるのだ。さらに言えば、わたしは身長142センチのちびだ。堪ったものじゃないよ。
ところがここ数日はそんな事も無く、今の様にぼぉーっと教室に入って来て、まるで夢遊病者の様にこうしてわたしの前まで来るのだ。正直気持ち悪い。いや別に叩かれたい訳じゃないよ? そーいう趣味は無いからね。
「智奈? 聞こえてる? おーい」
「えっ? なに? 小都」
智奈は今気が付いた様子で、驚いて目を見開いた。
「ねえ、智奈。本当に大丈夫?」
「……ん? 大丈夫だよ? いつも通りでしょ? へへへ」
ワンテンポ遅れてそう言う彼女は、元気元気という感じでポーズを取ってみせた。
「あんた、目の下にくま作ってなに言ってるの。夜更かしばかりしてるんじゃない?」
隣にいた華澄がクールに返す。いつも華澄は言い方が冷たい。彼女は普通に話しててもその瞳が冷たく光っているのだ。目付きが悪いって訳じゃないんだけど、その視線を浴びると凍りそうになる。少なくともわたしは凍る。射抜く視線っていう感じだろうか。
本当は優しいのに、勿体無いなあっと思う。華澄なりに智奈を心配して言ってるつもりなのに。たぶん。きっと。恐らくは。
「やー、ちゃんと11時には寝てるんだけどねぇ。なんか疲れが取れないっていうかさぁー」
「試合前のプレッシャーとか? もうすぐ大会だもんねぇ」
この前、智奈から県大会が近いという話を聞いていた。バレー部のエースとして期待されている彼女はそれに応えるべく、日々真面目に練習に励んでいる様子。根っからの真面目っ子なのだ。責任感も強いし、みんなとも仲良くやってるみたいだし。そして勉強も出来る。学内成績もそこそこ上位だ。わたしとは正反対だ。
わたしはというと、クラブに入る事も無く、勉強もそんなに出来る方ではない。いやあ、むしろ悪い方かなぁ? あはは。別に学校の勉強なんて出来なくたって死ぬわけじゃないから別にどうでもいいんだよ! 絶対!
「んー、そんな緊張してる自覚は無いんだけどねぇ。今までそんな事無かったし。おっかしいなあ。ぐっすり寝れてないのかなあ」
おっ、これはわたしの力を魅せつけるチャーンス!
スカートのポケットから魔法のステッキを取り出す。これは先生が黒板を指すときに使う指示棒を魔法のステッキ風にわたしが改造したものだ。先っぽに黄金色の星をあしらっただけの簡易なものだけど、要は気分の問題だ。これだとポケットに入れていつでも持ち歩けるし。前は本当にステッキを作って持ち歩いていたんだけど、持ち物検査で先生に取り上げられてからは、この魔法(指示棒)ステッキを常用しているのだ。
シャキーンっとステッキを伸ばす。本当は衣装も魔法少女用のものに着替えたいのだけど、さすがに教室では着替えられないしね。
「よっし、わたしがぐっすり眠れる魔法を掛けてあげよう!」
「ちょっ! 小都、止めて。恥かしいから! 私をあんたの趣味に巻き込まないで!」
ステッキを持った右手を、智奈に抑え込まれた。
「もう〜なんでよぉ〜。わたし、ちゃんと治せるよ? 遠慮しないでえ〜」
「遠慮なんかしてない! いつまで魔法少女ごっこしてんのよ! 恥ずかしいって言ってんのよ! あんた高校生でしょ! いい加減そういうの卒業しなさい!」
「高校生だけど、見た目は小学生でも通じるもん。だからノープロブレム!」
「童顔でもその胸は何よ? 魔法少女にしては立派過ぎるんじゃないの?!」
「胸の大っきい魔法少女もいますよーだ」
いつも智奈に魔法を掛けようとすると怒られる。まあ確かに去年までは本当にただのごっこ遊びだったけどさ。
でもわたしは魔法少女になりたいんだ! 何がきっかけだったのか、もう忘れてしまったけど、小さい頃からわたしは魔法少女になると決めていた。ずっとなれると信じていた。でもさすがに高校生になってもなれなかったとき、諦めようって思い始めていた。だって、高校生だから少女っていうのはちょっと厚かましいっていうか。高校生ぐらいだったら、魔法女子? 魔女? 魔法使いだとなんか普通だし。
去年の事だ。もう諦めかけてたそのときに、わたしは師匠に出逢ったのだ! もうこれは運命? 神様はちゃんとわたしを見ていて下さったのね! っていう感じ?
偶然、魔法を使っていた師匠を目撃したのだ。師匠は、枯れた花瓶の花を手を翳すだけで、一瞬で咲き誇ったのだ! もうびっくりして、これは「もう濡れ手に泡」ってやつ? じゃなくて、「溺れる者は藁をも掴む」かしら? あーよくわかんないけど、なんかもう天啓だと思ったわ。魔法少女って普通の小動物みたいな奴に魔法を授かるもんなんだけど、師匠は一つ上の先輩。男子高校生だ。なんか残念な感じだけど、この際しょうがない。その場で師匠に頼み込んで弟子にしてもらった。
そう、今のわたしは違うんだ! ふふふ、今のわたしはちゃんと魔術師に弟子入りしたれっきとした魔法使いなのだ! まあまだ見習いではあるんだけど……
言いたい! わたし本当に魔法少女になったんだよ! って言いたい!
智奈に魔法を見せて、わーすごい! って言わせたい!
でもだめだぁー。そんな事をしたら師匠に怒られる。師匠曰く、『魔術は秘めたるもの』すなわちオカルトだ。決して無闇やたらに見せびらかすものではないとの事。まあ確かに今まで観たり読んだりした作品の魔法少女たちも、自分は魔法少女だよ〜って言いふらす様なところ見た事ないけどさ。
すっごく不満だけど、いつかいつか、わたしの正体を告げてみんなを驚かせてやろう。楽しみだ!
今のところわたしが魔法少女だと言う事を知っている人はたったの二人。
師匠と後一人。
チラッと華澄を視ると、凍る様な視線が突き刺さった。
怖いよ。怖いからその眼やめて。針でも飛んで来そう。
わたしは華澄とは幼稚園からずっと一緒にいる親友だ。だからよく解る。本気で怒ってる。
よく知らない人には分からないだろうけれど、あれは怒っている。絶対に!
あの眼の奥にあるのは「余計なことを言ったら殺すぞ」っていう感情だ。
ぶるっと背筋を寒気が奔る。
「そっ、そうだね。うん。ちょっと調子に乗りました。ごめんなさい。智奈」
素直に智奈に謝る体で、華澄に応える。言いませんよ。余計な事は一言も。うん。
華澄はもうすでに興味を失っている様で、窓越しに教室の外をじっと眺めていて、こちらを完全に無視していた。
わたしは確信した! 華澄は間違いなくドSだ!
「あんたのせいじゃないの? 私が疲れてるの。毎日こんなのに付き合わされてたから。魔法少女とかもうやめなよ」
「やっ、ひどーい」
くそうっっ! 今にみてろよー! 後で吠えづらかかせてやるんだから!
「ねぇ、華澄も何か言ってやってよ。あんたの方が付き合い長いんでしょ?」
そうなのだ。智奈とは、今年初めて同じクラスになって知り合ったのだ。華澄は去年、彼女と同じクラスだったみたいで仲良くなったらしい。そして今年は3人とも同じクラスになったので、3人でつるんでるのだ。
「そうね。いつも言ってる事だけど」
華澄は見ていた窓から身体ごとゆっくりと向き直り、よく通る透き通った声音でいつもの言葉を告げた。
「……魔法なんてあるわけないじゃない」