1-18:『魔術師と養護教諭2』
「ししょっー! 魔法ちゃんと教えてっ! ぜったいぜったいちゃんとやる! 真面目にやるからっ!」
保健室で死んだように眠っていた小都が、突然飛び起きた。
起きるなり俺の首根っこを掴み、床に押し倒して馬乗り状態だ。
そしていきなり喚き出した。
「いきなり何しやがる! ちょっ、小都、唾を飛ばすな。顔に掛かっているぞ!」
それにだ、ここは保健室。保健の先生がすぐ側で見ているのだ。魔法を教えろとか、公衆の面前で話すなとこれまで何度言ったことだろう。
小都の顔の前に指を立て、その指を保健の先生の方へ向けて状況を把握させる。
「えっ? あれ? ここはどこ? って保健室? なんで? わたしどうしたの?」
「それを聞きたいのは、私たちの方だと思うのだけどねえ」
先生は俺の方をチラっと見て同意を求める。俺は軽く頷いてそれに応えた。
小都は馬乗り状態のまま、まだアワアワと混乱していた。
「まあ、いいでしょう。私が知っていることは話してあげる。真琴さんはね、廊下で倒れてたのよ。何で倒れてたのかは、私が訊きたいことよ。真琴さん、いったい何があったの?」
保健室の先生はそう言うと、眼鏡を外して机の上に置いた。
彼女のこのいつもの仕草には何の意味があるのだろうかと思い、ふと顔を盗み見るが、彼女の瞳は何も語らなかった。
先生に問い詰められた小都は、俺にどう答えたらいいの? って顔をして助けを求めている。怯えている小動物のようだ。
俺も何があったのか知らない。知らないが、状況から推測するに、あのゴスロリに襲われたのだろう。闘って、一人を倒した。もう一人は小都ではない誰かの手で葬られた。葬った奴が誰だかわからない。だがしかし、これらの話をこの先生にするわけにはいかない。いかないのだが……
「さっき真琴さんは、風見くんに魔法を教えてって言ったよね? どういう意味かな?」
予想通りの展開だ。
この先生には隠し事は通じない。とはいえどうしたものか。
小都は返答に困って、あぅあぅしてるし。
「あっ!? 華澄?! 何で華澄が寝てるの? 大丈夫なの?!」
とっさの機転か? それとも華澄の心配の方が勝ったのか、小都は華澄がベッドで寝ていることに気付いて駆け寄って行った。
馬乗りから解放された俺は、ゆっくりと身体を起こして、パンパンと尻を叩いて埃を落とした。
「真琴さんも知らないって感じね。句由比さんは、貴方と一緒に廊下で倒れていたの。まるで母親が子供を護るみたいに覆い被さってね。ずっと眠り続けてるのよ。外傷は特に見当たらないわ。貴方と同じようにね。だから心配はいらないわ。じきに目を覚ますでしょう」
青ざめながら必死に華澄に呼び掛ける小都を、先生がなだめていた。
結果として、今のところ上手く誤魔化せた感じであるが、そう長くは保たないだろう。小都が落ち着いたら、追求が始まるに違いない。それまでに次の手を考えなければ。
だがどうする? 俺にこの先生の追求を躱す自信はない。立ち所に洗いざらい吐かされる未来しか見えない。
「ねえ、風見くん? さっきの真琴さんの言ったこと、どういう意味かな?」
まるでこちらの心を読んだかのように、追求の矛先を俺に変えて来た。
ほんと、この先生は油断ならない。
「さあ? 何のことでしょうね。小都は今、混乱してますから、意味のわからないことを、口走ったんじゃないですかぁ?」
「風見くん……貴方、考えること諦めたわね。もう少しちゃんと抵抗しようよ。先生つまんない」
「いや、俺、別に先生を愉しませるために生きてる訳じゃないですから」
「大袈裟な物言いね。なんか、二人だけのヒ・ミ・ツって奴を見せびらかされて、先生寂しいわ」
わざとらしい可愛い声を創って、上目遣いにしなを作る仕草に、なぜか薄気味悪さを感じた。
これは計略だ。あの手この手で口を割らせようという強い意志を感じる。
「あれぇ? 風見くんは、こういうの好きじゃなかった? 恥ずかしい気持ちを乗り越えて頑張ったのに、切ないわぁ」
「恥ずかしいなら、やらないでください」
「それもそうね。じゃあ、正攻法で行こうかぁ? 風見くん」
パンっと手を叩いた音が、やけに大きく保健室に響いた。
そして――彼女の顔が、ずいっと近づいてくる。鼻息が掛かりそうで、息を思わず止めた。
後退りしそうなところをぐっと我慢して堪える。
「な、なんですか? 先生。顔が近いです」
「風見くん、貴方が昨年やらかしたこと、そして今この学校で起きている何かは、魔法が関係している。そうですね?」
「えっと、それは……」
「ソ・ウ・デ・ス・ネ」
なんだ? 何かの呪文か? あの幼女が使った邪眼のような何かなのか? 彼女の言葉が脳に直接届いてくるようだ。言葉は普通の言葉だが、俺の脳のスイッチを自動で切り替える暗号のように感じる。
思考がまとまらない。ひたすら空回りしている感じがする。必死に走っているのに、全く前に進まないかのように、考えようとしても何も考えることが出来ない。
自分が「はい」と返事したように感じるが、錯覚かもしれない。白昼夢を見ているかのようだ。
「ふむふむ、良い反応だよ、風見くん。ただぁ、出来れば、君自身の言葉で語って欲しいかなぁ」
「先生、貴方は何者なんですか?」
「あれ? 風見くん、私この前ここで言ったはずだよ? 憶えてないのかなぁ?」
先生は、わざとらしくやれやれとため息を付いた。
そしてキリッとした表情に変わり、彼女の瞳は俺を凝視した。
その瞳に俺は、彼女の心の奥深くにある強い芯を見た気がした。
そんな俺の反応に彼女は悪戯っぽく笑い、そして言った。
「風見くん、私はただの養護教諭ですよ」
……その微笑みは、決して冗談ではなかった。




