1-16:『魔術師と教授(後編)』
やべえ。まじやべえぜ。
今の俺で、この幼女たち相手に闘える気がしねえ。
逃げるか? って言ってもなぁ。何処に逃げるんだよ? 逃げるところなんて何処にもない。仮に在ったとしても逃げ切れる自信がねえ。
ぐるぐると思考を巡らしたが、結論の出ぬまま時間だけが過ぎる。
そうこうする間に、幼女たちがハッキリと姿を現した。
蒼い魔法陣から出て来た方は、幽霊の様にぼんやりと項垂れて腹から出ている何かに支えられている。両の手が力無くだらんと垂れ下がっている。
なんだ? どうなっている?
幼女を支えているモノをよく見ると、それはアニメに出て来るような、コテコテに飾り立てられたいかにも聖剣ですと言わんばかりの代物だった。
これを見ただけで何があったかがわかる。そう。あいつの仕業だ。
小都、よくやった。
聖剣に刺された幼女は小さく呻いた後、霧のように消えていった。それと同時に、蒼い魔法陣も消失した。
そして紅い魔法陣から出て来た奴は、影のままだった。
いや、影じゃない。これは……
「アルファ! オメガ! なんだ!? どうした!」
教授の悲痛な叫び声に応えようとしたのか、紅い魔法陣の幼女が首を動かそうとすると、首から上がもげて落ち、床で粉々に砕け散った。
黒い粉が舞上がり、憶えのある匂いがした。
この匂いは、炭の匂いだ。
そう、影ではなく黒焦げになっていたのだ。
「きっ、貴様ぁぁっ! 何をした! 私の作品にいったい何をしたんだぁっ!」
いや、俺、何もしてないし。蒼い方は小都がやったのだろうが、紅い方はわからない。黒焦げとか小都らしくないしな。だとすればいったい誰が? そして、そうなると小都は無事なのか? 気が気でなかった。
早くこいつとケリを付けて小都の所に行かなければ……
「ふふふっ、こいつらがあんたの切り札か。こっちは全部お見通しなんだぜ。もう観念しな。大人しく処分を受けるんだな」
取り敢えず何が何だかわからんが、これを利用しない手はない。
あくまで計画通りって顔をして、堂々とキメてやった。
「ぐっ……」
流石に教授も観念したのか、机に手を付いて項垂れている。
次なる隠し玉はない。と信じたい。
「はーい、お茶お待たせいたしましたーっ!」
そのとき空気を読まず、パンク姉ちゃんが乱入して来た。お盆にティーセットを乗っけて得意顔で歩いて来た。
「遅くなって済みませんねぇ。どのお紅茶をお出ししようか悩んじゃいましてぇ。それにちょっとしたトラブルもありましてー、あはは。でもでもですねー! この紅茶すごーく美味しいんですよぉ! えっと名前は……忘れちゃいましたー。でもでも、こういう時にしか飲めないので奮発しちゃいましたー。って言っても、わたしのじゃないですけどねー」
このねーちゃん、秘蔵のカップ割ったのをちょっとしたトラブルと言いやがった。いいのか? いや、そんなことはどうでもいい。
それよりも教授だ!
視線を教授に移すと同時に、奴が何かを唱えた。
「光りあれ……」
つぶやきと同時に、研究室全体が強烈な光に包まれた。
何も見えない。
その時間は体感的に5分ぐらいで長く感じたが、実際はおそらく30秒程だっただろう。
視覚が徐々に回復していく。それに合わせて周囲を確認する。
正面に居た教授の姿は、なくなっていた。
パンク姉ちゃんは、持って来ていたティーセットを今の騒ぎで落としたようで、しゃがんで大騒ぎをしている。
部屋を一通り見渡すが、教授の姿はない。
まさかと思って天井を見てみるが、そこにも姿はなかった。
教授が座っていた豪華な椅子が、移動していて、元々椅子があった場所に大きな穴が空いていた。
穴を覗き込むと、何処かへ繋がっている通路があった。
教授は、この通路を通って逃亡したのだ。
取り敢えず、助かった。無事乗り切った。
なんとかハッタリで押し切れた。これも前にあの養護教諭にいたぶられたお陰だ。あの人のやり口を俺なりにトレースしてやった。初めてにしてはよく出来たと自分を褒めてあげたい。
それはそうと、あの幼女たちに何があったのか? もとい、小都に何があったのかが気になる。
取り急ぎ小都にメールを送る。電話をしたいところだが、授業中だろうから、出られないだろう。この状況から考えて普通に授業を受けているとは思えないが、念の為だ。
返事が返ってくるのを待つ間、パンク姉ちゃんの手伝いをする。
床に割れて散らばったティーセットの後片付けである。
そして一つ確認しておきたい事があった。
「大山さん、助けてくださったんですね。さっき。いえ、この前、襲われていたときも。あの時のパンクは、わざとですね」
そう。今回の槍が降ってくるときにカップを割ったこと、そして前に幼女に襲われていたときのパンク音。偶然としては出来すぎている。
「私、何か助けましたっけ? わざとにパンクって意味不明だよぉ。えっとそれよりも、今のは何ですか? 凄く眩しかったんですけど」
初めから答えは期待していない。どんなことがあっても彼らは正体を明かすことはないだろう。何一つとして根拠を示すことは出来ないし、すべてが偶然だと言われればそれまでである。
しかしこれ以上何かを言ったところで、彼女が白状することはないだろう。それに、今の俺の目的は、こっちが彼女の正体を認識したことを伝えることだ。それは今、達成された。あれで充分にわかる筈だ。
「あの、俺、急用が出来たのでそろそろ失礼します。大山さん、後のことよろしくお願いします」
では、っと手を上げて研究室を出る。
後ろでパンク姉ちゃんが何やら文句を云っていたけど聴き流す。どうせ意味のない、ありきたりな、普通の人が話すような内容だ。
それよりも、パンク姉ちゃんがあいつらの一味だとすると、教授の側にいたのは偶然か? まさか偶然ではあるまいよ。
ならば、奴らはいつから教授が怪しいと知っていた?
くそっ!
とんだピエロだ!
俺たちは、囮だったんだ。
本当はずっと前から、それは連続通り魔殺人事件が発生するよりも前から、奴らは教授が何かを企んでいることを知っていたに違いない。
だからだ。だからパンク姉ちゃんは、最後に邪魔をして教授をわざと逃したんだ。
教授の企みをずっと追い続け、そしてまだきっと把握出来ていないのだ。泳がせて全貌を掴むつもりなのだ。
俺と小都に目立つように活動させておいて、奴らは裏で別口で調査してやがったんだ。
そうか。そうなのか。
ならばまだチャンスがある。
奴らを出し抜くチャンスが。
このまま利用されっぱなしってのは、気に喰わねえ。
あいつらにも一泡吹かせてやる。
ただの囮役のために、俺や小都が危険な目にあっていたなんて許せねえ。
今まで大人しく従ってたが、もう我慢できねえ。イレズーレめ!
そうだ! 小都は?!
ブブブッーブブブッー
振動するスマホを取り出す。
掛けてきた相手は……
見知らぬ電話番号だ。
訝しみながら電話に出ると、聞き憶えがある声が聴こえた。保健室の先生だ。
「あ、風見くん? 風見くんの携帯であってるかな? ちょっと君に大至急聞きたいことがあるんだけど、すぐに保健室まで来てくれるかな?」
「その声は保健室の先生ですね。俺の携帯番号どこで知ったんですか?」
「それはひみつです。どのぐらいで来れる? どうせ学校にいないんでしょう?」
お見通しか。
「後1時間ぐらいは掛かるかと思いますけど、構いませんか?」
「1時間かぁ。長いなあ。立て替えて上げるからタクシー飛ばして来てくれないかな? あんまり長くは誤魔化し切れないので」
「それは構いませんが、って、誤魔化すって何を誤魔化してるんですか?」
「今ね、保健室で二人、寝てるのよ。小都ちゃんと句由比華澄さんなんだけど、外傷はないし脈拍、呼吸、体温にも異常がないんだけどね。でもこれはなんと言ったらいいか。たぶん風見くんならわかるかなあっと思って」
「先生、何を言ってるのかわかりません。二人は大丈夫なんですか?」
「大丈夫といえば、大丈夫なのかもだけど、これは……」
保健の先生の歯切れの悪さにイライラが募る。
「どうしたんですか? はっきり言って下さい!」
「あのね、風見くん。誰にも言わないで欲しいんだけど。私、その、色々と見えるのよ。霊とかじゃなくて、なんというか、アレなモノが。それでね。いま二人がそのぅ」
電話の向こうで先生が大きく息を吸う音が聴こえた。
「私の目には、句由比さんの魂が、小都ちゃんの魂を包み込むように融合して見えてるの」




