1-15:『魔術師と教授(前編)』
今回は、風見道真(魔術師)パートの前編です。
続けて次回も魔術師パートで後編に続く予定です。
「その子は、なんだね?」
俺がパンク姉ちゃんと研究室に入るなり、正面奥に座っている老人が彼女にしわがれた声で質問した。恐らく彼が教授なのだろう。フレームレスの丸メガネに白衣姿で、でっかい豪華そうな椅子にふんぞり返っている。
彼は、ゴスロリ幼女を使役して俺を襲わせた。従って俺を知らぬ筈がない。そして俺がそう思っていることもわかっているだろう。
不思議なのは、突然の俺の訪問に驚く様子がないことだ。まるで普通に、見知らぬ訪問者が来た時の対応に見える。
「えっとぉ、この子はですねぇ、教授のお孫さんに会いにいらしたんですよぉ。」
教授に対する言葉遣いが気になったが、ナイスアシストだ。彼女が狙ったわけではない。全くの偶然なのだが、この質問でこの老人は動揺するだろう。何故ならば、俺を襲ったあんたの孫に会いに来たってことだからな。
「孫に会いに? どうしてかな? あの子達と何処かで会ったのかな? 君のような年齢のお友だちがいるとは思えないのだがなぁ?」
「ああ、なんかぁ、ネット? か何かで紹介? されてたみたいですよー。アルファちゃんかオメガちゃんかどちらかが写真入りで。私、まだどっちがどっちかわからないんですけどねぇ。それで彼は興味を持ったみたいです」
パンク姉ちゃんが俺の代わりに返事をしてくれた。初対面だと、教授との会話がしづらいだろうと思って気を効かせてくれているのだろう。正直助かった。これで教授に対してどう対処すべきか考える時間が稼げた。
パンク姉ちゃんに促されたので、持っていたネット記事のプリントを教授に見せた。
「ああ、アルファの奴かぁ。しょうがない子だぁ。しかしまあ、綺麗に写るものだねぇ」
教授の見せた顔は、本当に愛しい孫娘を想う気持ちで緩みまくっている。
実は、教授はシロなのだろうか? 写真の幼女は、ただの他人の空似で、事件とは何の関係もないのではなかろうか? そう感じるぐらい、教授の態度におかしなところは見られなかった。
「それでその、お孫さんたちは今日はいらっしゃるのですか? あ、突然すみません。えっと、この人……大山さん? に構内で偶然出会いましてですね、そしたら教授のところに会いに行こうという話になりまして。なんかすみません」
ひとまず、この教授が普通の態度なので、こちらも同様に対応する以外に選択肢はない。
「別に構わんよ。だが、残念ながら今は孫たちは不在でねぇ。いつ来るかもわからん。それにしてもだ。大山くんには私も手を焼いている。君も大変だな。えーっと、名前は?」
「えっ?! 橘教授ぅぅ。わたしはちゃんとしてますよぉぉ。ねっ? 風見くん」
「えーと、風見と申します、教授。大山さん、俺に聞かれても困ります。今までに、二度お会いしてますけど、いささか振り回されっぱなしな感じですね」
「えっ?! えっ?! いや、わたし振り回してないでしょ? 普通よ、普通」
駄目だ。この人は自覚してない。
「大山くん、何をしているんだね? 早く客人にお茶をお出ししないかね」
「すっ、すみません! ただいま!」
ダッシュで逃げるように、パンク姉ちゃんは隣の部屋に入って行った。
「あ、いや教授、お孫さんに会えなかったので、今日はもうお暇します」
ここは長居は無用だ。今はすぐに、イレズーレへ伝えることが先決だ。教授がクロかシロかは、あいつ等が決めればいい。
「まあそう言わずに、せっかく来たんだ。ゆっくりしていき給え。他にも話があるのだろう? ただ会いに来たわけではあるまい」
教授の鋭い視線が見上げて来る。ギョロっとした茶色く濁った瞳だ。
その眼力で後退りしそうになるのを必死で堪える。
ここで弱味を見せたら敗けだ。何食わぬ顔をで通す。ポーカーフェイスってやつだ。何を隠そう、ポーカーは得意で、過去にはノーペアで勝ったこともある。相手は小都だったが。
それはともかく、やはりこの教授が主犯か。うっかり好々爺と勘違いするところだった。
いまのセリフや、眼力から、やはり俺のことを知っているんだとわかる。
奴の眼を見ては駄目だ。あの幼女が邪眼使いなら、こいつも邪眼使いに違いない。
「何を言っているのかわかりませんね。ただの興味本位ですよ」
「どうして眼を逸らすのかな? 少し失礼ではないかね?」
眼を見ていなくても眼力を感じる。それは強い圧迫感を以って俺の全身を包んでいる。
「いやー、教授さまと話しするとか、緊張しましてね。まともに眼が見れませんよ。それにどうしてかわかりませんが、殺気を感じてましてねえ。何か俺に思うところでもあるんですか?」
「別に思うところは何もない。我々は初対面じゃないか。ゆっくり話し合おうじゃないか」
周囲の圧迫感が増すたび、視界がじわじわと狭まっていく。
これは術だな。何の術だ?
感覚を研ぎ澄ます。
魔術は封印されたが、見る感覚や感じる力は失っていない。それは奴らが、俺に調査をさせる為にわざと残したのかも知れない。だが、力が残されていることは、素直に嬉しい。まだ俺が俺としていられる。
前後左右の感覚が、はっきりしなくなってきた。自分のいる場所の、空間座標が把握出来なくなっている。何処にいるのかもわからないし、地面に立っているのか、それとも落下しているのか……
四方より微かだが、何かが此方に放出されているのを感じる。これが原因か? こいつが俺の感覚を歪めているんだ。
「なあ、教授さん。この部屋の四隅に悪趣味な置物を、目立たないように置いてるだろう? それな、ちょっと細工しておいたんだが気付かなかったか?」
もちろんハッタリだ。術の特性からおそらく四方から中央に向けて、オブジェが仕掛けられている。そう睨んだ。
そして魔術はメンタルが全てだ。少しでも自分の術に疑念があれば、その効力は失われる。
「君にそんな時間はなかったと思うがね。そんなハッタリが通用するとでも?」
「もちろんさ。あんた今、術を掛けていたことを認めたよな。やっぱり黒か、教授さんよ」
さっとスマホを取り出し、「対象、確定です」と告げる。
もちろん何処にも通話していない。
俺の揺さぶりが功を奏したか、先程まで周囲を覆っていた圧力がなくなった。そして身体の感覚も元に戻った。
「君は何をしている? 誰にかけた?」
「此処に入る前からずっと通話中にしててな。相手は誰かって? そりゃー決まってるだろう。あんたの今の術だけでも、充分処分対象だぜ?」
教授の白い眉がピクリと動く。
「イレズーレ……。本当にいたのか。ただの噂話だと思っていたがな……。しつこい邪魔立ての理由はそれであったか」
教授はゆらりと立ち上がり、右腕をゆっくりと頭の上に持ち上げた。
やばい! 何が来る?
ぐわっしゃーん
「きゃあああああああ! 教授秘蔵のカップがああああああ!」
隣の部屋でパンク姉ちゃんが叫び声を挙げた。
不覚にも一瞬、彼女の悲鳴に気を取られた。
我に返り教授に対して臨戦態勢を取り直すと、俺の足下にでっかい槍が突き刺さっていた。
もちろん本物の槍ではない。術で創られた物だ。
「あの馬鹿者がっ!」
教授が悪態をついて、隣の部屋を睨み付けた。
ひょっとして俺、彼女の叫び声に助けられたのか?
教授も俺と同様に気が逸れたに違いない。槍を天井から落とすとかこええよ。しかし、それにしてもだ。
ナイス! パンク姉ちゃん!
「悪足掻きはよすんだな。教授さんよ。大人しく処分を受けた方が身の為だぜ」
自分の事はひとまず棚に上げて、ビシッと教授を指差して威嚇する。
これでバッチリだ。流石にもう隠し玉は有るまいよ。
後は隙をみて、本当にイレズーレに報告したら終わりだ。
ちょっと危ない場面もあったが、それもご愛嬌だ。
項垂れていたように見えた教授が両の手を広げ、それから天を仰ぐようにして何やら唱え始めた。
それに伴って俺の左右の床に、蒼い魔法陣と紅い魔法陣がそれぞれ浮かび上がって来た。
ちくしょう、まだ何かあるのか、こいつ。
「私は アルファであり オメガである」
教授のつぶやきに呼応して、それぞれの魔法陣の下から何か黒い影が浮上して来た。
その影が、ゆっくりと輪郭を取り戻す。黒髪のツインテール。あのゴスロリ幼女——。アルファとオメガが、ここに現れた。




