1-20:『魔術師の弟子』
「ししょーっ! 魔法ちゃんと教えて!」
学校から帰宅し、夕飯の準備を始めようかというところで、小都の奴が勢い良く飛び込んで来た。
「小都、俺はいつもお前に魔術をちゃんと教えているぞ。お前がちゃんと学習していないだけだ」
小都はいつも魔法という。魔法少女になりたいが故に、魔法という単語を好んで使うのだ。なので俺は敢えて魔術という単語で返してやる。俺は魔法少女を育ててるんじゃない。そんな趣味はねえ。俺が育てているのは魔術師だ。それに、ちゃんと教えなかったことはない。いつもちゃんと教えている。教えているが、こいつがまともにやらないのだ。
「時間が無いの! 今すぐ! 全部終わらせるぐらいに! さあ! さあ!」
「てめえ、それが人に物を教わる態度か?」
「細かいことはいいから、さっさと教えて!」
小都が教えてと強引に迫れば迫るほど、不安が募っていく。それは、こいつのこの性格が信用出来ないからだ。ついこの間も同じようなやり取りをした気がする。そしていつも修行を途中で投げ出すのだ。
今のように、熱心になっている間はいい。だが修行を始めて数分でその熱も冷め、だらけ始める。集中力が保たないのだ。
「あのさあ、俺いまから夕飯の支度をするんだよ。それにもう遅い時間だ。お前も、家に帰らないと怒られるぞ」
「じゃあわたしがご飯作る! 家は……大丈夫。ちゃんと連絡入れてる、から……っ!」
最後の方、語尾が濁ってやがるな。絶対ウソだ。こいつ連絡なんて入れてねえな。
とはいえ、なにいっても聞かねえんだろうなあ。
「ご飯作るって? お、お前……作ったことあるのかよ?」
「わたしがご飯作ったことなんて、あるわけないじゃない!」
こいつは何を偉そうに言ってやがるんだ。くそう。どうあっても引くつもりはないらしい。
下手に抵抗するよりは、小都の言うことを聞いた方が相対的に被害が少なそうだ。止むを得ない。
「わかったよ。しょうがねえな……ちょっとだけ付き合ってやる。夕飯は一緒に作ろう。その方が早いだろう? お前も時間が惜しいだろうしな」
小都の顔が満面の笑みに変わる。その笑顔は、まるで電灯が付いたように、周りが明るくなったような気さえさせる。
まったく卑怯だ。こんな笑顔を向けられたら、それを失いたくない気持ちにさせられる。普段はただの馬鹿な癖に、こういうところだけ女の子を意識させられる。
「じゃあ、パパーっと作っちゃいましょう! 何を作るの?」
「カレーだよ。簡単だろ? って作ったことないんだったな。小都は」
「ん? カレーってルー入れるだけじゃないの?」
「それ、具が無いよね……。」
「それぐらい知ってるわよ。料理方法のことを言ってんの!」
「はいはい、とりあえず俺が作るから、小都は手伝え」
「へーい。しっかりお手伝いしますよー」
小都は、鞄と上着をソファーの上に放り投げて走り寄ってきた。まったくこいつは。こいつらしいと言えば、こいつらしいんだが。
「ねえねえ、エプロンはどこー?」
キッチンに入り、あちこちを開けて探し始めた。
「エプロンなんて持ってねーよ。まあ、母さんのエプロンがどこかにあるかもしれないが」
「うーん。見つかんないからもういいや。なんか着るもの貸して師匠。汚れてもいいやつ」
汚れてもいいやつと言われてもなあ。ああ、そうだ。じゃあジャージの上着でいいか。
そう思って学校の体育で使っているジャージの上着を渡したら、非常に不満気な顔をされてしまった。
「これぐらいしかねえよ。文句言うんじゃねえ」
小都は、しぶしぶジャージを受け取ってそれを着た。袖が長いと文句を言って捲り上げていた。
流れとはいえ、こいつと一緒に料理をするなんて不思議な気分だ。
小都は普通にしていたら可愛くないこともない。いや、むしろ可愛いの部類に入るかもしれない。だが、普段の言動がそれを台無しにしているのだ。勿体ない話だな。
「どうかした? わたしのことじっと見て。さては大っきいジャージを着たわたしに見惚れたのね。うんうん。わかるわかる。存分に見るがいいわー。それー」
掛け声と共にくるりとその場で一回転して、きらりーんといつもの魔法少女の決めポーズを取った。
本当に。もう本当に勿体ない。
「馬鹿なことやってたら、時間の無駄だ。ほれ、こいつらを洗え」
じゃがいもや人参を小都に渡した。さすがにこいつでも洗うことぐらいは出来るはず。そう思っての配慮だ。
じゃがいもを渡された小都は、それを手に取ってしばらく思案していたが、やがて恐る恐る流しで洗い始めた。
なんでそんなに恐る恐るなんだよ。こいつもしかして、じゃがいもも洗ったこともねえのか。いいところのお嬢様かよ。って、こいつの家庭のこと、何も知らなかったな。前に病室でこいつの母親とは会ったけど。
小都に手伝わせるものを作るために、普段よりも余計に時間が掛かってしまった。まあ、仕方が無い。
元凶の小都はというと、なぜか機嫌良く鼻歌なんぞ歌ってやがる。
そんなこんなで、珍しく、いや初めてか。賑やかな夕食準備となった。
いつもはささっと作って、さっさと食べて片付けて終わりの夕食時だ。
何だか小都と顔を合わせるのが、照れくさい気持ちになった。
「ねぇねぇ、もう出来たんじゃない? いい匂いしてるよ」
小都は俺の後ろでウロウロしながら、掻き混ぜているカレーの鍋を何度も覗き込んだ。
落ち着きのない奴だ。親の顔が見たいぞ。見たことあるけど。
「よし、いいぞ。皿にご飯を盛れ」
「アイアイサー!」
跳ねるように敬礼して、炊飯器からご飯を盛り始めた。
「たっき、たってぇ〜ごはぁ〜ん♪」
小都の発した謎の歌には一切触れずに、ご飯の上にカレーを掛ける。
「やだ、掛け過ぎ! わたしそんなに食べられないよ!」
二つ並んだ皿のご飯に、それぞれ同じぐらい掛けたら怒られた。女子高生の食べる量なんて知るか!
しょうがないから、お玉で掬って少し減らして自分の方の皿に盛った。
「よろしい」
何がよろしいだよ、まったく。
「いただきまーすっ! おー、おいしーぃ! やっぱり自分で作ると違うよねぇー。うんうん」
いや、お前はじゃがいもを洗っただけだろう。後は、皿の用意とかの細々とした雑用だ。料理の味とは関係ない領域の活動だ。
だが、まあいい。小都が本気で喜んでいる。なら、水は刺すまいよ。こいつは機嫌がいいに越したことはない。機嫌損ねると何にしだすかわからないからな。
「それで、何があったんだよ。そろそろ話せ」
食事も終わりに差し掛かった頃合いをみて、今日の突然の訪問の理由を訪ねた。
なぜそんなに慌てているのか。魔法ならいつもちゃんと教えているのに、何を焦っているのかと。
いつも以上にはしゃいで見せていたことから、こいつが何かを抱えているのは明らかだ。わかり易すぎる。
小都は、しばらくスプーンを皿の上でくるくると意味もなく回していた。何度も深い呼吸をしながら、何から話そうか逡巡しているように見えた。
「なんか、いろいろあったじゃない。最近ずっと。それを全部解決したい。出来るだけ早く。えっと、二、三日中に」
「だからなんでだよ。なんでそんなに急ぐ必要がある? だいたいお前、何が起きてるのかわかってるのか?」
「よくわかってないから、それも今教えて。全部。で、サクッと解決しちゃおうよう」
「そんな簡単に出来るか! ばか」
「ばかってなによ! ばかだけど! とにかく早く終わらせたいの!」
ダメだこいつ。混乱してる。それに何を言っても、核心に行き当たらない。どうしても言いたくないことなのか。
やれやれ。
「お前なぁ、俺たち二人で何かできると思ってるのか? 今までやって来たことだって、せいぜいイレズーレの奴らのお使い程度だぜ? よく考えろ」
「できる! わたしと師匠なら、なんだってできるっ!」
瞳に闘志が燃えている、そういう表現を聞くが、本当に燃えているように感じるものなのだな。テーブルから身を乗り出した小都の瞳は、炎の音が聴こえそうなほど燃えていた。
何を根拠に、こいつはこんなことを言えるのだろうか? 小都のことだ。根拠なんて有るはずがない。こいつは根拠なく、できると本気で思っているのだ。思い込もうとしているのではない。ほんとの本気で、そう信じてやがるのだ。
そうか、わかった。これが小都の弱さであり、強さであるのだ。無いところから、有るを産み出す力。無い筈のものを有るように変えていく力だ。
魔術の核になる本質的な力。それはイメージしたものを現実に存在するかのようにそこに見ることだ。小都は生まれつきその素質を持っているに違いない。訓練した形跡はないからだ。それは魔術以外だと使い道が限られる力であり、多くの場合、人の誤解や軋轢を産むものだ。
小都の過去にどんなことがあったかは知らない。しかし想像するに難くない。周りに散々に迷惑を掛けると同時に、自分もたくさん傷ついたに違いないのだ。
少し、小都を形作っている核になるモノの存在に近づけた気がした。
そして、それを俺は好ましく思ったんだ。
「いいぜ、小都。お前の覚悟はわかった。俺も腹を括ろう。こっちだ。付いて来い」
立ち上がって書斎へ向かう。
小都は戸惑いながらも、静かに後を付いて来た。
書斎に入り、電灯ではなく机の上のロウソクに火を灯す。
魔術を封印されて以来、此処を使っていなかったが、今まで数多くの儀式をこの書斎で執り行ってきた。
薄暗い部屋の中にロウソクの炎が揺れて、実にいい感じに神秘性を演出している。こういう演出は魔術に置いて非常に大事なことだ。演出一つでその効果は倍増する。
書斎の本棚から意味深げな古めかしい分厚い本を取り出し、机の上に置いた。
「小都、この本の上に左手を。掌を上に向けて置け。そして絶対動かすな」
こちらの少し強めの声音とこの部屋の雰囲気に気圧されたのか、小都は終始静かにしていた。
そしてこちらの言う通りに、神妙に手を本の上に乗せた。
「あ、その剣は、あの時のやつ?」
俺がペーパーナイフのような金色の小型ナイフを取り出すと、今まで静かだった小都が口を開いた。
あの時というのは、俺と小都が始めて出会った時のことだ。俺が学校で魔術を仕込んでいたところを小都が偶然目撃したのだ。
そして今、あの時と同じように、俺は自分の右掌を切った。
「ああそうだ。これは、あの時の剣だ。この剣は、色んな力を宿らせてある代物だ。俺が持っているモノの中で最高級品だ」
右手を握り、滴る血を小都の左掌の上に注ぐ。
小都は一瞬身体を強張らせたが、手は動かさずそのまま堪えていた。
あの時、俺は今のように手を切ってその血を花に注いでいた。それを見ていたから、それほど驚かなかったのだろう。
とはいえ、いま自分が何をされているのかわからないであろう小都は、困惑の瞳で俺を見つめた。
この尋常ならざる状況に、顔が上気している。
いい頃合いだ。
まさか小都に対して、こんなに本気になる日が来るとは思いもしなかった。
そして、これから先に起こるであろう未来について、こんなにも自分の心が踊るとは。
「真琴小都」
「はい」
「これより汝を、我、風見道真の弟子として正式に承認する」
小都の目から流れ落ちる涙が、ろうそくの火に照らされていた。




